第3章  見知らぬ世界 〜 金田裕次(2)

 金田裕次(2)




 既に聞いていた開始時刻は過ぎている。きっと今頃は弔問客を背にして、手配した坊さんがお経を唱えているだろう。金田はそんなことを思いながら、車のエンジンを再び始動させた。彼が乗っているのは英国製の最高級車で、8気筒エンジンを搭載し、たった4、9秒で時速100キロまで加速できる。これを金田が買いたいと言い出した時、派手なクルマにしか興味のない愛菜は、

「そんなのがどうして何千万もするの? ただのおじさん車でしょ?」

 と、あの時と同じように言い返してきた。それは、今から半年以上前に遡る。

「どうしてそんなに掛かるの? たかがセックスするだけしょ?」

 愛菜が目を見開いて、金田にそう返したのだ。

 たかがセックス――そうだったとしても、相手は見ず知らずの男で、お世辞にもいい男だとは言い難い。更に住み込みで働いて貰うには、勤めていたクラブを辞めて貰うことにもなるのだ。当面の生活費も考えねばならないし、端金で頼んだところでまさに受ける筈がない。加えて他言無用が必須条件というのだから、どうしたってそれなりの金額を提示する必要があった。そしてそもそも、すべては矢島本人がキッカケだったのだ。

「それから、あいつのことも見張らせてくれ。屋敷を出てから帰り着くまで、誰とどこで会って何をしているのか、俺に逐一報告させて欲しいんだ」

 愛菜のことも調べさせて欲しい。いきなり矢島がそう言ってきたのだ。そして結果、占い師は簡単に見つかるが、望んでいた関係修復はまるで叶わない。更にちょうど同じ頃、愛菜への調査で面白い事実が浮かび上がった。なんと愛菜自身、矢島の身辺を調べさせていたのである。

 絶対に、浮気をしている。もしかしたら、囲っている女くらいいるかもしれない。そんな事実が証明できれば、財産の半分くらいは慰謝料としてふんだくれる。そう思い込んでいた愛菜だったが、探偵社から届くのは、彼女にとって芳しくない結果ばかり。予想に反して、矢島には女の影がまったくなかった。商売絡みでクラブなどに出掛けても、客に相手させるだけで自分は女に見向きもしない。

 そんな情報を手に入れた金田は、愛菜の調査結果を改ざんし、当たり障りのない報告書を矢島に渡した。そして今度は愛菜へ近付き、浮気程度で手にできる端金について話聞かせていったのだ。

「だいたいね、それだって普通の奥方の場合ですよ。万一裁判で普段の生活を洗いざらい出されたら、そんな数百万程度の慰謝料だって貰えるかどうか……」

 家事一切することなく、毎日のように出掛けてブランドものを買い漁る。ここ最近は、平気で六本木界隈を飲み歩いたりするようにもなった。そんな事実を並べ立て、

「奥さんが入れ込んでいる若いホストいますよね? いったい彼に、これまでいくら注ぎ込んできたんです? まあ、変な関係にはなってないようですけど、とにかく裁判でご主人の弁護士に、クラブでの写真でも出されてご覧なさい。まるで立場が逆転しちゃうんじゃありませんか?」 

 更にそう続けて、もっと別の方法を考えるべきだと助言する。

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