魔物 -4-
「ありえない……! なぜ、あの魔物がこの付近に……!?」
ウミニーナが表情をこわばらせた。
半透明の物体に飲み込まれた
「────!」
中の定藤は声を出そうとするが、それは音として発せられない。呼吸ができないようだ。
そして次の瞬間、定藤は消滅した。
「なんじゃ!? あれは!」
ニコラスの横で定藤が言った。
定藤の「分身」により間一髪押し出されたウォールは、γを抱え、大急ぎでウミニーナ達の下に合流した。
「あ……あれは一体……あれも魔物なのか……!?」
荒い呼吸をしながらウォールが言った。
ウミニーナが歯軋りする。
「あれは
半透明で、不定形のアメーバのような生物。まるでゲームに出てくるスライムのようだ。
「えい!」
定藤が声を上げると、スライムの近くに二人の定藤が出現する。
二人の定藤は、剣をスライム目掛けて振り抜く。
「っ! いけません勇士様!」
ウミニーナが叫んだのと同時に、定藤達の剣はスライムに触れた。
瞬間、スライムは剣を取り込み、そのまま定藤達の腕も引き込んでしまう。
「っっ!」
そしてあっという間に全身を飲み込み、定藤らは先の定藤と同じ運命を歩んだ。
皆の所にいる定藤が困惑する。
「斬れぬ!? あやつはなんだ! 水が生きて動いておるのか!?」
ウミニーナが声を震わせる。
「いけない……いけないのです……! あの魔物は人の手が及ぶ相手じゃない……!」
ウミニーナが兵士達に振り向き、声を上げる。
「ここは危険です! 別の場所に移って船を待つのです!」
「はは!」
兵士達が返事をし、その場を発たんと別の方角を見た。
「っ! ひ、姫様!!」
兵の一人が悲鳴のような声を上げた。
「……! そんな……!」
ウミニーナの顔が青ざめる。
兵士達が向いた方角。そこの草むらからも、一匹のスライムが這い出てきた。
いや、それだけではない。周囲から一匹、また一匹と、新しいスライムが現れる。
気が付けば、湖を背にして、ウミニーナ達はスライムに囲まれていた。
「盾を構えろぉ! 姫様と勇士様達をお守りするのだ!!」
ホーシュが叫び、紋章の描かれた大盾を持って、ウミニーナの前に立った。
他の兵士達も続き、ウミニーナと林達5名を囲むように布陣した。
ウミニーナが叫ぶ。
「ホーシュ! 盾を並べたところで、あの者達には大した障壁にはなりません!」
「しかし時間は稼げます!」ホーシュが盾を持ったまま、真後ろの兵を見る。「おい!『火』はどれくらいで起こせる!?」
「火……!?」
定藤に後ろに追いやられながら、林が言った。
ホーシュがそれに応えるように声を出す。
「奴らは火を避ける習性がある! 松明を作り剣の代わりに振るえば、奴らを追い返せるかもしれない!」
陣の中の若い兵士が、落ち着きのない声でホーシュに伝える。
「火打石がありません! 車に積んでおりましたが……!」
兵士の声を聞き、ホーシュは顔をしかめた。
「別の方法を探せ……! すぐにだ!」
ホーシュの目には、さっきまで荷車があった場所を映している。
そこはすでに、数体のスライム達に覆い尽くされていた。
スライムの動きは緩慢だが、着実に兵士達との距離を詰めてくる。
「……そうだ!」
兵士達に押されながら、林は思い返した。
ここに来る前、さらに、プラターネに合う前のこと。
私物はあらかた焼いてしまったが──マッチ箱だけは。制服のどこかに入れておいたはず。
林は急ぎ、自分の服を探り出した。
しかし林はそこで、別のことも思い出した。
皆に出会った時だ。その際、定藤が刀を、ニコラスは銃を失くしていた。
あの空間に呼ばれた者は、無条件で「武器」を取られるのではないか?
だとするなら、自分のマッチも……と、思ったところで、手に固い感触があった。
胸ポケットから手を抜くと、マッチ箱を掴んでいた。林はホッとした。
次の瞬間、林は突発的な怒りを覚えた。
わたしの持つマッチ箱。かつて、わたしの心を繋いでくれていた、この尊い道具が、武器だとは思われていないのか?
大火を起こす要因にもなりうるこの道具が、刀や銃に劣ると言うのか?
わたしのマッチは、敵を打倒すのに役立たないと言うのか?
──そんなわけがない!
