第2章  異次元の時 〜 悪魔(2)

 悪魔(2)




 香織は、まるで下着を着けていなかった。そんな認知と一緒に、鼻腔を撫でるように甘い香りが鼻を突く。それでも矢島は、照明に照らされ透き通るような香織の肌に、抗うように手を触れようとはしなかった。かといって、その視線を逸らそうともしないのだ。

 ――いったい、おまえは何をしている? 

 そんな感じの顔付きをして、目の前に立つ香織をジッと見上げている。

 ところが矢島のポーカーフェイスも、その後すぐに崩れ去るのだ。

「今頃は、きっと奥様も……」

 香織が矢島の耳元でそう呟いた時、矢島の顔が一気に変わった。それはきっと、疑念、更には恐れといった感情が、すべて怒りに変質してしまった瞬間だろう。それからはあっという間のことだった。たった数分で香織は尻を浮かし、突き上げてくる矢島に合わせ、自らも腰を前後左右へと振りしごく。禿げ上がった矢島の頭部を抱きかかえ、乳房がひしゃげて彼の顔を覆い隠した。そしてふと……、

「ねえ、お願いがあるの……」

 香織が腰を上下させながら、荒い息でそう呟いた。

「小さくていいの。そうすれば、いつだってこうして逢えるでしょ? それに、うちの子も言ってるのよ。あなたのこと話したらね、おじちゃんに早く会ってみたいって……」

 小学校1年生の娘と、2人で暮らせるマンションが欲しい。それは矢島さえその気になれば、実際いとも簡単なことなのだ。香織は荒い呼吸に無理矢理乗せて、そんな言葉を何とか言った。

「ほら、これが、わたしの娘……」

 更にそう続けて、両腕に引っ掛かっていたワンピースの裾を引き寄せる。懸命に腰を捻りながら、腰辺りのポケットから小さな写真を取り出した。

「ね、可愛いでしょ?」と、それを矢島の顔へ翳して見せる。

 すると一旦は写真に目を向けるが、彼はすぐに視線を外してしまうのだ。

 矢島の動きに乳房が波打ち、手にある写真もゆらゆら揺れた。それから2人は、一言も口を開くことなく、ただひたすらに同じ動きに終始する。ところが後少しで矢島が果てるというところで、突然彼の動きがピタリと止まった。天を仰ぎ、首をくねらせていた香織の動きも同じく止まる。その時、矢島は香織の乳房に頬を当て、彼女の手にある写真の方に目を向けていた。香織から見える矢島は、確かにそんなふうに見えたのだ。だが彼が見ていたのは写真ではない。その先にある存在に気が付き、ただ驚いて動くことができなくなった。男がすぐ目の前にいた。ついさっき目にしたばかり、まるで意味不明の存在が、いつの間にか手が届きそうなところに立っている。

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