第4首 山部赤人_女

田子の浦に うちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ


 夜明け前は、まだ肌寒かった。

 雨が降らなければ夏日になる季節、裸にブランケットを羽織ってベランダに出た。

 高台にあるアパートの部屋から見える景色は、小説や映画で表現されるほど、別段違う世界ではなかった。いつも見える屋根と、その先の高速道路は昼間と変わらず静かだった。

 外で見る自分の裸は他人のもののようだった。胸と少し浮き出た肋骨、柵に寄りかかることで横じわのできる脇腹、それらはいつも鏡で見るような自分の曲線と違って見えた。太ももの隙間、くびれ、Eカップの胸も存在せず、足と臍と乳房がヒトの体の一部であることを主張するだけだった。いつか見た戦争の写真を思い出した。裸の死体は体が女性であること以外、無個性で、戦争の悲惨さを伝えるオブジェクトのようだった。

 夜明け前は、人をただのヒトにさせた。

 少しだけ不安な気持ちになり、部屋の中で寝ているパートナーが来てくれれば良いのに、と思った。セックスで愛し合うということがまだよく分からないけれど、彼女と抱き合うのはとても気持ちが良かった。柔らかい肌、滑らかに絡まる足が心地よく、長い髪を梳くとはにかむように笑う。私たちは確かに愛し合っていた。ありふれた言葉だけれど、その時世界は二人きりだと思った。

 遠くで救急車のサイレンの音が聞こえた。

 心なしか空が白んで夜が明けようとしている。二人きりだと感じた世界は、一人きりですらなく、救急車で運ばれる人も、隣人も世界の反対側の人も、名前を知らない大勢の人を想像する。彼らも今この瞬間に生きていることを知った。

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