「!?」
自分の隣で急に炎が上がり、ニコラスは仰天した。
林が、火を赤く煌めかせる松明を持っていた。
林はマッチ箱からマッチ棒を一度に五本取り出し、それを同時に擦って、近くに落ちていた太い木の枝に引火させたのだ。
「ホーシュさん! 火です!」
林の呼びかけに、ホーシュが驚いた顔で振り向いた。
「ど……どうやって!? まさか! あなたには火を起こす能力が!?」
ホーシュの言葉に、林は満面の笑みを浮かべ、声を震わせた。
「そのとおり!!」
「馬鹿やってないで早く渡せっ!」
ニコラスに背中を叩かれて、林はホーシュに松明を渡そうと腕を伸ばす。
「はっ! いや違う!」ウォールが林を止める。「林! 渡すのは彼にではない! 定藤にだ!」
「え!?」
「ぬ!?」
林は一瞬困惑するが、ウォールに言われた通り定藤に松明を手渡した。
ウォールが定藤に告げる。
「定藤! それを持った状態でキミの能力を使うんだ!」
「……! 承知した! そういうことじゃなウォール殿!」
定藤が力を込めると、周りに十人程の定藤が出現した。
定藤は全員、手に松明を持っている。
「増えた……!? 定藤さんと一緒に松明が!」
林が驚いている間に、定藤が盾を持った兵士達の隙間を抜け出し、彼らの前に立つ。
そして全員が手にした松明を、スライム達に向けるように掲げた。すると、スライムの動きが止まり、後退りをし出した。
「よし! 効いておるぞ!」
定藤の一人が力強く言った。
「彼の能力は、彼自身が増えることも驚異的だが、他にも彼が『身に付けている物』をそのまま複製するという特性がある」ウォールが言う。「だから彼が着ている鎧や剣も、彼の分身に反映される……つまり、彼に松明を持たせれば彼と共に松明も増える! 一本の火より何本もの火の方が効果的だ!」
ウミニーナが定藤達に向かって叫ぶ。
「勇士様! 火はその者達の弱点ですが、松明程度の火では退かせるのが関の山です! 倒そうとは考えずこの場を離れる隙を探ってください!」
「忌まわしい限りじゃ」
定藤の一人が舌打ちした。
「湖面沿いに横にずれていく! 皆もわしらの動きに合わせよ!」
そう言うなり、定藤達は陣形を崩さないまま、ジリジリと移動を始める。兵士達も盾を構えた状態でその動きに付いていき、ウミニーナと他4名は彼らに囲まれる形で移動する。
スライム達はその場で蠢くだけで、襲いくるような気配はない。
「ホーシュ! 船はあとどれくらいで来ます!?」
ウミニーナの問いにホーシュが返す。
「先の戦いの後にすぐ使いを出したので、あと数分もしないかと!」
「数分……! 勇士様! 離れるのが難しければ、今の状態を保つことを意識してください!」
ウミニーナが定藤達に告げる。
「それまでに火が消えねばよいが……む!」
定藤は、スライム達の行動が変化したのに気付いた。
定藤達を囲んでいたスライムは、ある一箇所に集まり出した。一匹、また一匹と寄せていき、やがてスライム達が一つの小山を形成する。
定藤はその行動の意味に気付き、目を見開いた。
「皆の者!! 盾を真上に構えよ!!」
「え!?」
ホーシュが返事をしたのも、束の間だった。
山になったスライム達の、下段の者達が膨張した。そしてその勢いで、上段のスライム達が上空に弾き出された。
上空に舞ったスライム達は、兵士達の頭上目掛けて落ちてくる。
「っ!! うおおおおおお!!」
兵士達が盾を頭上に構えた次の瞬間には、スライムが大きな音を立てて落下した。
盾に弾かれた者もいるが、そのいくつかは兵士達の足下に着地する。それらのスライムは、兵士達やウミニーナを襲わんと動き出す。
「く、くるな!!」
ニコラスが地面を蹴り上げて土を掛けるが、スライムの身体に触れた土はあっという間に溶けて無くなる。スライムは動きを止めない。
定藤が分身を増やし、陣の中のスライムを追い立てるが、スライムの動きが鈍くなるだけで、その場からは離れようとしない。
「こやつ!」
定藤の一人が松明でスライムを殴った。
火の触れた部分が一瞬泡立ち、溶けるが、松明の先がすぐに吸収され、火はジュッという音と共に消える。
「皆様! 私の後ろに!」
ウミニーナはそう言うと、ニコラス、ウォール、γ、林の前に出る。
そして、両手を前に出した。
手が一瞬、淡い光を放ったかと思うと、ウミニーナ達に近付くスライムの動きが、ピタリと止まった。
「はぁっ!」
ウミニーナが声と共に両手を振る。
すると、スライム達が高速で後方に弾き飛ばされた。
林達が驚いていると、隣の兵士が言った。
「おおっ! さすがは姫様の『念力』だ!」
「念力……!?」
その力には見覚えがあった。先程ゴブリンに奇襲をされた際、ウミニーナが自身目掛けて飛んでくる矢を止め、反対にゴブリンに撃ち返したのと同じ力だ。
矢の一本に限らず、あのスライムのような大きさの者でも、同様に押し返せるようだ。
しかし、ウミニーナは額に汗を浮かべる。
「数が多すぎます……! ここで防いでいてもキリがない! 何としても逃れられる一点、一瞬を作らなければ……!」
