6 店長のご出勤
「そういえばサイモンさん」すっかり毒杯の常連客となったテオデリヒが問うた。「ここの店長さんって見たことないんですけど」
すでにテオデリヒたちが毒杯に腰を落ち着けるようになってだいぶ経つ。もう彼らを物珍しげな眼で見るのは一見さんのみであり、すっかり毒杯の「いつもの風景」の一部と化していた。にもかかわらずいつも客をあしらっているのはサイモンひとりきりで、混んできたときにたまたま居合わせるとエーリオが手伝わされているくらいである。テオデリヒは「ひょっとして単に店の持ち主だから出てこないのか」と考えたこともあったが、それならサイモンが店長なのではあるまいか。何気ない問いではあったが、サイモンから返ってきた回答は意外なものだった。
「旅に出てるんだよ」
「旅……ですか」
「ここ、塔の1階にあるだろ。2階以上のほうもうちの店長が管理してるんだけど、その関係」
そう。サイモンの言う通り、毒杯は高い塔の1階にあった。石造りの、厳かな雰囲気の塔である。なにかありがたい塔だと思ってお上りさんが近寄ってきて、下が下品な酒場なのでショックを受けることもあるらしい。事実、テオデリヒはそれらしい場面に遭遇したことがある。塔に用事がある客はサイモンにいくばくかの「入場料」を支払って登っていく。1階で酒を飲むことは一切ないが2階の常連、という客もいるようだ。2階以上に何があるのかはテオデリヒは知らない。なんとなくいかがわしいものじゃないかとおもってわざわざ聞くことをしないのだ。
「でもこんなに帰ってこないのは珍しいな。いつもは長くて10日もあれば戻ってくるんだけど」
「何かあったんじゃないですか」
「かもしれない。大丈夫だとは思うんだけど、手紙の1通も来ないのはちょっとね」
「いつもは来るんですか」
「来る時と来ない時がある」
それでは判断材料にならない。
まだ顔も知らない店長のことを気がかりに思いながら、テオデリヒがレモネードを傾けていると、勢いよく扉が開かれた。
「よぅ。やってるかい?」
颯爽と現れたのはいかにも貴族然としたなりの青年であった。紺色の地に金モールがあしらわれた帽子と上着を華麗に着こなし、眩いばかりの金髪が細面を縁取る。そして顔がいい。とにかくいい。後光を背負いながら真顔で入ってきたら天使みたいに見えたことだろう。残念ながら背景は飲み屋街の雑踏で、当の本人はいかにも品のなさそうな笑顔を浮かべている。だが、顔の作りはいいのだ。とにもかくにも。
テオデリヒもモニカもこの闖入者に完全に目を奪われていた。その青年も2人に顔を向けるときょとっと首をかしげて「知らない奴がいるなあ。ま、ごゆっくり」と蕩けそうな微笑をしてみせた。店内がふっといい匂いになったような気がした。魂を取られたがごとくぼうっとなった2人は、サイモンが「あっ!」と大声を出したので危ういところで我に返った。
「店長!」
「サイモン! 元気そうだな!」
途端に不良の顔に戻って天使、もとい店長はまた笑った。そのままつかつかとカウンター内に入る。長身の部類と言って差し支えないサイモンと並んでも遜色ないくらい背が高い。常連客からちらほらと「店長」「久しぶりだな!」と声が上がる。ひらひらと手を振りそれに応えると店長はカウンターの真ん中に陣取って胸を張った。
「久しぶりだなてめーら! オレの美貌が拝めなくて寂しかったろ?」
客席がどっと沸く。「寂しかったぞー!」と声をかける者もいる。
「この店はオレの顔で持ってるようなもんだからな! 存分に拝んでいきやがれ!」
男ばかりの客席から野太い歓声が上がる。モニカとテオデリヒはまったくついていけない。
「店長! 店長不在時はおれの顔で持たせたんですからね!」
「サイモン、お前の顔下半分しか見えねーだろうが!」
