王国 -3-
一同は道を真っ直ぐ(途中幾度も店の前で立ち往生する
その王宮も、ニコラスには意外な見た目だった。城のような形の背の高い建物を想像していたが、実際は装飾の少ない平らな壁の建物で、縦に高いのではなく、横に広い構造をしていた。
王宮の正面玄関から中に入ると、大広間に出た。そこでは何人もの人が動き回っていたが、一人の中年女性がこちらに気付いた。
「姫様……!? 姫様! よくご無事で!」
女性は涙を浮かべながら、ウミニーナに抱き着いた。それが合図のように、周りの人が全員近付いてきた。
「姫様がお帰りだ!」
「お体は大丈夫ですか! 姫様!」
「そ、そこの者達は……? もしや!」
「みんな、落ち着いて!」中年女性を優しく引き離しながら、ウミニーナが言った。「詳しいことはゆっくり説明します! でもまずは、ここにいる方達を大浴場に連れていってください」
王宮の人達は一瞬狼狽えたが、すぐにウミニーナの指示に従って、
その際「女性の方はこちらです」とウォールの手から
林はウミニーナに抱き着いた中年女性に、自分達が戻るまでγを押さえておいてほしいと伝えると、前の三人とは別の場所へ案内された。
男性用大浴場には、定藤とニコラス、ウォールの三人しか居なかった。
風呂場を空けて欲しいと頼んだのは林だけだったが、ウミニーナが気を遣って貸し切りにしてくれたらしい。
しかし、ニコラスは非常に気まずい思いをしていた。大浴場は、三人で使うには広すぎるのだ。
大理石のような滑らかな石の床が何十メートルも横に広がり、天井は見上げる空のように高い。浴槽は一つだけだが、その面積はフロアの半分を占めている。
個人的には熱すぎるくらいの湯船に浸かりながら、ニコラスはため息を吐く。彼が気まずいと感じているのは大浴場だけではない。一緒に浸かっている人間に対してもだ。
ニコラスは、自分が貧弱と感じたことはあまりない。
しかし、隣で湯に浸かる筋肉の化け物共を見ると、否応なしに己の身体が細く弱々しく見えてしまうのだ。
鎧を着ている時は分かりづらかったが、定藤は見た目よりもガッシリとした体付きをしていた。ニコラスとは筋肉の付き方が違い、おそらくこれは「戦うための身体」なのだろうと思った。その証拠に、定藤の身体には所々刀傷や、矢傷のようなものが見えた。しかし、背中だけは傷一つない。
ウォールは腕と脚が太く、腹筋もかなり発達している。定藤と違って、ウォールは一定の仕事を何年も繰り返した末に身に付いたような筋肉をしていた。ウォールは47歳だと言ったが、肉体だけなら若者にも負けていない。少なくとも自分は負けたと、ニコラスは湯船に顔を半分沈めた。
さて、その筋肉達だが、さっきから黙り込んで何も言わない。ニコラスもあまり己から話すタイプの人間ではないので、大浴場内はお湯が流れる音のみが響き渡っている。
定藤は何事かを考えているようで、ウォールは困惑と感動がない交ぜになったような表情だ。気まずさに耐えかねたニコラスは湯船から顔を出し、とりあえずウォールに話し掛けた。
「ウォールさん、どうかしたか?」
ニコラスの声で、ウォールは我に返ったように首を向けた。
「……いや、すまない。このような場所は知ってはいたが、入ったことはなくてね……」
「……ずっと聞きたかったんだけど」
ニコラスが続けて話した。
「ウォールさん、あんた……この世界のこと楽しんでるだろ?」
「…………」
「あ、違うんならいいんだ。なんかそう見えただけだから」
「いや、その通りだ」ウォールが言った。「キミには迷惑な話かもしれないが……私は今の現状を、どこか好ましい目で見ている」
やっぱそうか、とニコラスは浴槽の端に両腕を置いた。
「なんかあんただけ……いや、林もそんな感じかもしれないけど……元居た世界への未練みたいなのが少ない気がするんだよな。あんたが居た国家って所では、よっぽどの事があったのか?」
「……逆さ。ニコラス」
ウォールが目を瞑り、苦笑した。
「何事も起こり得ないんだ……国家ではな。どんな事件も、どんな事故も、国家ではすぐに【存在しない】こととして処理される。そうやって、国家の優位性を保っている」
