魔物 -2-

「車……車ね……まあ予想はしてたけどさ」

 ニコラスは「車」の端を掴んだ。


 ニコラス達5名は、森の中を兵士の一団と共に進んでいる。

 進んでいると言っても、実際には5名は歩いていない。「荷車」の上に乗せられ、荷物と一緒に兵士達数人がかりで運ばれている。

 森の道は舗装などされてなく、ゴロゴロ転がる石や大きく突き出た木の根に引っ掛かり、荷車は常にガタゴト音を立てて揺れる。

 これならまだ歩いた方がマシなんじゃないかとニコラスは顔をしかめた。

 ただ、あの時の船と比べれば、この程度は大したものではない。

 しかしリンはそうではないようだ。林は顔を青くして、車が揺れる度に「うぅ……」と声を上げる。先程定藤サダフジの説教を受けて元気がなかったところへの、さらなる追い討ちのような形になってしまっていた。

 その定藤も、どういうわけか先程から元気がない。己がリーダーと判明してから、急に自信の無い顔をし始めた。

 5名の中でも積極的だった二人が押し黙ってしまったため、荷車の上は嫌なくらい静かだった。

 その空気に浸っているのも癪だと思い、ニコラスは周りの景色を見ることにした。

 背の高い木が不均等に並び立ち、生い茂る葉が太陽の光の大部分を遮断して、森に深い影を落としている。その影響か、樹木にも土にも藻が繁殖し、辺り一面を緑で塗っている。

 ニコラスが今まで見てきた中でも、鮮やかな色の藻だ。陽光がほとんどないにも関わらず、眩しいばかりの黄緑色で、藻そのものが光を放っているようにも見える。

 そして、木だ。その大きさや色合いこそ、ニコラスのよく知る樹木そっくりだが、よく見ると、その全てが「螺旋状」をしている。細い幹が少なくて三束、多くて十束ほどの集まり、捻じれて、一つの木を形成している。

 その、した光景を眺めたニコラスは、本当に自分が知らない世界に来てしまったのだと改めて実感し、景色なんか見るんじゃなかったと木々から視線を外した。

「…………あの」

 ふと、ずっと黙っていたウォールが、皆に声を掛けた。

「どうしたオッサン? 終点に着くまで乗り換えは無ぇぞ」

 そう言って、ニコラスが頭の後ろで腕を組んだ。

「いや、大した話ではないのだが」

 ウォールは片手でγガンマを支えながら、もう片手で頬を掻いた。

「お互い、自己紹介をしないか?」

「……自己紹介ぃ?」

 ニコラスが眉をひそめた。

「今更よくねぇか? 名前なら、プラターネの奴が勝手に教えたしさ」

「そうだ。しかしプラターネを通しては名を知ったくらいで、我々はそれ以上お互いのことを知らない。元々はどんな所に居て、どんなことをしていたのかも」

「……まあ、確かに」

 ニコラスは今までのことを振り返る。自分達は出会ってたった数分でこの世界に飛ばされ、そこで襲撃に遭って、あれよあれよという間に現地の兵士達にこうして運搬されているという状況だ。

 特に、目の前のウォールとはあまり会話をしてないこともあり、ニコラスは彼のことを全く知らなかった。

「……話す、と言うても、大した話は出来ぬぞわしは」

 定藤が投げやりに言った。さっきとは打って変わって、声に張りがない。

「何もかもを話してくれなくてもいい」ウォールが皆を順番に見ながら言う。「お互い、このような所に来てしまった身だ。言えないことの一つや二つもあると思う……とりあえずは名前と、お互いをどのように呼べばいいかだけ決めないか? 今後のためにも」

