王国 -4-

 十数分後、リンは大浴場から出てきた。

 大浴場は脱衣所よりもさらに広く、そこでも林は貸し切りの罪悪感を覚えたが、身体は十分に休むことができた。

 ここまで大きな湯船に、こんなに長く入っていたのは、一体何年振りだろう。

 記憶が曖昧なのはかなりの大昔だからか、そもそも経験がないからか。

 林はそんなことを考えながら脱衣所を歩き、自分が制服を脱いだ場所を探した。

「……あれ」

 制服は置いていなかった。代わりに、現地の服だと思われるものが綺麗に畳まれている。使用人の人が置いていったのだろうか。

 林は一瞬困惑したが、服の形を見て、特殊な着方が必要なものではないと分かると、とりあえず袖を通してみることにした。

 洋服と、アジアの民族衣装が一緒になったような服。袖は七分で、布は軽く涼しい。風呂上がりの熱い身体には、丁度いいものだ。

 布の色は、濃い赤色だった。自分の好みを話した覚えは無かったが、使用人と自分の感覚が上手い具合に合わさってくれたのだろうと、林は普通に喜んだ。

 しばらく自分の姿を堪能していた林だったが、あることに気付いた。

「……待てよ、わたしに着替えが用意されているということは……」



「あははは! あっはっはっはっは!!」

 数分後、林は大広間で爆笑していた。

 彼女の目の前には、林と同じように、現地の服を着た定藤サダフジ、ニコラス、ウォールの姿があった。定藤が紫、ニコラスが黄色、ウォールが青い服だ。

 定藤とニコラスは、バツの悪そうな顔をしている。

 林が笑いながら言う。

「どちら様ですか! 特に定藤さん!」

「誰だか分かっておるではないか!」定藤が片足で床を踏み鳴らした。「仕方あるまい! 湯から上がればこれしかなかったのだから……!」

「笑われると俺も急に恥ずかしくなってきたぞ……」

 ニコラスが顔に手を当てた。

「い、いやいや! 似合ってるんですよ! 似合ってるから面白いんですよ!」

「どういうことだよ!」

 林とニコラスが言い合っていると、遠くから中年女性が歩いてきた。

「皆様おそろいのようで……」

 彼女は、γガンマを肩車している。

「え、え!? ガンマちゃん!?」

 林が声を上げた。γは子供用の服だと思われるものを着ていた。色は緑だ。

 林は女性からγを受け取ると、「かわいい! かわいい!」と言いながらγの頭をわしわしと撫で始めた。γの顔は無表情で、喜んでいるのか嫌がっているのかは分からない。できればこちら側であってほしいとニコラスは思った。

 林がγを撫でていると、向こうからホーシュとウミニーナが歩いてくるのが見えた。ホーシュが前、ウミニーナが後ろを歩いている。

 一同の前まで近づくと、ホーシュが言った。

「お待たせいたしました、勇士の皆様。ただ今より国王陛下の元へお連れいたします」

 その言葉を聞いて、林の身体に急に緊張が走った。

 考えてみれば、一つの国の王様に会う経験など今までしたことがない。いや、学校のクラスメイト達だってそんな経験ないだろうし、これからだってほとんどの子がそうだろう。

 こんな立派な町を治めている王様。どんな人だろうと、林は仲間の顔を伺った。

 ウォールとγは依然落ち着いた様子だが、ニコラスは林と同じように緊張した面持ちだ。

 気になったのは定藤で、先程林に怒った時とは一変し、いつになく(出会って一日も経ってないが)真剣な顔つきだ。しかし、林やニコラスが感じている緊張とは、違う感情がその顔に宿っているように見える。

