魔物 -3-

「勇士の皆様。車での移動はここまでです。お疲れさまでした」

 金色の髪を揺らしながら、ウミニーナが荷車に近付いてきた。

「……おい。おいまておい」

 積み荷に身体を埋めたニコラスが、頭を上げながら言った。

「止まるんなら止まるって言え……うちのカガビが怪我したじゃあねぇか」

「カガビじゃないです……カガビちがう……」

 鼻を手で押さえながら、リンがよろよろと起き上がる。

「んん? ここが目的地か?」

 あらかじめ床に寝転んでいた定藤サダフジは、何事もなかったかのように立ち上がった。

 林はウォールの方を見た。先程と変わらない様子でγガンマを抱きかかえている。若い自分達よりも、体幹がしっかりしているようだ。

 ウミニーナが頭を下げた。

「いいえ、ここはまだ森の一端です。ここで船を待たなくてはいけません」

「船?」

 林は鼻から手をどけた。赤くなっているが、出血はしていない。

 そして、目の前にキラキラと光を反射するものを見つけた。

「わぁ……!」

 林は思わずそんな声を漏らした。

 目の前にあったのは、波打つ水面だった。林達の前方一面に広がり、遠くは水平線で真っ平になっている。

「こりゃ……海か?」

 定藤が言うと、ウミニーナがふふっと笑った。

「海ではなく、湖です」ウミニーナは湖の向こうを指差した。「アバロニア王国でも最大の湖で、王国の首府は、この湖の中央にある島にあるのです」

「湖の中に町? えらい不便そうなところにあるな」

 ニコラスがそう言うと、定藤が波打ち際に立ち、水をすくった。

「守りには最適じゃのう。大軍を持って近くまで押し寄せ難い上、水も直接調達できる」

 林も湖に近付いた。実際に行ったことはないが、日本の琵琶湖くらいの大きさはあるのだろうか? ウミニーナが言う中央の島というものは、ここからは確認できない。

「…………」

 ウォールは、荷車の上に座ったまま、黙って目の前の光景を眺めている。

「いかがなされましたか。ウォール様」

「……え? あ、ああ。いや」

 γに話し掛けられ、ウォールが我に返った。

「……すまない。挿絵や写真は飽きるほど見たが、このような所に直接来たのは初めてでね」

 ウミニーナが説明を続ける。

「ここはアバロニアの中心地であり、日夜、国中の物資や人を船で往復させています。首府は島全体が町になっていて、この国でも最大の発展地です」

「……まあ今より向かう場所の説明はそれぐらいとして」

 パシャッと水を湖面に撒いてから、定藤がウミニーナの方を向いた。

「そろそろ話してもらおうかの。そなた達の事情を」

「……分かりました」

 ウミニーナの顔から笑みが消え、先程見せた、険しい表情になった。

 林やニコラスもウミニーナの方を向いた。ホーシュをはじめとした兵士達も、美しい金髪の少女を見つめている。

「アバロニア王国は」ウミニーナが語り出す。「人と人ならざる者……『魔物』達とで手を取り合い、ここ百年は争いもなく過ごしていました」

「マモノ?」

 定藤が首を傾げる。

「つい先ほど、あなた達が退けた者達がいたでしょう」

「さっき……あの小鬼共のことか?」

 ゴブリン達のことか、と林が思い返す。

「あれは『森人』という、ここらに多く生息している魔物の一種です。あれらのように、普通の生物から一歩二歩先を行くような、驚異的な生物を我らは魔物と呼んでいます」

「ふーむ……まあ、モノノケのようなものか」

 この人にとって不思議な生物はみんなモノノケなのだろうかと林は思った。

 ただ、定藤の認識もあながち間違ってはいないかもれない。ニコラスやウォール、特にγは、どのように捉えているのだろう?

 ウミニーナが続ける。

「森には森の魔物、水には水の魔物、空には空の魔物がいて、彼らと我らは、共に寄り添い、暮らしていました」

「あのような野蛮な輩とのう。難儀なことじゃな」

「……確かに、我らに反抗的な魔物もいます」

 ウミニーナが複雑そうな表情をした。

「しかしつい最近までは、積極的に人間を襲うような、狂暴な魔物なんていなかったのです」

「最近?」

「そう……あの『魔王』が、この世界に現れるまでは」

 ウミニーナの口から、再び「魔王」という単語が飛び出した。

 彼女の後ろに控える兵士達は、それに敏感に反応した。顔をしかめる者、歯を食いしばる者、拳で地面を叩く者もいた。

「その……魔王とやらは一体何奴じゃ?」

 定藤が聞いた。

「魔王は、突如この世界に現れた者で、謎の手段により魔物を狂暴化させ、人間を襲わせ始めました。彼奴きゃつの目的は分かりませんが、このアバロニア王国を……人間を、滅ぼそうとしているようにしか思えません」

「そうだ……すでに奴の手によりアバロニアの町がいくつも壊滅した……!」

 兵士の一人が唸るように言った。隣に居たホーシュが、兵士の肩を優しく叩く。

「……それほどまでに手強いのか? その魔王とやらは」

「魔王そのものの力は計り知れません」ウミニーナが定藤に答える。「しかし、魔物の力を一段も二段も強化することができるのです。こうなった魔物は、普通の人間では太刀打ちが出来ません。それに……魔物の数は尋常ではないのです」

「なるほど……先の小鬼共も結構な軍勢だったの」

 定藤が髭を撫でる。

「そうかそうか。それで追い詰められたそなた達は、プラターネに助力を求めたわけじゃな」

「……プラターネ?」ウミニーナがキョトンとした。「その方は何者でしょうか? 勇士様のお仲間ですか?」

「ほ……? 知らぬのか?」

 ウミニーナの反応に、定藤も顔を呆けさせた。

 林は、この世界に来る前にプラターネが言っていたことを思い出す。

 彼女は扉の向こうの世界がどうなっているのかを、詳しく知らないと言った。ウミニーナの反応を見るに、異世界側の人物もプラターネ……ペッパーズカンパニーのことを知らないのだろうか?