 定藤がうーんと腕を組んだ。

 先程まで苦しそうにしていた林は、ある程度揺れに慣れたようで、ウォールの話に耳を傾けている。

 γは未だに何の反応もないが、おそらく彼女が反対をすることはないだろう。

 ニコラスもそれで時間が潰せるならと、ウォールに任せることにした。

「特に問題がなければ、提案者の私から言おう」

 ウォールが姿勢を正した。

「私の名前はウォール・マイン。年齢は47になる。皆に会う前は、さる国家の国家図書館司書をしていた」

「……あんた司書だったんだな。政治屋かなんかだと思ってた」

「そんな上等なものじゃないさ」ニコラスの反応に、ウォールが苦笑する。「12の頃から訓練を受け、そこから30年以上、本ばかりの相手をしていた」

「30年も……」

 林が呟いた。

「そんなこともあり、人よりは多少、知識を備蓄している自負はある。……そんな宣言が出来る日がくるとはな」

 ニコラスはその言葉が気になったが、ウォールがすぐに「話を戻そう」と続けた。

「この世界で、私の知っていることがどれだけ役に立つかは分からないが、知識を借りたい時があればいつでも頼って欲しい。呼び方はウォールでもマインでも、好きなようにしてくれ」

 本当に自己紹介らしい自己紹介だな、とニコラスは感心しつつ少し呆れた。

 そして今の話を聞いてて、ウォールという人間の「奇妙」さが分かった。

 この男はニコラスや他3名と違い、どことなく今の現状に「満足」しているような態度を感じる。先程のようなことがあった、こんな現状に。

 元の世界に未練は無いのだろうか。それが、ウォールの冷静な態度を作っているのか……ウォールは自己紹介を終えたようで、それ以上のことは話さないようだ。

 他のメンバーが一向に何も言わないので、ニコラスは渋々と自己紹介の次鋒を担った。

「……俺はニコラス・ニコット。まあ、ニコラスでいい。歳は……えーと、出征前に誕生日あったから、21か」

「なんじゃ? 小僧かと思うたら結構な齢ではないか」

 定藤が口を挟んだので、ニコラスがジロリと睨みつける。

「髭生えた親父に結構な歳とか言われたくねぇよ」

「わしは29じゃが」

「嘘だろ!?」

 驚いたのと同時に荷車が大きな根にぶつかって振動したため、ニコラスは荷台から落ちそうになった。

 慌てて荷物にしがみつき、事なきを得る。

「……あー、まあ直近まで軍隊にいたから、機械いじりとか乗り物の操作とかは覚えたけどよ。見ての通りこの世界じゃ出番はなしだ。あんま俺に頼るな。以上」

 ニコラスはそう言って、早々に自己紹介を〆た。

 それ以上の情報は、別に言う必要はないだろうと思った。他の4名も言及するような素振りは見せない。

 言及されても困るのだが、あまり自分に興味を持たれていないようにも感じて、それはそれでニコラスは気に喰わなかった。

「……次はワタシが、よろしいでしょうか」

 ウォールに押さえられているγが言った。全員が黙って頷く。

「……痛み入ります。ワタシの名は人化志向AIキャンサー型No3。通称はキャンサーγ。マスターの名前はヤーナ=ギエンです」

「マスター……ということは、あなたを作った人?」

 林が尋ねると、γが「その通りです」と答えた。

「ワタシは、出来る限りヒトと同様の思考をするプログラムが組まれています。『完全』ではありませんが、皆様とに近しい倫理観に基づいた提案を出すことが可能です」

 果たしてここにいる奴らが共通の倫理観を持っているのだろうか、とニコラスは定藤とウォールを交互に見て思った。

 林が「へぇー」と感心しながらγに言う。

「そのヤーナギエンって人……博士? はすごい人なんだね」

「そう。ギエン様はすごい方なのです」

 その時のγの表情を見て、ニコラスは驚いた。

 こいつ……笑えるのか。

 出会ってから基本無表情か、悲しげな顔をするだけだったため、そんな「明かるげな」感情も出すということを、ニコラスは意外に思った。

 しかし、彼女の笑顔は、すぐ戻ってしまう。

「……ギエン様は偉大でも、ワタシは駄目なのです」

 γが頭を俯かせた。

「これは、ワタシの主観による分析ですが……ワタシはどういうわけか、自分が考えたこととは、まったく別の行動を取るようになっています」

「別の行動?」

 定藤が首を傾げる。

火神カガミ林様が、一番理解されていると思います」

 名指しされた林は、わたし? と自分を指した。

「お会いになってからすぐ、ワタシは貴方様にワタシを押さえつけるようにお願いしました」

「ああ、そうだったね。勝手に身体が動くとかそんな…………え、そういうことなの?」

「ん? なんじゃ? 一体どういうことじゃ?」

 林は何かに気付いたが、定藤は訳が分からず首を左右した。

 γが俯いたまま答える。

「ワタシが『立ち止まろう』と考えると、ワタシの身体は『動く』のです。これは一例で、目的の場所に向かおうと思えば遠ざかり、逆に危険な場所から離れようとすれば、どんどんそこに近付いてしまうのです」

