アクロバティックヌラヌラ

津田薪太郎

第1話

 「時に君は、『アクロバティックサラサラ』って知ってるかい?」

「知ってる。都市伝説というか、気色の悪い話だろ」

 うだるような晩夏の熱帯夜、俺は友人にぶっきらぼうにそう答えた。

 その答えを聞いた友人は少し笑って、

「そう。こんな風に綺麗なロングヘアで、赤いワンピースに赤いハットを被り、屋根の上で…」

「かつてのThe Lockersもかくやというえげつないダンスを披露するんだろ?」

「違うっていうか君なんでそんな古いネタを知ってるんだ。同い年だろ?」

 困惑した様に友人は、首を横に振る。その度に、腰まで届く見事な黒髪が揺れた。それと共に、女性を思わせる良く整った顔立ちが憂いを帯びる。装いはワイシャツに灰色のズボンなのだが、これのせいで未だに俺は友人が男性なのか女性なのかよく分からない。いや、ノリとしては恐らく男性なのだろうが、顔を見ていると、実は女性ではという疑いが拭えない。

 とはいえ、『友人』呼びでは冗長に過ぎるから、俺は他人に紹介するときはいつも『彼』と呼ぶことにしている。

「で、まあ話を本筋に戻すとだ」

 彼は髪をかき上げて雰囲気をリセットする。ある種のルーティーンだろう。

「この辺りにそれが出るらしいんだ」

「ほおん?」

「目撃談があるんだよ。ここから先の古ビル街でね」

 彼は顎で道の先にある老朽化した廃校を指した。崩れかけの外壁と、鬱蒼とした木々に囲まれたそれは、シミとひび割れだらけの身体を横たえている。

 都心ならともかくとして、こんな外縁のベッドタウンでは、こうしたある種『時代に取り残された』建物が多い。

「あの校舎の屋上に、そいつが居たんだよ。目撃者が思わず見つめていると、そいつは急にぎゅるん!とその人の方を向いて…」

 彼は息が掛かるくらいの至近距離まで顔を寄せてくる。澄んだ瞳に俺の困惑した顔が映っていた。

「…で、どうなったんだ?」

「その場ではそれでおしまい。でもね…」

 彼はスマホの電源を入れて、何度かフリック操作をすると、やがてある画面にたどり着いた。

「これ。最後のレス見て」

「何々…スレタイは、『アクロバティックサラサラ』、最後のレスは…『あいつがk』…。なんじゃこりゃ」

「何って、分かるでしょ…」

 彼の白皙の頬に赤みがさす。興味深いものを見つけた時の表情だ。

「アイツは見た奴のところにやって来るんだ。どれだけ離れていようと、絶対に」

「おいおい…因果関係がめちゃくちゃだぞ。根拠も何もないじゃないか」

「まあね。でも、もしかしたらっ…」

 唐突に彼が絶句する。

 少し遅れて、俺も気がついた。俺達は既に、彼が指したあの廃校の前に差し掛かっていた。

 黒ずんだ壁に、古過ぎて何があったのかさえ分からないテナントの看板。締め切った窓は、埃と蜘蛛の巣で包まれている。

 だが、俺達の視線はそこにはない。

 建物の一角、薄汚れた灰色の外壁に取り付く"それ"。セミにしてはあまりにも大きく、異様。赤いワンピースに、赤いハット…。あれが…ん?

「おいちょっと待て」

「何だよ」

「なんかおかしくねえか」

「何が?」

「何でアイツ校舎の壁にひっしり抱きついてんの?」

「確かに」

「そこは何か屁理屈を考えろよ」

 "それ"は建物の屋上ではなく、何故か3階から4階の間に、さながらセミの如くひっしりとくっついている。様相的には文字通り虫の如く張り付いているのだが、見たところ建物にはそれらしきとっかかりが無い。

「しかも、トレードマークのサラサラ髪がないぞ」

「あれー?」

 彼はカバンから双眼鏡を出して覗く。何でそんなもの、って言うか馬鹿なのか。

「確かに。後頭部に髪が少し張り付いてるだけだね。というか、アイツなんか男っぽいな」

「どういう根拠だ?」

「足の毛が濃い」

「もうちょっとマシなところを見ろよ」

 俺も彼から双眼鏡を借りて覗く。確かに、"それ"の足は毛が濃い。何なら引くほど濃い。大根の毛が黒かったらこんな感じかと思われた。

 そして、観察を続けている内に、俺はある事に気がついた。

「なあ、ちょっともっかい見てみろよ」

「何を?」

「アイツの手足の周り。なんか妙に光ってるんだ」

「んー…?確かに。何だろ…」

 その時だ。

「きゃああっ!」

 甲高い声をあげて、彼が双眼鏡を落とす。まるで女の子みたいで新鮮…などと思う暇はない。

 彼が双眼鏡を落とした原因を、俺はほぼ同時に目の当たりにした。

 壁に張り付いた"それ"が、首を90度と少し回転させてこちらを見ている。その顔は…。

「おっさんじゃねえか!!!」

 危険は百も承知。馬鹿らしいこともわかっている。だが、俺はどうしても突っ込まずにはいられなかった。

「え!?え!?」

「いや見りゃ分かるだろ。おっさんだよおっさん!」

 何で俺はこんなにキレてるんだろう。彼が目を白黒させるのを見ながら、どこか冷静にそう思った。

 だが、こちらをじっと見つめているツラは間違いなくおっさんである。残念ながら俺はその爆心地的な顔面について描写する語彙力を持ってはいないが、一個のイメージとして、ゴリラと人間を足して2で割って水でふやかすとああいう顔になるのだろうか。