スライムは、森の方から次々とやってくる。途切れ途切れの青い波のようになって、こちらに押し寄せてくるのが見える。先程まで乗っていた荷車は、すっかりスライム達の中に沈んでしまっていた。
定藤達や兵士達、ウミニーナが必死にスライムを食い止めるが、時間の問題なのは明らかだ。ウミニーナの言う通り、何としても逃げ道を開けなくてはならない。
ウォールが必死に考えを巡らせていると、彼の懐のγが喋った。
「ウォール様……ワタシを向こうに放り投げてください」
「何!?」
ウォールが驚いてγを見る。
「ワタシ一人が孤立すれば、水練はワタシを優先的に襲うでしょう。その隙に遠くに離れてください」
「馬鹿なことを言うな!」ウォールがγに叫ぶ。「それではキミが奴らに溶かされてしまう!」
「ワタシの外骨格は、特殊な合金で造られております。ヒトが溶かされるよりは長い時間を、耐えることが出来るかもしれません」
「かも!?」
「先程も言った通りです。ウォール様」
声を荒らげるウォールに、γは語る。
「ワタシは、ワタシ一人が守られることで、ヒトが傷付くのを見たくはありません。ワタシが犠牲になっても、ヒトが助かるなら、それがワタシの……AIの幸福なのです。だからウォール様」
「それは違うγ!」
ウォールが強い口調でγを制した。
「自分だけが助かり、他の者が犠牲になるのを見たくないのはAIだけじゃない……我々人間も同じだ! 人間は……助け合う生き物だ! だから人間は『仲間』を見捨てない……それが人間の正しい生き方なのだと……私は信じている!」
ウォールは、γを強く抱きしめた。
「一度仲間と決めたからには、人間だろうとAIだろうと見捨てない! 皆でここを切り抜ける方法を考えるんだ! γ!」
「…………」
γは黙る。
スライム達は依然勢いを落とさず、こちらに近付いてくる。ウミニーナは第何波とも分からないスライムの隊列を、再び「念力」で止めた。
「なんとか……なんとか移動をしながら防御を……!」
「っ! ウミニーナさん! 上!!」
ウミニーナの背後で、林が叫んだ。
ウミニーナがハッとして顔を上げると、スライムが目前に迫っていた。
彼女らを囲む遠くのスライムの群れが、また先程の方法でスライム個々を発射したのだ。しかし、それをウミニーナが理解する余裕はなかった。
ウミニーナはスライムを防ごうと、手を動かす。しかし、スライムの落下速度には間に合わない。
すると突然、後ろから身体を強く押された。
その勢いでウミニーナは前に転び、スライムの落下から逃れることが出来た。
ウミニーナはすぐさま起き上がり、後ろを向いた。
自分を助けた者が誰だか、すぐに分かった。
林が、スライムに飲まれていた。
「────! っ!! !」
林はスライムの中で必死にもがくが、スライムの表面がボコボコと揺れるだけで、外に出ることは出来ない。
「っ! リン!!」
ニコラスが近くに落ちている木の棒を拾いスライムを叩くが、衝撃は吸収され、棒は飲み込まれる。ニコラスは棒から手を放す。
「勇士様っ!」
ウミニーナが念力でスライムの身体を押す。しかし、スライムは林を取り込んだままの状態で後ろに飛んだ。
「そ……そんな……!」
ウミニーナの口から、悲痛の声が漏れた。
林は呼吸が出来なかった。
大昔、学校のプールで溺れかけた経験があるが、今自分の身体の周りにあるものは、水とは明らかに違う物質だ。
身体の、皮膚が出ている部分に焼けるような激痛が走った。
自分が「酸」のような物質で溶かされ出しているのだと、林は直感で理解した。
林は、手に持ったマッチ箱から、マッチ棒を取り出そうとする。
火さえ起こせれば、ここから逃れられるかもしれない。いやきっとそうだ。火はわたしを助けてくれる。火が起きるならばわたしは生きていける。
スライムが動いた。その動きに連動して林の身体が大きく揺れる。
──うそでしょ。
林はマッチ箱を手放してしまった。
右手の近くを箱は漂い、段々林から遠ざかっていく。
焼けつくような痛みの中、林は必死に右手を伸ばす。
待って。行かないで。わたしの火──わたしの命。
わたしの────火……!
林の右手の周りにあるスライムの身体が泡立った。
続けて、しゅー……と白い煙が起き上がる。
「りっ……リィイイイイイイイン!!」
林の身体がいよいよ溶け始めたのだと思い、ニコラスが絶叫した。
「……!?」
しかし、ウミニーナは異変に気付いた。
煙を上げ、泡立つ範囲が大きくなっていく。
その現象は、林の右手を中心に起きている。そして──
林の身体を覆っていたスライムの右半身が、爆ぜるように蒸発した。
「なっ……!?」
ニコラスが目を見開くと、続けざまに驚異的ことが起こった。
スライムが爆ぜたことにより露出した林の右手から、真っ赤な火炎が巻き起こった。
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