「な、なんだよそれ。滅茶苦茶じゃねぇか」

 ニコラスの言葉を受けて、林が「ちょっと」と顔をしかめた。

「……どういう原因か分かりませんが、ワタシは正常ではないのです」γが一層顔を暗くして言う。「そのことで、ワタシは皆様に迷惑を掛けたくありません……しかしワタシがそう考える限り、ワタシは迷惑を掛けるでしょう。先程もワタシのせいで……火神林様に危険が及びました」

「いや! あれは……あれだよ! わたしが何も考えずに突っ込んだせいだよ!」

 林が慌てて撤回する。

 そうじゃそうじゃと言う定藤の肩をニコラスが「黙ってろ」と叩いた。

「それでも、ワタシがいる限りあのような状況が、今後も起こりかねません……そうなるくらいなら、いっそワタシを……」

「逆に言うならば」

 ウォールが、γの言葉に割って入った。

「その異常をきたらす原因さえ分かり、直すことが出来れば、キミは優秀なロボットに戻るわけだ」

「え……」

 γが顔を上げた。

「ここには、常に『間違いを犯す』危険性を孕んでいる人間が4人もいる」ウォールが微笑んだ。「そのチームメンバーから、一番正しい行動を取れるキミを省くことなど、愚かなことだ。そうだろう?」

 ウォールの言葉に、γが動揺した。

「いやしかし……直る保障など……」

「ウォールさんウォールさん」

 林が言った。

「ウォールさんが持っている知識に、プログラミングとか機械とかに関係することもあります?」

「実践したことはないがね」

 ウォールはそう返した。

 林があははと笑った。

「じゃあ可能性はあるよね。ウォールさんには知識があって、ニコラスさんには経験がある」

「は? いやちょ、待て。あんなロボいじったことは無……」

 ニコラスを無視して林が続けた。

「ウォールさんも言ったけど、人間なんて馬鹿なもんだよ。どんだけ理に適った目的を持ってても……一瞬の感情一つで台無しにするのが人間だよ。そんな時に、人間を助けてくれるのは、感情に流されないあなたのようなロボットだと思う」

 γは少し黙り込み、やがて小さい声で言った。

「……こんなワタシでよろしいのですか。火神林様……」

「あなただからいいんだよ。あ、でもちょっと待った」

 林は大袈裟に手を広げて言った。

「その『火神林様』ってのは……ちょっと堅苦しいからやめない? もっと簡単に林とか、火神だけでいいよ」

「……では、林様、とお呼びさせていただいてもよろしいでしょうか」

「うーん……まあ、それでいいよ」

「他のメンバーもフルネームではなく、ファーストネームだけで呼ぼう」ウォールがそう提案した。「咄嗟に声を掛ける時に、時間の短縮にもなる」

「かしこまりました」

 γが了解した。

「あなたのこともガンマちゃんって呼ぼうか」

 林が微笑みながら言った。

 γが了解した。

「まあ俺は普通にγって呼ぶさ」

 ニコラスがそう言って、γがそれにも了解した。

「……なあ、ウォール殿よ」

 ずっと黙っていた定藤が、口を開いた。全員が定藤の方を見る。

「やはり皆のまとめ役……そなたこそ相応しいのではないか?」

 え? とウォールが声を漏らす。

「しかし私は……」

「そなたが今まで人を動かす立場でなかったというのは関係ない」定藤がウォールの言葉を遮る。「そなたはわしより多くの物事を知っておる。それだけ、人の心も分かるというものじゃ」