「あ、うん。確かにおっさんだね。それも不潔な方のおっさん」

「珍しく意見が一致したな」

「うん。あの脂のテカりかたとか、雑な剃り方の無精髭とかそんな感じするわ」

「なるほどそっちか」

 実のところ、既に俺達の中でホラー的な感覚は薄れきって、何か妙に出来が悪いコントを見せられている様な空気が醸成されていた。

 確かにおっさんがビルに張り付いて、しかもこっちを見ているというのはホラーにも程があると思うが、期待していたものとの落差があまりに大きいせいで、ホラーはホラーでも何か違うだろという心境にならざるを得なかった。

「で、どうするよ。あのおっさんこっち見てるけど」

「え、あ、いやーうん。どうしよっか」

「お前が始めた怪談だろうが何とかしろ」

「えー…でも、話しかけるの嫌だよ」

「じゃあ素直に立ち去るしかないな。視線を外して、少し離れたら走って逃げよう」

「わかった」

 俺は彼と算段をまとめると、2人で並んで歩き出した。"それ"(面倒なので、今後はおっさんと呼ぼう)はこちらへの視線を外そうとはしなかったが、動く気配もなかった。

 だが、依然としてビルの壁にしがみついたままで、1ミリも動く気配がない。

「ねえ、ちょっと…」

 彼が前を向いたまま口を開いた。

「何だ」

「あのおっさんの体の下の方…」

 顔を向けずに視線だけ。すると、張り付いたおっさんのワンピースの裾から、何か薄っすらと湿り気が下の方へ広がっているのが分かった。

「一体何だ…?」

 疑問が増える。もしかしたら、あれが張り付きの原動力かもしれない。

 だが、その疑問は程なく解決した。…俺達にとって考えある限り、2番目に最悪な結果で。

「あっ!」

 彼が声をあげる。その一瞬の事だった。

 おっさんが校舎の壁を猛烈なスピードで斜め上に向けて攀じ登った後、屋上からこちらへ向けて飛び降りたのだ。

 

 おっさんは空中で華麗に3回転を決めて、 コンクリの外壁に着地、その後もう一度バク転を決め、急いで進みかけた俺達の眼前1メートルに着地した。

 …何を言っているのか分からないだろうが、100パーセント掛け値なしの真実である。あの時おっさんは正体不明のあの液体を撒き散らしながら、シルク・ド・ソレイユも真っ青なレベルの回転技を決めて見せたのだ。

 着地したおっさんは、何故か何処ぞのグラサン野郎ハードゲイ日本一有名巨大看板道頓堀のグリコのようなポーズを決めてドヤ顔でこちらを見ている。

「ひっ…!」

 彼が真っ青になって後退る。幸いあの液体がかかる事は無かった様だ。

 残念ながら、俺は彼と同じ幸運には与れなかったが。

 べしゃり、という音を立てて液体が俺の顔にかかる。液体は粘性を持っていて、鈍重に俺の頬を駆けた。小さな液体の雫はあたりに散って模様を作り、そこそこ大きなは同じような音を立てて地面や壁にへばりついた。

 この微妙な粘性と光沢、そして仄かに薫る芳しい加齢臭、つまり…。

「脂じゃねえかクソッタレぇ!!」

 ああ無情、あまりにも無情にして凄惨。前世のいかなる罪業か、俺は友人に付き合わされた挙句にホラー極まる人間に遭遇し、あまつさえおっさんの油脂を身体に浴びている。これが叫ばずにいられようか。

「え、あ、どうしたの?」

「やかましゃあボケぇ!」

「きゃあっ!私も悪いと思ってるからぁ!」

 もはや彼は完全に女の子と化している。普段ならからかいのネタにするところだが、今は俺とてそんな余裕は無い。

 このぬらぬらを浴びたせいで鳥肌は酷いし、臭いに囚われたせいで鼻が曲がりそうである。

「この野郎!カタがついたら嫌ってほど抱きついてやるからな!」

「えっ、あっ…べつに…その…」

 ねえなんでそこで赤面するのかな。おかしいね、おかしいねぇ(語尾高音)。

「…ヵ…ミ…カ…」

「え、何で私の名前…」

「違うだろ?」

 おっさんはムグムグと口を何か動かして、脂に塗れた不気味な声を出している。

「カミ…カミカミカミカミカミ、髪ィ!」

 そう叫んでおっさんは脂で湿ったハットをぶん投げる。てらてらと不気味に光を放つ頭部が露わになり、同時に獣のような脂まみれの叫びがさらなる激しさでこだました。

「バーコードかよ…」

 マジかよ1番コメントしづらいわ。いっそスキンヘッドにしろよ。中途半端に髪残して拘りやがって。スキンの方がまだ好感度あるわ。

「髪よこせええええ!!」

 おっさんが吠え、こちらへとやってくる。視線の先は…しまった!彼に向いている!

 驚くべき事に、おっさんは脂の上をいる。

 1秒。全てが終わるのに、このくらいしかかからなかっただろう。

 おっさんが俺の横を通り過ぎる。そして、彼の髪に掴みかかろうとする。そして、

  彼の脚がおっさんの顔面に突き刺さった。

「ぶげぇぇっ」

 おっさんは昏倒し、そのまま意識を失った。辺りには、血の代わりに脂がでろでろと流れ出していた。

「ひゅう」

 彼が息を吐いて、こちらを見直す。そして、してやったり、とVサインを出して微笑んだ。

「で、これどうする?」

「…救急車だけ呼んであげようか」

「俺は一刻も早くシャワー浴びたいから帰っていい?」

「ダメ!1人にしないで!」

 結局、俺達は日付が変わるまで、取調べを受ける事になった。

 まあ、これが当分の間俺達、いや俺を悩ませる、一連のアクロバティック○ラ○ラ事件の始まりだった。

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