大爆笑。
「じゃあオレはこのご尊顔をも少し近くで拝ませてくるからよ、サイモンは働いてろ」
「はいはい」
ちゃっかり自分の分もエールを注いで、ジョッキ片手に喧騒に飛び込んでいく店長。まだ勢いに飲まれたままのテオデリヒとモニカ。
「……ご覧の通り、あれが店長だよ」
「……いっつもあんな感じなんですか」
「おおむね」
サイモン曰く客と違うのはカウンターの中に入る権利を持っていることだけの酔っ払い、とのことだ。客あしらいもプロのそれというよりは酔っ払い同士のなれ合いである。
「お給金、ちゃんと払ってもらってる……?」
「ひどいなモニカ。おれも最初はおんなじこと思ったけど……ちゃんといただいてます。なんなら住むところまで世話してもらってるよ。うまいこと空き部屋があっただけなんだけどさ」
意外と福利厚生はしっかりしているらしい。その空き部屋に中古の家具をそろえて住み、食事は子隼が言っていたように屋台ものや安い店で済ませるそうだ。給金からはねられる部屋代は破格に安く「仕事は楽しいし、店長がもうちょっとしっかりしてればすごくいい職場だよ」とサイモンは胸を張った。
そうこうしているうちにひとしきり挨拶を済ませたらしい店長がカウンターに戻ってきた。中に……は入らず、テオデリヒの隣に座ったので2人はちょっと、ぎょっとした。
「店長お仕事はー?」
「”2階”の仕事しにはるばる旅に出ていたんだぜ? ちょっとは休ませろよ」
「いっつも休んでるじゃないですか。それに荷物はどうしたんです? 2階のお客さんも楽しみにしてるでしょうに」
「荷物は……増えすぎたから運送屋に任せた」
「でもさすがに手ぶらはどうなんですか?」
店長は「へっへっ」と勝手に面白そうに笑い、「まあ聞けよ」と空のジョッキをカウンターに置いた。「しょうがないなあ」とサイモンがおかわりを注ぐ。
「もう帰るだけだから大丈夫ってんであらかた運送屋に預けちまったらよぅ、旅券がねーんだわ! 乗合馬車の。鞄ごと預けちまったみたいでさ」
「それ、どうやって帰ってきたんですか……」
「純朴な田舎貴族のふりをして農民の荷馬車にのせていただいたりしてな……拓けたところまで来たら財布はあったからそれで」
「そのなりで純朴な田舎貴族って無理ありません?」
「1回家帰って、旅装束から着替えてきたんだよ。そりゃあぼろ着ていたってオレの顔はいいけれどもさ、服もいいほうがもっといいに決まってンだろ……あ、ひょっとして顔が良すぎて田舎者には見えないとかそういうことか? いいこというじゃんサイモン」
「違いますけど」
店長、自分の顔に自信を持ちすぎである。
冗談で言っている風でもないのがなお謎である。
事実顔はいい。テオデリヒとモニカが今まで見てきた人物で5本の指に入るくらいにいい。好みの問題もあるだろうが。2人はこれほど自分の容姿に自信がある人間を喜劇の中でしか見たことがなかった。しかもそういう登場人物はたいてい美貌を「鼻にかけて」いるのであって、店長のようにあっけらかんと主張するタイプは実在非実在問わずはじめてお目にかかる。きっといつものことなのだろう、常連の皆さんはサイモンと店長のやり取りでげらげら笑っている。
「で、2階の荷物はいつ来るんですか?」
「あさってくらいかな。量が多いからサイモンも手伝えよ」
「えー……誰がお店開けるんですか。あ、そうだ」
前髪越しにも、サイモンの視線が突き刺さるのをテオデリヒは感じた。それはモニカにも同様に向けられている。
「2人ともあさって暇? お小遣い出すよ」
興味津々の顔でモニカがうなずいたので、テオデリヒも2階に上がらざるを得なくなった。
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