魔物 -5-
ニコラスは自分が夢を見ているのだと思った。
スライムに半身を飲まれた
「っ!」
炎が林の身体全体を包んだ。ニコラスは思わず一歩近づくが、肌に熱を感じてすぐに身を引く。
これは本物の火だ──林の右手から、火が発せられている。
ニコラスがそう理解すると、林の身体を包む炎が収束していく。
炎が完全に晴れると、身体を覆っていたスライムは消え、林が一人地面に倒れていた。
「り、リン!」
ニコラスが駆け寄り林を抱き起す。
スライムに飲まれ、炎に包まれたにも関わらず、林の身体に新しい傷は見当たらなかった。
「………………」
ただ、林は目を開けたまま、一言も言葉を発さない。
「リン……? どうした? 大丈夫か……?」
ニコラスが声を掛けるが、林はそれには応えず、目だけを動かす。
林はジッ、と自分の右手を見つめる。
「い、今の炎は……?」
ウミニーナが呆然と林とニコラスの方を見ていたが、背後に気配を感じてすぐに顔を向ける。
先程落ちてきたスライムの残りが、立て続けに襲い掛かってきた。
「くっ……! 次から次へと……!」
ウミニーナが「念力」でスライムを止めようと、両手を前に突き出す。
が、その手を誰かが掴んだ。
「え!?」
手を掴んだのは林だった。林はウミニーナの手を下ろすと、スタスタとスライム達に向かって歩いて行く。
「リン……!?」
ニコラスが林の背に声を掛けるが、林の足は止まらない。ウミニーナが慌てて叫ぶ。
「勇士様! 危険です! お下がりください!」
「……勇士様」
林が足を止め、呟いた。
スライム達はスピードを変えずに林に向かっている。
「うん。その呼び方も良い。シンプルだし、使命感があって……だけどね、わたしにはもっと格好いい名前があるんですよ」
林はそんなことを言うと、ス……と右手をゆっくりと上げる。
ウォールに抱きかかえられている
「熱源反応……林様の右手……いや、右手首から……」
「熱……!?」
ウォールが林を見た。
前に出された林の右手に、変化が起きる。
手首の辺りから、火が現れる。火は、手首を周回するように渦巻き、まるで腕輪のような形状を取る。
林自身にも変化が生じる。何の変哲もない、ボサボサとした彼女の黒髪が、急に色付きだした。黒から濃い紫、紫へと変化していき、最終的に、鮮やかなマゼンタになる。
そして林の瞳孔も、髪と同様のマゼンタに染まった。
「自己紹介、わたしだけ途中でしたよね」
髪と瞳孔の変化が終わった合図のように、林が言った。
「わたし名前は
右手首の火のリングから、炎が
「能力は──火を
林の右手から、火炎が放たれた。
火炎は、スライムに命中すると、瞬く間に彼らの身体を溶かし、気化させる。
林達に迫っていたスライム達は一瞬で消滅した。
「こっ……これは……!?」
兵士達にどよめきが起きる。
林はそのまま駆け出し、
「林……!? 何をし……」
定藤が驚く間に、林は右手をスライムに向ける。
「……っぅうあああああああ!!」
林が叫ぶと、先程よりもさらに巨大な火炎が右手から放射された。
火炎はスライム達にぶつかり、前にいる者から順番に消滅させていく。
後方、盾を構えた兵士の一人が、震えるような声で言った。
「……神よ……彼らは……勇士様は……本当に、アバロニアを……!」
「……一体、なんじゃ……これは」
定藤が目の前の光景を見て言った。
煌々と赤い輝きを放つ火が地面とそこに生える草を燃やし、その後ろで、スライム達があきらかに狼狽えた動きをしている。
「……ふふ……あは……」
その火の前で、荒い呼吸を交えながら、林が声を出した。
「……林?」
定藤が林の肩に触れようとした瞬間、林が吼えた。
「あっはははははははははははははは!! 火だ! わたしの火だ!! これがわたしの能力!? そうだよ! これだよ!! これでこそわたしなんだ! あははははは!!」
スライム達が火を避けるように、再び個体を射出した。
「させないね!!」
林が叫ぶと、右手から炎の弾が発射される。
炎弾は一匹のスライムに直撃すると、その身を空中で蒸発させた。
他のスライム達は近くの地面に着地するが、林は「あはは!」「あははは!」と笑いながら、次々と彼らを炎で焼き消していく。
一瞬、定藤が松明を構えて前に出ようとするが、その足は寸前で踏み出されない。
「……ぐ、う……!」
定藤は、目の前でスライムを
「……あれが、あいつの『内なる能力』……?」
ニコラスが、遠くで戦う林を見て言った。
その声は、ひどく震えていた。