 ……王様に何か言うつもりだろうか? 変なことにならなきゃいいけど……と林が考えている内に、ホーシュが歩き出した。一同もそれに続く。

「……?」

 その時、林はホーシュの真後ろを付いていくウミニーナの表情が、先程よりも沈んでいるように見えた。

 気になった林は、ウミニーナに話し掛けた。

「ウミニーナさん?」

「……はっ、な、なんでしょうか」

 声を掛けられるとは思っていなかったのか、ウミニーナは驚いた顔をした。

 しまった悪いことをしたかと林は思ったが、とりあえず聞きたいことは聞くことにした。

「えーと……今から会う国王様は、ウミニーナさんのお父様なんですよね?」

「は、はい……その通りです」

 ウミニーナがおずおずと返答する。先程町を案内してくれた時とは、随分と態度が違う。

 まるで何かを恐れているような。林はそれを確かめるべく続けた。

「失礼かもしれないんですけど……国王様って、怖い人ですか……?」

 ウミニーナが目を丸くした。それからハッとし、慌てた様子で林に答えた。

「そんな! 父上はとてもお優しい人です! ご心配には及びません!」

「そ、そうですか」

 ウミニーナの言葉に嘘はなさそうだ。彼女が恐れているのは、自身の父親ではないらしい。

 では、一体何に? 自分が大浴場にいる間、ウミニーナに何か変わったことがあったのだろうか。

 林が考えている内に、一同は広い廊下を抜け、大きな扉の前に辿り着いた。扉には巻貝のような装飾が施されており、色も鮮やかだ。

「国王陛下は」先導していたホーシュが振り向いて言った。「気丈なお方で有らせられまするが、ご高齢であり、最近は体調を崩されがちです。あまり激しい事はさせませぬよう、お願いいたします」

 ホーシュは頭を下げると、前に向き直り、扉の取っ手を両手で掴み引いた。重厚な音を立てながら、扉がゆっくりと開いていく。

 扉が完全に開くと、広い空間が一同の前に現れた。

 部屋と言うには幅が広く、屋根も天井が抜けているように高い。部屋の中央には深紅の絨毯が一直線に敷かれ、その先に、豪華な装飾のなされた玉座が置かれている。

 玉座には、一人の老人が腰を据えていた。

 真っ白な長い髪に、長い髭。林達の来ている衣装よりも、さらに格式高そうな意匠のなされた服装。水晶玉のような宝石が先端に付いた杖を右手に持ち、頭の上では螺旋状の王冠が銀色に輝いている。

