3話 王国
王国 -1-
日はすっかり傾いていた。
湖面は陽光により深紅に染まり、船が起こす波によって揺らめく。
湖を進む十隻の船。その一隻の上で座るニコラスが口を開いた。
「……まだ起きねぇなこいつ」
ニコラスの視線の先には、布袋を枕に仰向けに倒れている
ニコラス達5名は船のちょうど中央辺りに座り、ウミニーナや他の兵士達は船首、船尾に別れて周りの様子を伺っている。
「鼻でも耳でもつねって……」
「やめろ主犯」
林に伸びる定藤の手をニコラスが掴んだ。
「きっと疲れが溜まっているのだろう」
「……異世界に来てから、ね」
ニコラスは眠っている林の顔を見る。
目の下に深く刻まれたクマ。顔の隅々まで貼られた絆創膏。かさぶたになっている治りかけの傷。
先程の戦いでマゼンタ色に染まった髪の毛は、元のボサボサの黒髪に戻っている。
「……なあ、皆はこいつのことどう思う?」
ニコラスが林を見つめたまま言った。
他の3名が、ニコラスを見る。
「こいつがここに来る前に『どんな生活』をしてたのかは想像がつく。俺のいた国にもこの手のガキはいっぱい居た……大抵は誰にも見られることなく、ボロボロのまま死んでいくガキが」
「……わしもかような手合いを何人も見たものじゃ。野盗に連れ回されている者もいた。……林のいる日ノ本では戦は終わったようじゃが、それで民の全てが豊かになっておるとは限らんらしい」
定藤がそう言い、ウォールも無言で頷いた。γは黙っている。
「……だけど、俺はさっきの戦いで分からなくなった。こいつの『能力』を見た時に」
ニコラスが言った。
「あそこまでに強大で、暴力的なパワーを、この手のガキが出せるなんて俺は信じられない……それに、戦っている時のこいつの変わり様……」
ニコラスが林から目を逸らして、皆の方を見やった。
「こいつ……もしかして元の時代で……」
「それでも林様はワタシ達を助けてくれました。それは変わらない事実です」
γが口を挟んだ。
彼女の目は、真っすぐ林の顔を捉えている。
ウォールがそうだ、と言葉を繋げる。
「我々には例外なく、この異世界に至るまでの何かしらの理由を持っている……彼女の理由が何であろうと、彼女が我々の仲間だということは変わらない」
ニコラスがウォールに顔を向ける。
「……おっさん、あんた意外にロマンチストだよな」
「【ロマンチスト】か……良い言葉だ」
ウォールはそう言って微笑した。ニコラスは何が可笑しいのか分からず、顔をしかめた。
「……何故かような
定藤が言った。3名が定藤に注目する。
「ウォール殿の申す通り、わしらは各々にかような所に来た
定藤が歯軋りした。
「わしだけでは勝てなかった。ホーシュ達の助けを借りても勝てなかった。されど、林だけが奴らに勝てた……それが悔しくて仕方がない」
ニコラスは定藤に何も言わなかった。
生き方も、考え方も、自分とはまるで異なる男だ。だが、少なくとも林に対しては同じような気持ちを抱いているようだ。
林の能力の発現によって、スライムを退けたということ。それは良い側面だけではないと、定藤も感じている。
「今後も、林はなるだけ後衛に置くつもりじゃ……されど林はそう考えまい。己に力があると知った今、こやつは積極的にその力を振るうことだろう。左様な
林を見る定藤の目は、怒りと哀れみと心配がない交ぜになったような、複雑な色をしていた。
自分もこいつのことをそう見ているのだろうか、とニコラスは思った。しかし、自分と定藤とは決定的な違いがある。
いくら林の身を案じたところで、自分には定藤のように、林を助けられるだけの力が無い。
ニコラスがちょうどそんなことを考えたタイミングで、定藤が言った。
「されど、わしらにはまだ機会がある。5人おる中で、能力とやらが現れたのはわしと林の2人……まだ3人残っておる」
定藤が林から目を離して、皆の方を見た。
「わしも尽力するが、これからは皆の能力による働きが重要になってくる。『リーダー』として皆に申し置く……くれぐれも、こやつに無理はさせぬよう取り計らってくれ」
「能力が目覚めるまでもないさ、定藤」ウォールが言った。「それに助けるのは林だけじゃない。キミだって助けるし、ニコラスや、γだって助ける。自分の持ち得る全てを利用して、チームのために働くさ」
「……おっさんは覚悟が決まってて清々しいぜ」
頭の後ろで手を組みながらニコラス言った。
定藤がカッカッカッと笑う。
「何、おぬしの働きにも期待しておるぞニコラス」
「そりゃどうもよ……」
