幕間 ペッパーズカンパニーへようこそ

ペッパーズカンパニーへようこそ -1-

 火神林カガミリンは落下を続けていた。

 時間にして数分間。学校の屋上から地面に至るまでにしては、あまりに長すぎる。

 自分は今どこにいるんだ? 言いようのない不安が林を襲う。

 やがて、林の身体は地上に着地した。

 奇妙な着地だった。あれほどの時間、落下を続けていたのなら、相当な衝撃が身体を襲うはずなのに、ふわりと、まるでベッドに横たわるような軽い着地だった。

 林は顔を上げる。辺りは暗く、この場の広さを確認するのも困難だ。それにも関わらず、自分の姿は、まるで光源でも持ったかのようにはっきりと視認できる。

 自分は、一体どこに辿り着いてしまったのだ? 本当は屋上から落下してしまい、あの世に来てしまったのか? あの世だとしても、天国なのか? 地獄なのか?

 林は今一度、目を凝らして辺りをぐるりと確認した。


 侍が居た。


 林は目をこすり、もう一度前を確認した。

 侍が居た。

「…………え?」

「…………ぬ?」

 侍が口を開いた。どうやら幻覚ではないようだった。

 ボロボロの鎧を着た、背の高い侍だった。口には髭を蓄え、何故か兜は被っていない。侍は狼狽うろたえた調子で言った。

「な……なんじゃおぬしは? 妙な格好の女子おなごじゃが……女子おなご!? さては! おぬしか! わしをかようなところに飛ばしたのはっ!」

 侍が腰に手を伸ばした。時代劇でよくある刀を取る動きだ。林は慌てて言った。

「ちっ!? 違います! いやなにが違うか分からないけど! あなたなんか知りません!」

 いやそもそも侍に現代の言葉が通じるのか? と林は思ったが、そうだとしても無実の罪で斬られるわけにはいかない。

 しかし、林の心配を余所に、侍は侍で何やら焦っているようだった。

「……か、刀……おい! わしの刀どこじゃ! 脇差もないではないか!」

 侍は鎧を着た身体を両手で探っていた。彼の言葉の通り、刀剣の類は持ち合わせていないようだ。

 ひとまず……助かったのか? いや、素手で殴りに来られたらどうしよう、と林が考えていると、

「な、な、な、な!?」

 違う方向から違う声がした。

「なんでっ! 日本人が居るんだよ!? 俺は捕虜になっちまったのか!?」

 林と侍が振り向くと、金髪の若者がいた。見た目からヨーロッパ系の外国人だと思われ、軍服らしきものを着ている。その服はボロボロで、今まさに戦場から飛んできたような姿だった。

「な、なんじゃあ? 南蛮人もおるのか?」

 侍が気の抜けた声を出した。

「いや、というか……お上手ですね……? 日本語……」

 林が軍人の若者に尋ねると、若者は「はぁ!?」と声を出した。

「何言ってんだ! てめぇらこそペラペラと故郷くにの言葉喋りやがって気味悪ぃ!」

故郷くにの言葉……?」

「寄るな! 寄る……え!? 銃! 銃どこだ!? お前らどこにやった!?」

 若者が慌てて身体を探り出した。どうやら彼も「武器」の類を失くしているようだった。

 そして原理は分からないが、お互い話している言語と聞こえている言語が、自動翻訳されているのだと林は理解した。この空間がそういう作用をもたらしているのか?

「う……ん」

 また違う方向から、違う声がした。林と侍と若者が振り向くと、一人の中年男が倒れていた。男はゆっくりと起き上がり、林達に気付いた。

「あ、貴方達は……? ここは一体……」

 一言一句、林が聞きたいことと同じであったが、林は中年男の奇妙な特徴に目がいった。

 中年男はスーツ姿で、会社員ではなく政治家のような雰囲気を出しているが、身体の筋肉はしっかりしていて、ラグビー選手がスーツを着ているようだ。そして彼も軍人の若者同様、ヨーロッパ系の人物に見えるのだが、その顔にはどことなくアジアやアフリカの人の特徴も入っているように林は感じた。

「お、おいオッサン! あんたなんか偉そうだけどよ! ここがどこだか分からねぇか!?」

 若者が落ち着きのない様子で言った。中年男が答える。

「さっき言った通りだ。何が何だか……しかしどうやら、貴方達も同じ事情のようだ」

 中年男も困惑しているようだが、他の二人よりは多少落ち着いた様子だった。やっと話が通じそうな人間が出てきて、林は少し安心した。

 しかし、自分以外の人間が全員男性というのは、少し不安を覚えた。

 そうだ、と林は思い出す。ここに落ちる前に聞いた「声」。さっき侍も言及していたから、幻聴ではないあの声は、確か女性の声だった。彼女が自分達をここに呼び寄せたのだろうか?