「クリフレイシ国王陛下。異世界の勇士達をお連れいたしました」

 ホーシュが膝を付いて告げた。

「前へ」

 国王──クリフレイシが、見た目よりも若く、よく通った声で言った。

 一同は絨毯の上を進んで行く。玉座の目の前まで来ると、クリフレイシの目がよく見えた。

 透き通った青天のような青い瞳。身体は老いていても、その目には若々しい魂が宿っているような印象を林は覚えた。

 クリフレイシは、再度口を開いた。

「余が──アバロニア王国第23代国王、クリフレイシである。勇士達よ、よくぞ我が王国へ、馳せ参じてくれた」

 クリフレイシは落ち着いた口調で自らを紹介した。

 自分達も名前を名乗るべきかと林が考えた時、目の前の定藤が、急にその場で座った。

 林とニコラスが驚いていると、定藤は胡坐あぐらをかくと、両手を前に付き、無駄のない所作で頭を下げた。

里崎サトザキ定藤と申します」

 定藤は実に丁寧な口調と所作で、自らを紹介した。意外な態度に林が唖然としていると、クリフレイシが定藤に言った。

「我らの国とは異なる所作だが……そなた、上流階級の出であるか」

「さほどの者ではありませぬ」

 定藤が顔を上げ、林の方を見た。

「ほれ、おぬしらも挨拶せい」

「あっ! は、はい!」

 林が慌てて定藤と同じように座り、手を付いて頭を下げた。

火神カガミ林です! 歳は17で、えーと……絵を描くのが得意です!」

「……17……?」

 近くに立つウミニーナがそう呟いたが、林には聴こえなかった。

 クリフレイシが言う。

「ウミニーナと同じ歳か。しかし、その割には…………」

「…………?」

 クリフレイシが言葉を止めたので、林は頭を上げた。

 クリフレイシは一度咳払いをした。

「……いや、関係のない話はよそう。続けてくれ」

 促されるように、ウォールがγと共に一歩進み出た。

「ウォール・マインと申します。メンバーで最も年を重ねておりますが、代表はそこの定藤に一任しております」

「人化志向……いえ、キャンサーγと申します」

 ウォールとγは共に頭を下げた。

 クリフレイシが目を動かす。

「そなた達は、親子か?」

「え? ああ、いえ! 違います」

 ウォールが慌てて訂正した。

「我々は一人ひとり違う境遇の者でして、彼女も仲間の一人であり……貴方方あなたがたの言う勇士の一人であります」

 ウォールはγの紹介を兼任するようにそう告げた。

 クリフレイシは一瞬目を小さくしたが、特に何かを言う様子はない。

 ニコラスがウォールの背を見つめる。おそらくウォールの言動には、自信を無くしているγをカバーする目的があるのだろう……しかしそれを、γは本当に望んでいるのだろうか。

「…………」

 γは、国王の前でも変わらず無表情だ。

 ニコラスは控えめに頭を下げた。

「……ニコラス・ニコットです」

 ニコラスはそれだけ言って、挨拶とした。

 定藤に文句を言われるかと思ったが、ニコラスの方を見ずに定藤が告げる。

「クリフレイシ殿。貴方様の国を拝見つかまつりおおよそ半刻。この定藤、申したき儀がございまする」

 定藤は再び、うやうやしく頭を下げた。

 林とニコラスは、その行動が何か良からぬことの前兆ではないかと危惧したが、クリフレイシは「何である」と定藤に返した。

 定藤が顔を上げた。

「完敗いたした」

「……はぁ?」

 言葉の真意が分からず、ニコラスが気の抜けた声を漏らした。

 クリフレイシは表情を変えず、定藤に聞き返す。

けた、というのは、何である」

それがし、元は数国の領地を統べており、手前味噌ではありますが、経営にはそれなりに気を遣うておりました……されどこの国は、某の領地の幾千は上を行っておりまする」

 定藤が自嘲気味に微笑んだ。

「湖という天然の堀に、高き城壁による強固な防備。その一方、場内では商人達が大手を振って商いを行い、民の衣服にボロは無い。魔物とやらの荒くれ者さえ従えている。かようなものを見せられてしまえば……領主として敗けたとしか言いようがござらん」

 定藤は、また両手を前に付き、美しい所作で頭を下げた。

「この定藤! それほどの人物からの頼み事とあらば、如何なる任も果たして見せる所存! 何なりとお申し付けくだされ!」

 定藤の勢いに圧倒されて、林とニコラスはポカンと口を開けていたが、ニコラスが我に返って定藤に近付き、小声で訴えた。

「いや待て待て待て待て……! また何勝手に話進めてんだ馬鹿リーダー! お前さっきウミニーナに『願いを聞くのは難しい』って言ってたじゃねぇか……!」

 定藤は顔を上げてニコラスを見た。

「それはここの者達の素性を知らなかった故じゃ。この国をこの目で見て、主をこの目で見て、わしは決めた……わしはこの御仁を信じてみたい。わしは京に上ったことがある。公方様にも会った……しかしこの御仁はそこで会った方々とは一味も二味も違う」

「例えの味が分かんねぇんだよ! 俺達にも味見させろ!」

 ニコラスが定藤の肩を揺らした。

「待て」

 クリフレイシが言った。騒いでいたニコラスがピタリと黙るくらいに、クリフレイシの声はよく響く。

「……サダフジ殿、異世界の領主であるそなたからの称賛、素直に嬉しく思う。しかし、そこのニコラス殿が怒るのも、尤もなことである」

「……そ、そうですか」

 外な人物から自分の言動が肯定され、ニコラスは反応に困った。

 クリフレイシは定藤達から目を逸らし、しばらく黙り込んだ。

 透き通る青空のような目を細め、クリフレイシは静かに呟く。

「余は、大した人物なんかではない」

 弱音のようなその言葉も、よく通る声で一同の耳に入り込んだ。

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