「仮におぬしが火を出せるようにならば、林を前に出す必要が
「そんな草に水撒くくらいのノリで火を出せるか!」
ニコラスと定藤が言い合っていると、γが口を開けた。
「……ワタシはいつになれば、皆様のお力になれるのでしょうか」
んー? と定藤がγに目線を移す。
「殊勝な童じゃのう。おぬしこそ後ろに下がって見ておればよいのじゃ。ジッとしてな」
「いやだからあいつ人間じゃなくて機械なんだって……そもそもお前機械分かるか?」
定藤とニコラスを尻目に、ウォールがγに耳打ちした。
「焦ることはない。キミを連れて行くと決めた時にも言ったことだが、キミが役に立つ時はきっとくるはずだ」
「ですが……」
「何も、戦うことだけが人を助ける技術ではない」ウォールがγの肩に手を置いた。「この私も本来は司書だ。司書の仕事は戦場では生かし難い。キミだって元々、戦いに用いられるAIというわけではないだろう」
「……はい」
「ならばこの広い世界、我々に仕事が回ってくるタイミングはきっとある。今はそれを待てばいいんだ。待っていれば、機会はくる」
ウォールがそう言ったところで、足元から小さなうめき声がした。
ニコラスと定藤も話を止める。
林が、顔をしかめながら目をゆっくりと開けた。
「……は!? ここは……わたしは一体どれだけ眠って……」
ニコラスが林に顔を近づける。
「気が付いたか。お前は実に10分もの長い年月を船の上で過ごしていたんだ」
うーんと唸りながら、林は額の辺りを押さえた。
「何か前後の記憶が曖昧……何してたんだっけ……」
「うそだろ……? 記憶喪失とか言うなよ?」
ニコラスが心配そうに言うと、定藤が笑いながら林の横に座った。
「カッカッカッ、くたびれておったのだろう? 船に乗ったその瞬間に、パタリと寝てしもうたわ」
「いや定藤さんにデコピンされました」
「覚えておるではないか!!」
定藤が声を上げると、ウォールがγを抱えたまま林に近付いた。
「林、一つ確認しておきたいんだが」
「は、はい?」
「さっきキミが見せた『火』だが……あれは自分でコントロールして出せるのかい?」
「え? ……」
林は少し考えから、スッと右手を軽く上げた。
シュボッ。メラッ。手首の辺りに炎が現れた。
「おぉう!?」
ニコラスが驚いてのけ反ったが、炎は大きく吹き上がりはせず、グルグルと手首の周りを旋廻して、リングのような形状を保っている。
林がニコッと笑った。
「はい! ……上手くは言えないんですけど、こう、筋肉の力を強弱させるような感覚で、火の大きさも調節出来る感じです。身体機能というよりは、もっとこう……精神的な感じなんですけど」
ふーむ、とウォールが手を口に当てる。
「定藤、キミの能力もそんな感覚か?」
「む? うーん……わしのはどちらかと言わば、心は一つのままで、己の肉体が増えていくという感覚じゃのう」
「そうか……人によって、能力の制御方法も異なるのだろうか?」
ウォールが考えている間に、ニコラスが姿勢を直す。
ふとニコラスは、林の髪、そして瞳孔の色が、再びマゼンタになっていることに気付いた。能力を使うと色が変わるらしい。
その時、船首の方から声が上がった。
「首府が見えてきました!」
声の主はウミニーナのようだ。皆はお互い顔を見合わせると、一斉に立ち上がり、船首へ向かった。
船首では漕ぎ手が一人立ち、その横にウミニーナ、少し離れた所に兵士達が3名程座っていた。
「なにか見えましたか?」
林が声を掛けると、前を見ていたウミニーナがこちらに振り向いた。
「あっ、火の勇士様! 起きられたのですね!」
「あはは、おはようございます」
そう言いながらポリポリと頭を掻く林の右手を見て、ニコラスがギョッとした。
「おいリン! 火消せ! 火!!」
「え? ……あっそうか!」
林は慌てて右手の火のリングを消した。それと共に、髪と瞳孔が徐々に元の色に戻る。
こいつ油断させると自分の能力で火傷するぞ……とニコラスは冷や汗をかいた。
「……それでウミニーナ殿、首府とやらが見えたのか?」
「はい! あちらです!」
ウミニーナはそう言うと、再び前を向いて、前方に指をさした。
「あれがアバロニア王国の首府……『クライゼル・シュネッケ』です!」
一同はウミニーナの指の先を見て、息を飲んだ。
湖に浮かぶ一つの島。それは沿岸を城壁でぐるりと囲んだ、要塞島だった。
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