ウォールの話を聞いて、ニコラスは目を丸くした。
どうやら目の前にいる人生の先輩は、想像よりも遥かに過酷な環境を過ごしてきたらしい。
「だから私は、今の現状が好ましい」ウォールが目を開けた。「自分の行動も、他人の行動も、有り体のまま処理される。受理される。こんな状況を、私は何十年も待ち望んでいたんだ……それを自覚したのは、プラターネに呼ばれた直前くらいだがね」
ウォールがニコラスに微笑みかけた。
「プラターネには本当に感謝している。彼女の頼みとあらば、どんなことでもしてやるつもりだ……キミには本当に迷惑な話かもしれないが」
「重ねて言わなくていいよ……」
ニコラスは眉をひそめて返した。
ウォール・マイン。先程この男を「ロマンチスト」だと吐き捨ててしまったが、そうならざるを得ない背景があったようだ。
ニコラスは定藤を見る。定藤は依然黙り込んでいて、ウォールとニコラスの話を聞いていたのかも分からない。
一見単純そうに見えたこのサムライ野郎にも、複雑な事情があるのか? そしてγや、林にも。
抱えている事情ですら、自分が一番貧弱なのだろうか。
……もう、他人と自分とを比較するのは金輪際やめよう。そう思い再び湯船に顔を沈めた。
「……では姫様、あの方達が伝説の勇士様なのですね!?」
中年女性の大きな声が、大広間に響いた。
大広間には王宮中の人が集まり、ウミニーナを囲んでいる。
ウミニーナが得意げな顔で、皆に言った。
「その通り!『あの方』の言ったことは本当でした……私は手順通り儀式を行いました。すると、異世界から現れたのです! 彼らが!」
皆がざわつく。使用人の女性が一人、手を挙げた。
「勇士様ということは……あの方達も姫様のように不思議な力を使うのですか?」
「もちろんです! ここに来るまでに二人の勇士様がそのお
ウミニーナは、儀礼堂からクライゼル・シュネッケに至るまでの道中を、皆に話した。周りの人達は英雄譚を聞くようにその話に耳を傾け、驚き、泣き、歓喜した。
中年女性が、自らが押さえているγに話し掛けた。
「あなたも不思議な力が使えますの?」
「……ワタシは何も出来ません」
γが、抑揚のない声で返した。
「そんなことはないでしょう!」
ウミニーナが笑顔で会話に割って入った。
「鎧の勇士様も、火の勇士様も、初めは己の身一つで戦われておられましたが、有事の際にはその能力を発揮してくださいました! 貴方もそうなのでしょう? 能力を隠されるのには、深い訳があるのだとお察ししますが……」
「…………」
γは、返答に困った。
ウミニーナは事情を知らないだけの勘違いをしているが、間違いを言っているわけでもない。彼女の言う通り……自分が何も出来ないというわけはないのだ。
プラターネが言うには、自分達には各々の内に眠る能力が与えられるらしい。そして、定藤も林も「能力」を発現させた。となれば、いずれ自分も、ウォールやニコラスも能力を発現させるのだろう。
だが、そこに「例外」は無いだろうかと、γの「推考行動」が働く。
自分は他の4名とは決定的な違いがある。それは、自らが望んで「光の契紙」を掴んだわけではないということだ。
自分は、あの時確かにヤーナ=ギエン様の手を掴もうと「思った」。「思った」のだが、身体は紙を掴むことを選択した。自分がプラターネの前に来たのは、間違った選択による結果なのだ。
そうなった以上は、自分は周りのヒトと行動を共にするだけなのだが、あの時の選択が今の自分にどのように作用するのか、γはそれだけが心残りだった。
「姫様、勇士様達の衣服はどうしましょう?」
使用人の一人が言った。ウミニーナは小さな声で耳打ちする。
「出来得る限り綺麗に洗いましょう……鎧の勇士様の甲冑は、兵士達に任せます」
「かしこまりました。ところで、あの方達のお着替えは?」
「あっ……! 失念しておりました!」
ウミニーナが手を口に当てた。
「貴方達は男性の方の着替えを脱衣所に持っていってください! 火の勇士様の分は、私が運びます!」
「姫様自ら!?」
使用人の女性が目を丸くした。
