第14首 河原左大臣_社会人
陸奥の しのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに
「お待たせ」
金曜日。仕事帰りに、私のマンションの最寄り駅の改札で彼と待ち合わせる。ユウトと付き合い始めてから自然と習慣になった。
残業だった?と聞く彼は、ポケットに手を突っ込んで少し寒そうだった。
「ごめんね、帰り際に上司に捕まっちゃった。寒かったよね、夜は何か温かいもの食べようか」
壁に寄りかかる彼の腕を両手で引っ張り起こすように、抱きしめた。駅前の行きつけの居酒屋さんを見る。二席空いているだろうか。あそこのおでんが美味しくて、ユウトは卵と牛すじが大好物だった。そんな想像をしている私を見透かしたのか、ユウトは今日は家でゆっくり食べたいと言う。スーパーで食材を買って鍋にしよう。
駅前のスーパーに向かう道、横断歩道の手前で足を突っ掛けた。やると思った、と斜め上から顔を覗き込むようにユウトは笑った。私はいつもここで躓いてしまう。コンクリートが少しだけ盛り上がっていることに気付いたのは、暫くしてからだった。
スーパーで二人分の野菜と肉を買う。本当は一人分も食べられないけれど、ユウトが1.5人分を平らげてくれるので残り物で困ったことなはい。缶チューハイを二本カゴに入れる。ユウトが好きなのは、レモンの生搾りだ。カゴがずしりと重くなった。
マンションへ向かう道、公園を横目に歩く。何もない公園だけど、夏の日に二人でアイスを食べながらお互いが好きな音楽を聴き合った。暑い暑いと言いながら、息がかかるほど顔を寄せあって一つのスマホを覗き込んでいた。今は誰もいないベンチを見て思い出す。春になったらお花見できるかな、そんな会話もしていた。
お互い働いていると、二人の時間を持つことが難しかった。ユウトは仕事が楽しいらしく、金曜日の夜も自然と同僚と過ごすことが増えてきた。私も仕事が順調で、お互い頑張ろうねと、前向きに本当に心の底からお互いの生活を尊重するように電話で告げてから、一週間、二週間と連絡が途絶えた。一ヶ月が経った。目に映る全てのものが、ユウトを思い出させる。
マンションのオートロックを開ける。二人分の食材が入ったショッピングバックが肘に食い込んだ。
「ただいま」
後ろから、ただいまーとユウトの間延びした声が聞こえてくる気がした。
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