「……すいません。もし。すいません」

 足下から女性の声が聞こえた。やっぱり、女性がいる! しかしあの声の主とは違う声音だ。林は声の方向を確認し……足下?

「申し訳ありません。自分では上手くのです。手伝ってはいただけませんか」

 林は、ゆっくりと足下を見た。そこには、緑色の髪をした、可愛らしい少女が居た。

 ……首だけの。

「おっ!? ひゃあああ!?」

 林は飛び上がって尻もちをついた。林の声に反応して、侍と若者と男性が振り向いた。

「なっ! まことのモノノケがおるではないか! さてはおぬしか! あの女の声は!」

 侍が再び持っていない刀を抜こうとするが、それを見て少女(?)が言う。

「違います。お騒がせして申し訳ありません。ワタシは人化志向AIキャンサー型No3。通称はキャンサーγガンマ。ヒトではありません」

「…………は? …………んあ?」

 侍がポカンと口を開けて固まった。若者も同様だった。しかし中年男だけ口に手を当てると、少女に向かって言った。

「AIということは……ロボット、か?」

「その通りです」

 少女が答えた。

「ろ、ロボット?」

 林は起き上がり、少女の下に近寄った。

 確かに良く見れば、少女の首の内側に電子部品のようなものがいくつもあった。しかし、どれも林が見たこともない部品だ。何より少女の顔は、人間の顔とほとんど違いが無いように、精巧に造られている。

「え、えーと……手伝って欲しいというのは?」

 気を取り直して、林が少女に尋ねた。

「ワタシの頭部を拾っていただき、身体に付けて欲しいのです。ここに来た際のトラブルで外れてしまい……」

「身体?」

「あちらです」

 少女が瞳を動かした。林はその方向を見る。

「……おおう」

 白いワンピースのような服を着た小さな身体が、手を前に出しながらフラフラと歩いていた。首無しの。

 こっちを先に見てても尻もちをついたな、と思いながら、林は少女の首を身体に載せた。磁石のN極とS極が引き合うに、少女の首と身体はピタリとくっついた。

 そして少女は……フラフラと歩き続けた。

「え、え、待って待って! どこ行くの!」

 林が慌てて追いかける。

「申し訳ありません。立ち止まろうと思うと、身体が動いてしまうのです」

「ええ……? もしかして、故障してるの?」

「…………分かりません。申し訳ありませんが、ワタシの身体を押さえておいていただけませんか」

 少女が寂しそうな顔で言った。その表情も、人間と何ら変わらないように見えた。

 林は少女の肩を掴み、その動きを止める。

「……痛み入ります」

 そのように呟く少女を連れて、林は元の位置まで歩いて行く。

 侍は変わらずポカンと口を開けていたが、中年男は先程よりも落ち着いた様子だ。しばらくは彼と意見を合わせた方が良さそうだと林は思った。

「……ん?」

 林は、若者が少女のことを睨んでいることに気付いた。

 若者はどういうわけか、少女に対して、ひどく怯えているように見える。

 ……場所はもちろんだが、人も分からない人ばっかだな、と林は思った。


「ふっふっふー! ようやく皆様集まりましたねー!」


「!?」

 林は声のした方向に顔を向けた。侍、若者、中年男も同様だ。少女だけあらぬ方向を見ている。

 林達は直感的に分かった。あの女の声だ。自分達をここに呼び込んだ、あの声。

 皆がそれを理解したと思うと、パチン、と指を鳴らす音がした。

 瞬間、辺りの闇が一気に晴れた。

 林達は、建物の中に居た。

 室内は円形をしており、林達はその中心にいる。部屋の壁はレンガ造りのようだが、壁には等間隔で「扉」があった。扉は一つひとつのデザインが違い、どれも異様なオーラをまとっている。

