王国 -2-
その島の外見は、水に浮かぶ城のようであった。
島自体がそれなりの大きさをしているが、その沿岸部は少しの隙間もなく、背の高い壁が続いている。
壁は石造りで、威圧感のある灰色が目の前に立ち塞がる。覗き窓のようなものは無く、壁の向こう側がどうなっているかは確認できない。
ニコラスには、ここが巨大な収容所のようにも思えた。そしてその収容所の中に今から自分達が収監されるのだと思うと、寒気がした。
ニコラス達を乗せた舟を先頭に、小舟10隻は島を旋回する。
やがて、巨大な水門の前までやってきた。水門は両開きで、水に濡れて黒く変色した分厚い木製の扉だ。門の上には見張り台があり、そこに鎧を着た兵士達が数名立っている。
ウミニーナが船首で手を挙げた。
それを見た見張りの兵は、隣にいる兵達に目配せする。兵達は頭を下げると、後ろに下がっていった。
ウミニーナはそれを確認すると、ニコラス達の元へ近づいた。
「勇士の皆様。門を開けますのでしばらくお待ちください」
「うーむ」と
「大した城じゃ……ウミニーナ殿。こうも隙間が無いと、攻入ろうと思う者も少なかろう」
「恐縮です。実際この強固な防壁のおかげで、首府『クライゼル・シュネッケ』は魔物の攻撃を受けたことがありません」
ウミニーナの言う通り、城壁は所々に苔が生えていたり、長い時の流れで石がひび割れていたりはするが、外部からの攻撃と思われる痕跡は全く見当たらない。
中々開こうとしない巨大な門に圧倒されながら、ニコラスが呟く。
「こんなでっかい要塞があるなら、俺達の力なんて要らないんじゃないか? こいつより良い仕事が出来る自信ねぇぞ、俺」
「……そうもまいりません」ウミニーナが表情を暗くする。「首府の守りは完璧ですが、アバロニアには100を超える町があります。その全てがこのような防備を持っているわけではないのです。首府だけでは国は成り立ちません……数ある町と貿易をして、この国は動いているのです」
「貿易……ということは、この中にも市場があるのですか?」
城壁を眺めていた
「もちろんですよ」ウミニーナがフフッと笑う。「作物を売る人が居なければ我らは食べていけませんし、布を売る人が居なければ明日着る服にも困ってしまいます」
「市場ね」
ニコラスは、この収容所の中にどんな店があるのかと、嫌な想像を巡らせた。
すると、門がギ、ギ、ギと軋むような音を出し、ゆっくりと前に開いていくのが見えた。
「……いよいよか」
「ここに入ったら、我々はどうすれば?」
ウミニーナが答える。
「舟を止めた後、我らと共にまっすぐ王宮に向かっていただきます。そこで王に会って……あ」
そこで、ウミニーナが何か大切なことに気付いたようだ。
彼女は、ウォール達5名の姿を順番に、じっくり観察するように見た。
「えー……と」
ウミニーナは近くにいる兵士に何事か耳打ちすると、笑顔でウォール達に向き直った。
「皆様! 遠いところから来られてお疲れでしょう! まずはお風呂に入られて、休息を摂られるのがよろしいかと!」
「…………なるほど。そうですな」
ウミニーナの意図を察したウォールは、ぎこちない笑みを作って返した。
その後、さりげなく自分の格好を確認した。
国家支給の業務用スーツは質が良いとは言えないが、今はさらに酷い状態だ。
図書館の火災の時に被った
γの着る白い服は材質が良いのか、汚れはほとんど見当たらない。しかし林の制服はボロボロで、髪も乱れてグシャグシャ。ニコラスの軍服も酷く汚れ、所々に穴まで開いている。
特に酷いのは定藤だ。定藤の鎧はどこを歩いていたのか泥まみれで、さらには返り血もベッタリ付着している。顔も何日も洗っていないようだ。
如何に「勇士」とはいえ、こんな出で立ちの者を国の代表の前に置くわけにはいかないだろう。
定藤とニコラスもそのことに気付いたらしく、各々自分の格好を確認し、苦笑したりカッカッカッと大笑いをしている。