「……我らが魔王に追い込まれたということは事実です」

 ウミニーナが拳を握り締め、その手をじっと見つめた。

「恥ずべきことですが……我らの戦力と知略では、魔王の差し向けた魔物を跳ね除けることが出来ませんでした……我らは万策尽き、ついに異世界の勇士を召喚するという考えに至ったのです」

「召喚……?」

 定藤が眉をひそませる。

「半信半疑でした。私も以前『さる方』に方法を教わった時は、ただのまじないの類だと思っていたのですから……しかし他の方法は既に出し尽くしていました。我らは最後の希望をそのまじないに賭け、儀礼堂で儀式を行ったのです……そして!」

 ウミニーナが定藤に近付き、手を強く握った。定藤が「ほっ!?」と声を出す。

「勇士様……貴方達は本当に来てくれた……! 我らを救いに……!」

 ウミニーナは涙ぐみ、声を震わせる。

 定藤が動揺していると、後ろでニコラスが声を上げた。

「お、おい、待ってくれよ! 俺達がここに来たのは、その魔王を倒させるためだって……?」

「倒? そんな! とんでもない!」ウミニーナが首を振った。「我らは、貴方達に力を貸していただきたいのです! 我らが魔王を打倒するための手助けを! していただきたいのです!」

「どっちにしろあの化け物共とまた戦うかもしんねぇんだろ!? それも尋常じゃない数と! 勝てるわけねぇだろ!? 俺達5人が手伝ったところで!」

 ニコラスが大きなジェスチャーを交えて言った。

 ウミニーナが慌てて返答する。

「いやしかし! 先の戦いでも見せてもらいましたが、勇士様達には不思議な力がございます! その力を我らにお貸しいただければ……!」

「いや、ウミニーナ殿よ」

 定藤が口を挟んだ。

「ニコラスが言うことは尤もじゃ。小勢から拠点を守り抜くならいざ知らず、大軍相手に大将首を獲りに行くとなると、わしらが加わったところでどうにかなる問題ではない。5人では大戦おおいくさは動かぬ」

「おっ……おう、そうだ」

 定藤が自分の意見を肯定したので、ニコラスは面食らった。

「ですが……!」

 ウミニーナが必死に訴えかけようとするが、定藤はウミニーナの手を放す。

「わしらに助けを求める前に、まずはそこもとの持つ力が、如何いかようなものかをわしらに教えるのが筋というものではないか?」

 定藤は、ウミニーナの背後にいる兵士達を見る。

「仮に、ここにいる兵達がこの国の戦力の全てと申すなら、そなた達の願いを聞き入れるのは難しかろう」

「……承知しています」

 ウミニーナは呼吸を整え、定藤に向き合った。

「それをお教えするためにもまず、貴方達を首府にお連れいたします。そこで国王……我が父から、この国のさらなる実情を聞いてください。判断はどうか、それからで……」

「……よかろう」

 定藤がニコラスと林の方を向いた。

「おぬしらも異存ないな?」

「……無ぇわけじゃないけど、今更ここに取り残されても困るからいいよ」

 ニコラスがため息を吐いた。

「…………」

 林は黙って定藤を見つめている。

「……何かあるか? 林」

「いや、なんと言うか……」

 林がニヤッと笑みを浮かべた。

「リーダー、様になりそうじゃないですか。定藤さん」

「……やかましいわ! おぬしはさっき叱られたことを忘れるな!」

 定藤は口を尖らせて、林から顔を背けた。

 林は微笑みながら「はーい」と返事をした。


「……どうやら、思ったよりも大変な仕事になりそうだ」

 荷車の傍に立つウォールが言った。

「そのようですね。とりあえずウォール様、また一度皆様で集まりませんか」

 彼の腕の中でγが言う。

 ウォールは「そうだな」と返事をして、額の汗を拭く。

「定藤に任せて問題は無いだろうが、とりあえず我々も意見を交換……ん?」

 そこでウォールは、近くの草むらで何かがうごめいているのに気付いた。

 妙な物体だった。色は青みがかった半透明で、形は球状に近いが、グニョグニョと身体が波打つように流動し、常にその輪郭は変化している。

「……ウォール様」

 γが小さく言った。ウォールが頷く。

「ああ……これも魔物というものなのか? もう少し距離を取って……」


「────いけない!!」


 ウミニーナが突如叫んだ。

 ウォールが驚いてそっちを向くと、ウミニーナもこちらを見ていた。ウミニーナは続けて叫ぶ。

「すぐにそこから離れてください!! その者にいけない!!」

 ウミニーナがそう言って、すぐのことだった。

「なっ……」

 ウォールの近くに居た半透明の物体が、急にその身を膨張させた。

 その物体はウォールとγの目の前に襲い来る大きな波となり、二人を包み込むように、その上に落ちてくる。

「っ!」

 寸前、ウォールとγの前に定藤が現れ、二人を強く押し出した。


 そして、定藤は半透明の波に飲み込まれた。

 次の瞬間、定藤は鎧と共に溶けだした。

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