「…………あいつ……いったいなんなんだよ……」
ウミニーナは未だに動揺していたが、一方で冷静に戦況を分析していた。
林の火により、一件形勢は逆転したかのように見える。
しかし、先程から蒸発させられているはずのスライムが、ある一定の数より減少がない。
それはつまり、今もまだ新しい個体が森の奥なり、草の影なりから出現しているということだ。
林の出す炎も、まるで無限のエネルギー源を持っているかのように、尽きる気配がない。だが、林本人は別だ。彼女はウミニーナ達と同じような人間で、彼女一人だけが戦っていれば、いずれ肉体が疲れ果ててしまうだろう。そうなったら、スライムに飲み込まれて今度こそおしまいだ。
やはり、ここは一度この場を離れるしかない。ウミニーナが決心した時、彼女の耳に「ある音」が飛び込んだ。
聞き慣れた音だった。ウミニーナは、湖の方を見た。
「っ! 勇士様!!」
ウミニーナが大きな声を上げ、周りの者がウミニーナを見た。
離れた場所にいる定藤もその声に気付いた。そして湖の方を見て、林に言った。
「林!」
「……!」
林は定藤の方を見ると一瞬目を大きく開けた。
そして林は、右手を地面に強く叩きつけた。
瞬間、目の前に炎の壁が出現した。
スライム達には目が無いが、彼らの視界を隠すように、炎の壁が横一面に広がった。
そして数十秒後、炎の壁は消滅した。
スライム達の目の前には、誰の姿も残っていなかった。
穏やかに波立つ、湖の上。
そこを、十隻ほどの小舟が進んでいる。
その上には、兵士達やウミニーナ、定藤、ニコラス、ウォール、γ、林の姿があった。
ウミニーナ達の言う「首府」からの迎えの船が、間に合ったのだ。
しかし、危機的状況から助かったのにも関わらず、船の上では誰一人口を開かない。物音立たない湖の上も相まって、静寂な空気が流れている。
林達5名とウミニーナは、同じ船に乗っていた。
マゼンタ色の髪を冷たい風に揺らしながら、林がおずおずと口を開く。
「え……と? みんな……」
「勇士様っ!!」
ウミニーナが突然、林に抱き着いた。
「ぶえっ!?」
林の口からそんな声が漏れた。
「すごい……! あなたは! 本当にすごい! あなたは魔法使いなのですか!? それともまさか……火の精霊!?」
「ちょっ……! ウミニーナさ……! 痛い! 痛いから!」
鎧を着たウミニーナの抱擁は、制服姿の林の身体をギリギリと締め付けた。
ウミニーナはハッとして、林の身体を離した。
「すっ、すいません……興奮してしまって……」
「い、いや……エホッ、大丈夫ですはい」
呼吸を整えながら林が言った。
ウミニーナが姿勢を正し、改めて林に告げた。
「あなたのおかげで兵士46名、命を落とさずにここまでくることが出来ました。あなたがいなければ、あの魔物から逃れることは出来なかったでしょう」
「え……いや、わたしは……あはは……」
林が照れ隠しのように頭を掻いた。
「…………」
その様子を、定藤やニコラスが、複雑そうな表情で見つめる。
ウミニーナが定藤の様子に気付いた。
「あ……! もちろんあなたのおかげでもあります! あなたのおかげで森人を退けられましたしそれに……」
「え? あ、いや、違うんじゃ。わしが言いたいのは……」
定藤はウミニーナにそう言うと、林に顔を向けた。
そして何かを言おうと口を開けたが、寸前でその言葉を飲み込んだ。
「……いや、違うな。まず言うことが先にある」
「……定藤さん?」
定藤は、船底に両手の拳を当て、林に頭を下げた。
「礼を言う──火神林。わしもウミニーナ殿と同じ意見じゃ。おぬしがおったから、皆が助かることが出来た。おぬしは勇気ある者じゃ」
「えっ、ちょっと定藤さんそんな! 頭を上げて……」
「加えて」定藤が頭を下げたまま続けた。「おぬしは先の戦いで、深追いはしなかった。湖に船が来たということを知ったおぬしは、奴らの目を眩ませ、撤退を第一に考え行動してくれた」
定藤が顔を上げ、ニカッと笑顔を作った。
「おぬしに心掛けて欲しかったのは、まさしくそのような行動じゃ。わしも説教した甲斐があったものよ」
「定藤さん……」
定藤と林の会話を聞きながら、ニコラスは周りの人間の顔を見た。
さっき林に抱き着いたウミニーナも、隣で座るウォールも、笑顔で林を見つめている。同じ船に乗る数人の兵士達も全員。γは……無表情だが、まあこれはいい。
ニコラスは複雑な心地だった。
ウミニーナも、定藤も、林のことを褒めるだけでいいのか?