 わしは駄目じゃ、と定藤が頭を雑に掻く。

「言葉が分かれど、その言葉の意味が分からぬことが、わしには多すぎる。特にそこの童……ガンマの申すことなぞさっぱりじゃ」

 そんなことを投げやりに言う定藤に、ウォールが落ち着いて返す。

「それでも、経験は知識に勝ると私は考える。先の襲撃の時を思い出してほしい」

 ウォールが指を一本立てた。

「あの窮地、局地で、最も冷静に動けたのはキミだ。キミが冷静に動いたからこそ、ここの4名、他の兵士達は無事にあの襲撃を乗り越えられた」

「……あれは、単にというものじゃ。それも、あのように『増える』ことがなければ、勝てていたかは分からぬ」

「我々にはその『慣れ』という感覚が一切無い」ウォールが語気を強めて言った。「私と、林と、あとγ。この3名にはおそらく、『戦争』の経験がないからだ」

「……戦の?」

 定藤が林の方を向いた。

「林、おぬしは日ノ本の者なのだよな」

「は、はい」

「おぬしがいた日ノ本では、戦はしていないのか」

「……一応は」

 定藤は「そうか」と言い、顎の髭に触れながら、ポツリと呟いた。

「……終わるんじゃな。戦の時代というものは」

「ふん」

 ニコラスが荷車の積み荷に身を預けながら言った。

「いつまでも続いてたまるかよ。あんなのが」

 ニコラスの顔を見た林は、心なしか彼がどこか「安堵」しているようにも感じた。

 ウォールが話を再開する。

「戦争の無い、平常な日々を過ごしていた我々が落ち着いて行動できるのは、あくまでも平常時だけだ。そしてそこの兵士達の姿を見る限り、この世界は今まさに争いの渦中にある。ということは、あの襲撃のようなことが今後幾度なく起こりうるということだ。そんな時に冷静に動けるのは、『戦争』の経験を持つキミとニコラス。特に戦いに慣れているというキミこそ、この世界で皆を引っ張るのに相応しいはずだ」

 ウォールは、定藤のことを真っすぐ見据える。定藤はその様子に、少したじろいだ。

「……しかし、戦の知識はあるのじゃろう。知っておれば、沈着に動けるのではないか?」

「『知っていること』と『したことがある』ということは違う」ウォールがきっぱりと言った。「知識というのはいくら正しくても、実際に体験しなければ脳内に保存されるデータの羅列にすぎない。データの解像度がいくら良くても、実際に体験する出来事とは大きい差異がある。知識しか持っていない私と、知識に乏しくも経験豊富なキミ……どちらがこのチームを率いた方が、この先を生き残れると思う?」

「…………ふむ」

 定藤はしばらく黙り、車の振動に身を任せていたが、やがて小さく口を開いた。

「わしの名は里崎定藤……少し前まで十二万石の領主であったが、今とならば一介の浪人にすぎん」

 定藤がふぅ、と息を吐いた。

「知らぬことだったとはいえ、プラターネにこの隊をまとめることを約束してしもうた。わしと里崎の名誉のためにも、約束は果たさねばならぬか」

「格好つけやがって」

 ニコラスが両手を広げながら言った。

「されど」定藤は今一度、皆の顔をしっかりと見据えた。「わしの方から、皆に一つ頼み事がある」

 定藤は、眉を吊り上げて、ニカッと笑った。

 林には何故か、その顔が定藤に出会ってから一番物悲しい表情に見えた。

「不満があらば隠さずに話すこと。それだけは守ってくれ」

 定藤は言い終わると、荷台にごろりと横になった。

 林とニコラスが顔を見合わせると、定藤が床からカッカッカッと笑い声を上げた。

「ほれ、わしは己の紹介を済ませたぞ。あとは林! おぬしだけよ」

「え、あっ、はい!」

 定藤に言われ、林は自分の自己紹介が済んでいないことを思い出した。

 皆が林に注目した。林は妙な緊張感に襲われる。

 そしていざ自分の手番がやってくると、林は悩んだ。

 わたしは、わたしの何を紹介すればいいんだろう?

 しかし、考えていても自分の情報は世に出回らない。意を決して、林は口を開けた。

「わたしの名前はかがびっ」

 荷車が急停止した。

 その振動で林は荷台の床に倒れ込んだ。

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