第1章   日常 〜 電信柱の少女(2)

 電信柱の少女(2)

 



 ゆうちゃんの掌に、無数の小さな火傷の痕があった。皮が剥け、膿みが滲んでいるものや、瘡蓋ができかけていたりと1日や2日でこうはならない。火の点いている煙草を何度も押し付け、そのまま放置していればこうなるのか? おじさんとやらか? それとまさか母親の方か? 吐き気にも似た憤りが駆け巡り、俺はただただそんなことばかりを考える。堪らなかった。こんなに辛いのは初めてのことだ。だいたい、ここまで小さな子供だなんて反則だろう! 頭の中で、そんな思いだけがぐるぐると渦を巻いた。普通なら、一生掛かって体験するくらいの苦痛を、ゆうちゃんはこんな年齢で背負い込んでしまった。そして今、きっと何かをして欲しくて俺の前に現れた。こんな時、俺はたいたい同じようなことを口にする。相手に合わせた言葉を選び、ここはもうあなたのいるべき場所じゃない――ってことを誠心誠意訴えるんだ。そうしておいて、暫く相手の反応を窺うと、

「どこに向かえと言うの?」 

「わたしが死んだ? 馬鹿なことを言うんじゃない……」

 だいたいは、こんな感じの答えが返ってくる。ただゆうちゃんからのはこんなんじゃなかったし、俺だっていつもより、数段優しい感じで話したさ。それでもやっぱり、ゆうちゃんからの返事は〝イエス〟じゃない。そして結局、俺の思いが通じたのかどうか、本当のところはまるで分からないままだった。

「ゆうちゃん、ここにいたいの……」

「どうして? ここって、寒くない? 」

「…………」

「それに、暗いし怖いでしょう?」

 俯いたまま黙ってしまったゆうちゃんへ、俺は更に明るい声でこう言ったんだ。

「そうか、ゆうちゃんは帰るところが分からないんだね……だから、ここにいたいって思うんでしょう?」

 そんな声に、ゆうちゃんは顔をフッと上げ、少しだけ力の籠もった声を返した。

「おじちゃんと、一緒に行きたい……」

「おじちゃんと一緒に? 」

 こんなこと言われたのは初めてだった。だから最初は、まさか俺のことだなんて思わない。

「おじちゃんのところ、いいところ? 痛くないの?」

 こう聞かれて、〝おじさん〟ってのが俺のことだとやっと知る。だから咄嗟に、

「痛くなんかないよ。遊園地みたいに楽しくて、お空の上をジェットコースターに乗っていろんなところに行けるんだ。だからね、そこはゆうちゃんにとっても、もの凄くいいところだと思うよ。そうだ、これから一緒に探しに行こうか? 痛くなんか全然なくて、明るくてあったかくて、天国みたいにいいところ……」

 と、まさに本題を切り出してしまった。するとそれだけですべてを悟ったように、ゆうちゃんの表情がパアッと明るくなる。ただそんな印象も一瞬のこと。赤黒く爛れたところが引き攣れたのか、すぐにその顔を歪ませてしまうのだ。そしてそのまま、なぜか俺から背を向けてしまった。 

 そこからのシーンは、できるなら記憶から消し去りたいと強く思った。そんな一瞬の笑顔の後すぐ、ゆうちゃんはあまりにたどたどしい歩みを見せる。両足を引きずるように歩くその姿は、見事なまでに俺の心に突き刺さった。涙腺は緩み始め、そんな歪んだ視界の中、彼女は古ぼけたアパートの外階段を上がっていった。

 ――きっと、あのアパートのどこかに、ゆうちゃんの死体がまだあるんだろう。

 そんなものを目にした後、彼女は天へと旅立つのだろうか? それとも旅立てない理由がアパートにあって、そんなものとの決別の為に向かったのか? ただどっちにしても、こうなった後の俺にできることは、ゆうちゃんが成仏できるようただ祈るだけだった。

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