こいつは……褒めてもいい人間なのか?
ニコラスがそう考えていると、林があははと上機嫌そうに笑った。
「いや……すいません。あまり褒められ慣れてなくて、なんと答えればいいか分かんないんですけど……わたしも安心しました」
「ほう? 安心とは?」
定藤が林に聞いた。
林が、ふふんと鼻を鳴らして言った。
「これでいよいよ、わたしも丸腰ではありませんよ。定藤さんと一緒に戦えます!」
「…………」
定藤の表情が、固まった。
先程まで笑顔だったので、笑顔の状態のまま固まっているのだが、あきらかに穏やかとは言えない雰囲気を醸し出している。
林が「……あ」と自分が失言したのだと察し、慌てて訂正に走った。
「い、いや! もちろん!? 皆の安全が第一で! 皆を守ることを念頭に戦いますよ!? 本当に!」
すげぇやこいつ、何も訂正できてねぇ、とニコラスが呆れた顔で林を見た。
定藤が「おぉ~そうかそうか」と笑顔のまま言った。
「もう一度説教を所望かっ!」
定藤が林の額にデコピンを喰らわせた。
「うぎっ!!」
林の口からそんな声が漏れた。
定藤がため息を吐き、己の顔に手を当てる。
「よいか!? わしが言いたいのは他人の無事よりも、己の身を守るということで!」
「……サダフジ」
「いくらおぬしが妖術の類を身に着けたところでおぬしは弱い女子に変わりは無い!」
「おい、サダフジ」
「そもそもおぬしはあの火を出せる前から身を投げうちすぎで!!」
「サダフジ」
「なんじゃ!? ニコラス!!」
定藤が鬼の形相でニコラスを睨んだ。
「こいつ、ノびたぞ」
「…………は?」
定藤が口をぽかんと開けた。
前を見ると、林が目を回して仰向けになっていた。
「……どんな馬鹿力でデコピンしたんだお前」
「い、いや! さほど力は込めておらぬわ! おいっ! 林! 狸寝入りをするな! 目を覚まさんか! おーい!」
「あ、あれ? 火の勇士様どうされました?」
「つ、疲れて寝ておるだけじゃ! いずれ起きるので案ずるでない!」
「お前いま狸寝入りって言わなかった?」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ声を上げながら、5名とウミニーナを乗せた船は、湖を進んで行った。
湖の畔。
火の消え去った地面は黒く焦げ、僅かにのこった草の周りを、スライム数匹が動き回っている。
そこに、一つの小さな影が近づいてきた。
子供のような体格で、目、鼻、耳は大袈裟な程大きく、緑色の肌をした生き物だ。
しかし、そいつの左耳は、何かに貫かれたかのように大きな穴が開いている。
「…………」
そいつは、大きな目をギョロリと動かし、周りの様子をつぶさに観察する。
しばらくすると、そいつは懐から一枚の紙を取り出した。
指を齧り、傷を付けて血を滴らせる。
その血を使って、そいつは紙に何事かを書き込む。
そいつは紙を丸めると、口笛を吹いた。
近くの木から、黒い羽根の鳥が一羽、そいつの目の前に降り立つ。
そいつは丸めた紙を取りに咥えさせ、今度は口笛を二回、鳴らした。
鳥は紙を咥えたまま飛び立ち、彼方へ飛んでいった。
鳥が飛んでいくのを確認すると、そいつは踵を返し、森の奥へと消えた。
ID:P-5
名前:
能力:
【説明】
右手から炎を発生させ、それを放射する能力。
炎の強弱や、大きさなどはある程度のコントロールが利く。
能力を使う時、まず火が右手首の周りをリングのように周回する。そして、髪の毛と瞳孔の色がマゼンタに変化する。
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