第24首 菅家_画家2
このたびは 幣も取りあへず手向山 紅葉の錦 神のまにまに
母のペリメニ。
母のペリメニは完璧だった。ペリメニとは、小麦粉を練った薄い生地でひき肉や野菜を包み茹でる、私の母国ロシアの料理だ。中国の水餃子と似ている。ペリメニはモンゴルから伝わったと聞くから同じ由来なのだろう。
母が作るペリメニは、今ここに完成した絵と似ていた。ありあわせの絵の具で描いたホリゾンブルーの海は特徴のない構図で、冷蔵庫に少しだけ残った野菜を包み、伝統的な形を正直に踏襲した母のペリメニを想起させた。
母が亡くなって今日で三年が経つ。つまりそれ以来、正確には母がキッチンに立てなくなって以来、母のペリメニを食べていない。
絵は、絵の外側の時間から断絶されている芸術である。私たちが起きて食べて寝ている間、一ミリも存在を変化させることはない。それは絵が生まれてきた時から同じで、かのモナ・リザは五百年以上変わらず同じ微笑みをたたえている。
外に時間を持たない代わりに、絵はあらゆる時間を内包している。画家が描くという過去のプロセスと、鑑賞することで瞬間瞬間を想う時間が全て同じ時の中で存在している。
母のペリメニが完璧なのも同じ理由だろうと思う。ペリメニを食べると、母がダイニングの決まった席でタネを包んでいる姿が容易に想像できたし、味は私が子供の頃から変わらない。そして家族みんなでぽいぽいと皿に運んでは口に放り投げ、会話を楽しむ団欒は何より幸せな時間だった。
もう二度と、母のペリメニを食べることはできない。
キャンバスの深い海を見ながら悼んだ。
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