 そして林達は、目の前に女が一人立っていることに気付いた。

 奇妙な女だった。髪は桜のように薄いピンク色で、美人だが異様に耳が長く、先が尖がっている。真っ黒なスーツを着ていて、ネクタイは髪と同じピンク色だ。

 女は顔を伏せていたが、やがてバッと顔を上げ、満面の笑みを見せた。


「ようこそ! ペッパーズカンパニーへ!」


 女の声と共に、クラッカーの音と紙吹雪が舞った。


「………………は?」

 林は、自分でも驚くくらい低い声を出した。

 なんとなく若者の方を見た。眉をひそめ、口を半開きにしている。きっと自分も同じ表情をしてるんだろうなと林は思った。

 辺りでは虚しく紙吹雪が舞っている。邪魔。

 しばらく沈黙が続いたが、侍がそれを破ってくれた。

「な……なんじゃなんじゃ! 急に出てきたと思うたら珍妙なことを申して! おぬしじゃな! わしをかようなところに飛ばしたのは!」

「そうでーす!」

 女が元気よく返事をした。素敵な笑顔だ。

「一体何のつもりじゃ! そもそもおぬしは何者じゃ!」

 侍が知りたいことを直球ストレートで聞いてくれるので、林は彼の投球を黙って見守る。

 女が「これは失礼しました!」と、執事のような所作で頭を下げた。

わたくしの名前はプラターネ! 異世界人材派遣会社ペッパーズカンパニーに勤めるの一人で、あなた達【Pチーム】の担当者です!」

「…………ほぁ?」

 侍が再びポカンと口を開いた。しかし今度は林達も同様だった。いきなり知らない単語が飛び出し過ぎている。何から突っ込めばいいのだ。

 林達が全員黙り込んでしまうと、プラターネと名乗った女は、ん~と指を手に当てて何やら思案を始めた。

「ウォール・マインさん」

 プラターネが誰かの名を呼んだ。林の隣に居た中年男が、目を見開いた。

「わ……私の名を何故」

 ウォール・マインとは、彼の名前ようだ。プラターネがにっこりと笑う。

「全員知っておりますよー。私がお呼びしたのですから。里崎定藤サトザキサダフジさん」

「ぬ!?」 侍が驚いた。


「ニコラス・ニコットさん」

「……!」 若者が反応した。


「キャンサーγガンマさん」

「……はい」 少女が答えた。


加々見カガミ林さ……」

「っ! 待った!!」

 名前を呼ばれている途中で林が叫んだ。

 全員が林を見る。

 プラターネがキョトンとする。

「……えーと? なんでしょうか?」

「今、『カガミ』と呼ばれましたが……その字は何ですか?」

「へ? えーと……」

 プラターネは律義にメモ帳を取り出すと、そこに字を書いた。

 林に提示する。

「『加々見』でお間違いありませんね?」

「お間違いありますね」

 そう言うと林はプラターネからメモ帳とペンをふんだくり、「加々見」の上にグシャグシャと何本も線を引いてから、横に違う字を書き足した。メモ帳をプラターネに返す。

「わたしは『火神』林です。お忘れなきよう」

「あ……えーっと…………はい! 分かりました! 今後は火神林さんとお呼びさせていただきます!」

 プラターネは少し悩んでから、林の要望を了承した。

 少しだけ会話の主導権を握れたように感じて林は満足した。いや満足している場合ではないのだが。

「……なんだお前……」

「え?」

 林は不意に、ニコラスと呼ばれた若者に声を掛けられた。

「……なんですか? えーと……ニコラス・ニコットさん?」

「気安く名前で呼ぶな。お前、怖くねぇのか……?」

「……へ?」

 ニコラスが小声で話す。

「あの女だよ……! あいつ、どう見ても人間じゃねぇし……それに今の状況、どう考えてもおかしいだろ……? お前……あいつと話してて何も感じねぇのか……?」

 林は黙り込み、ここに来てから今までのことを考えてみた。

 布団に倒れるような軽い着地。

 暗闇にも関わらず人物だけはハッキリと見える空間。

 侍。軍人。人種も分からない中年男。ロボットの少女。

 壁一面の扉と人ならざる女。

 林はニコラスの方を見た。

「怖くは……ないかな?」

 望みの答えではなかったようで、ニコラスは気分の悪そうな顔をした。

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