「これぐらいはしませんと!」ウミニーナが笑顔で答える。「あの方は……特に素晴らしい人です。私よりも幼いのに、勇気があり、人情があり、強力な火の力を操れる。あの方が居れば、必ず魔王を……!」
ウミニーナはうっとりとした表情で、そう言った。
その後、使用人から女性用の服を受け取ると、速足で脱衣所へと向かった。
「…………」
γは、ウミニーナに「何か」を伝えようかと思考したが、その行動は選択しなかった。
それを選択するには、自分は林との信頼を積めていないと判断したためである。
「あなたも汚れてはないみたいだけど、服は変えましょうね」
中年女性はそう言うと、γをヒョイッと持ち上げて、肩車をした。
「ごめんなさいね……あなたのような小さい子にも、この国の命運を預けてしまうなんて……」
女性は小さい声でそう言った。γの方から、女性の表情は見えなかった。
「……痛み入ります」
今のγは、そう返すのが精一杯だった。
「……広すぎだよ」
林は、女性用の脱衣所で立ち尽くしていた。
ウミニーナは自分との約束を守り、脱衣所を林のために空けてくれたようだ。おそらく、その先にある大浴場も。
しかし、高校の教室4つ分はあるような脱衣所をたった一人で使うとなると、興奮よりも申し訳なさが勝ってしまう。
随分な
「……温泉なんて、何年入ってないかな」
林はそう呟き、服を脱ぎ始めた。
ウミニーナは、跳ね上がるような気持ちで脱衣所へ向かった。
つい先日、このクライゼル・シュネッケを出る直前は、このような心地ではとてもいられなかった。
魔物が狂暴化し、多くの町が破壊され、大切な人が奪われた──。アバロニア王国に住む多くの人間は、ウミニーナのことを気丈な姫様と呼ぶが、そんな彼女の心にも絶望と言う雲が掛かり始めていた。
故に、「勇士の召喚」は大きな賭けだったのである。
昔一度だけ聞いたことがある、お
そして、彼女はその賭けに勝った。
彼女が呼び出した勇士は五名。三名はまだ何者かも分からないが、彼らが居れば必ず、このアバロニアを取り戻すことが出来る。
特に火を操るあの少女だ。国中の兵が束になっても勝てないであろう魔物を、彼女は一瞬の内に消滅させてみせた。彼女が居れば、魔王にだって勝てるはずだ。
ウミニーナは、火を操る少女……そうだ、確かカガミリンと名乗っていた。彼女のことをもっともっと知りたいと思った。どのような人物なのか? 今までどう過ごして来たのか? 彼女が元々居た異世界とは、どのような場所なのか?
沸き立つ気持ちを出来るだけ抑え、ウミニーナは脱衣所の扉を開けた。
「勇士様! お着替えを持ってき──」
ウミニーナの瞳に、林の背中が映った。
「えっ!?」
背後から声がして、林はすぐさま後ろを振り向いた。
そこには、誰も居なかった。扉も閉じたままだ。
しかし今確かに、ウミニーナの声が聴こえたような……林は脱いでいる途中の制服に再び袖を通した。
「……ウミニーナ、さん?」
呼び掛けに応じる声はない。林は扉を開け、脱衣所の外の廊下を確認する。そこにも人影はなかった。
「……気のせい?」
林は扉を閉め、再び制服を脱ぎ始めた。
自分は思っているよりも疲れているのだろうかと、林はこの世界に着いてから初めて己の身を案じた。
「……姫様? こんなところでどうされました?」
女性用の脱衣所から少し離れた廊下で、ホーシュが言った。
そこでは、壁にもたれ掛かるような形で、ウミニーナがしゃがみ込んでいた。彼女は何故か、女性用の服を抱えている。
それだけでも奇妙だったが、ホーシュはウミニーナの表情を見てギョッとした。
彼女の顔は青ざめ、涙を流しているのだ。
ホーシュは慌ててウミニーナを抱きかかえた。
「姫様!? 一体何が……!」
「……ホーシュ……」
ウミニーナが、風にかき消されてしまうような小さな声で言った。
彼女の身体は酷く震えていた。
「…………異世界とは……どのようなところなのでしょう……」
「は……?」
ウミニーナの言わんとすることが分からず、ホーシュは気の抜けた返事しか出来なかった。
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