そんな中、林が困った表情でウミニーナに言った。
「……あの。王宮のお風呂というのは、その……大浴場みたいな感じですか?」
「……? はい! そうですが」
ウミニーナの返答を受けて、林はしばらく考え込んだ。水門はまだ開き切らない。
「……ウミニーナさん、出来ればなんですけど」林が口を開いた。「お風呂には、わたし一人で入りたいです。あと、脱衣所も一人で使わせてほしいです」
「え? えっと……構いませんが、それはなぜ?」
林は一瞬言葉に詰まったが、すぐに言い訳を考えた。
「えーと……わたしが居た国では、女性は一人でお風呂に入るんですよ! わたしは今までそうしてきました」
「そうでしたか! それは失礼しました」
ウミニーナは言い訳を信じてくれたようで、頭を下げた。
その隙に林はγに「ゴメン」と目配せしたが、γは「ワタシは入浴を必要としないため問題ありません」と小声で返した。
「姫様、門が開きます!」
別の舟の方から、ホーシュの声が聞こえた。
彼の言う通り、水門は舟10隻を一度に通せるくらい大きく開かれる所だった。
左右の扉が静止し、一際大きな波が起こる。その波に揺られながら、一同を乗せた船団は、クライゼル・シュネッケの中へと入っていった。
ウミニーナが船首に戻り、大きな声で言った。
「勇士の皆様! ようこそクライゼル・シュネッケへ!」
ニコラスが最初に抱いた感想は「意外」だった。
船着き場に舟を止め、そこから歩いて進み入った内部は、外観の威圧的な灰色とは打って変わり、鮮やかな色の見本市だった。
島の内部は、中央に幅の広い一本道が引かれていて、その道沿いに「店」が立ち並んでいる。店の屋根は各々、赤、紫、黄色いった異なる色の布が掛けられていて、店に置かれた品々も水産物から農作物、食器、絵画など多種多様だ。
店の主人は声を上げ、笑顔で商品の説明を行っている。道は、洋服とアジアの民族衣装が合わさったような服を身にまとった人々で溢れ、どの店にも必ず五、六人ほどの客が付いている。
通りには所々で細い分岐道があり、その先には商人や客の家だと思われる民家が並んでいる。城壁に使われている灰色の石ではなく、赤や橙といった色合いのレンガを、パッチワークのように積み重ねた建物だ。
時刻が夕方なのもあるかもしれないが、目に入る景色の全てが、赤を基調とした温かみのある色合いをしている。
ニコラスはこの光景に息を飲むばかりだったが、林は目を輝かせて近くにある雑貨の店に突撃した。
動物の皮等を用いた、御守りのようなものを売っているらしい。見たこともない形だ。現地の通貨を持ち合わせていない林にそれは買えなかったが、それよりも林は、今手元にスマートフォンや、スケッチブックを持っていないことを大いに悔やんだ。
ウォールと定藤は、唖然として町の様子を眺めていたが、不意に、彼らの背後を大きな影が横切った。
「……ぬおっ!?」
定藤が驚きの声を上げた。影の正体は、額から一本の長い角を生やした、巨大な青い馬のような生き物だった。定藤の手が腰に下げている剣に触れようとしたところで、ホーシュが声を上げた。
「勇士様! その『
「お、温厚……?」
定藤は手を止め、夜歩と呼ばれた魔物をよく見た。背中に平らな
夜歩が通り過ぎるのを見ながら、定藤が言った。
「あ、あんな大人しい魔物もおるのか?」
「夜歩は、古から人との関わりが深い魔物です。他にも、人と友好的な魔物はいますよ」
ホーシュは笑いながら定藤に説明していたが、ふっ、と笑みを消した。
「それも、魔王が現れてから数を減らしてしまいましたが……あの夜歩さえも、別の地方で人を襲ったという話を聞きました」
ホーシュの話を聞きながら定藤は、長い尻尾を揺らして歩く夜歩の姿を眺めた。
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