9(コロス)
それから何日かして、わたしが次に向かったのは放送室だった。
音響担当の
それでもわかるとおり、かなりきつめの性格で、辛口のコメントでもためらうことなく発言する。ぽっちゃりめの体型に、ちょっとトイプードルに似た形の髪。座りのよい目つきをしていて、彼女が何か口にすると、なかなかの辛辣さと迫力があった。
目的の放送室があるのは職員棟のほうで、普段はあまりよりつかない場所に位置している。こっちのほうは夏休みになってもあまり様子は変わらず、先生たちは仕事に追われていた。
防音用の特徴的な扉と「放送中」の表示ランプがつけられた部屋の前までやって来る。ドア窓からのぞきこむと、乙島さんが中で作業をしていた。
放送室には各種CDがあって、彼女はその中から使えそうな音源をサンプリングしているのだ。舞台の雰囲気にあった効果音やBGM、それを場面ごとに選びださなくてはならない。
軽くノックをしてから、わたしはドアを開けた。乙島さんはすぐに気づいて、こっちのほうを見る。が、画像解析プログラムなみの愛想のなさを示しただけで、特に挨拶したりもしない。何というか、ふてぶてしいというか、実に威風堂々としていた。
「今、ちょっといいかな?」
と、わたしは訊ねてみる。
乙島さんは、「別にいいですよ」とも「やっぴー、うれぴー、私、感激」とも言わなかった。ただ、路傍の石でも見るような温度のない目つきをしただけだ。その代わりに、
「何の用ですか?」
という、心温まるセリフを口にしてくれる。わたしはあまり気にせず、笑顔を浮かべて言った。
「ううん、別に。ただ、何か手伝えることでもないかなぁと思って」
「先輩のほうは、仕事終わったんですか?」
わたしのとっておきの笑顔にあまり魅力はなかったらしく、乙島さんの口調は特に変わらなかった。
「いや、まだだけど」
「なら自分の仕事をしたほうがいいですよ」
うん、実に正論だった。
乙島さんはそのあいだも、ノートパソコンをにらみながら何やら操作していた。慣れた手つきでマウスを動かし、時々苛立たしげにキーボードを叩いたりする。
どうやらそれは、最初に長老たちが登場する場面の効果音らしかった。彼らは、ギリシア演劇では「コロス」と呼ばれる、なかなか特殊な役柄だ。コロスは登場人物であると同時に、傍観者でもある。ストーリーやキャラクター、状況について適当な解説を行うとともに、観客の代弁者になって劇中人物の運命や心情を嘆いたり憐れんだりもする。ついでに言うとオーケストラ的な装置も受けもっていて、場面転換時には歌をうたったりもする――けど、今回の舞台ではそこまではしない。ほかの登場人物による歌唱も省略する。
ともかく、演劇というのはそもそもコロスだけから編成された朗読劇に近いものだったらしく、舞台役者が登場するまでには、それなりの歴史と変革が必要だったのである。だからコロスである長老たちの登場シーンとういうのは、けっこう重要なのだ。
――以上は、大体が部長からの受け売りである。
乙島さんもその辺のことは理解しているらしく、冒頭のその部分について苦労しているみたいだった。笛やら太鼓やら、奇妙な音を組みあわせて何とかそれらしい雰囲気を作りだそうとしている。
「先輩は、こっちとこっちのどちらがいいと思いますか?」
乙島さんは言って、二種類の効果音をそれぞれ再生させた。どうやら、アドバイスを求められているらしい。
「最初のほうがいいかな」
と、わたしは答える。
「じゃあ、それにこれを加えたら?」
カチカチとマウスを操作して、三種類目の効果音を再生する。笛、太鼓、管楽器的な何か――
「そこは、鈴みたいな音でいいんじゃないかな? しゃらん、しゃらん、て錫杖っぽく」
「……確かに、そうかもしれませんね」
再び、マウスをカチカチさせる乙島さん。
雰囲気が南極から北極くらいに軟化した気がしたので、わたしはこの機を逃さず訊ねてみることにした。
「乙島さんは、今度の舞台についてどう思ってるの?」
八割くらいの意識をノートパソコンに集中したまま、乙島さんは答える。
「何かのテストですか?」
「まさか――」
わたしは肩をすくめてみせる、というわかりやすいジェスチャーをしてみた。
「ただの興味だよ。何しろ演劇の結晶核みたいなものだからさ、感想を聞いてみたくて」
「……話としては少しずれるんですが、この劇って地区大会でやるつもりはないそうですね」
乙島さんの言う地区大会というのは、全国高等演劇大会の、予選のことだ。地区大会、県大会、ブロック大会とあって、最後に全国大会がある。
最初のほうの段階で、この舞台は文化祭でしかやらない、ということが明示されていた。文化祭が夏休み明けの九月で、地区大会は十月だから、大会用に別の劇を仕上げるのはかなり忙しくなってしまう。
その辺のことも、どうやら〝よっぽどの事情〟にからんでいるみたいだった。
「確かに、このまま大会に向けて練度を上げていくほうが、理にはかなってると思うけど……」
と、わたしは同意した。すると乙島さんは、環境破壊に眉をひそめる良心的な科学者みたいな顔をして言う。
「その点に、私は少し疑問があるんです。だからといって、別に手を抜いたりするわけじゃないんですが……」
ふむ、とうなずいてから、わたしは海の底にすむ魔女みたいに、悩める人魚姫にアドバイスしてみた。
「理由のほうはともかく、この劇は大会向きじゃない、と部長は考えてるのかもね。それか、わたしたちじゃ力不足だと判断したのかも。でももしかしたら、文化祭での出来がよければそのままやってみようと思ってるのかもしれない。そうじゃなかったとしても、たぶん部長なりの予定なりスケジュールはあるんだと思う。つきあいは乙島さんより一年長いだけだけど、鹿賀部長はちゃんと信頼できる人だから」
わたしがそう言うと、乙島さんはまたノートパソコンの画面に視線を戻して、ポチポチとマウスのボタンを押した。わたしの言葉が彼女のどの辺に収まったのかは、見当もつかない。
ややあってから、乙島さんは口を開いた。
「――私としても、劇そのものは面白そうだなって思ってるんです」
それが、わたしの最初の質問に対する乙島さんの答えだった。ピタゴラスイッチなみに素直じゃない女の子なのだ、彼女は。
「うん、わたしもそう思うよ」
と、わたしは至極単純に答えた。
「セリフがいかにもごちゃごちゃしてるのがいいよね。〝見張りももう一年、眠ったり起きたり。御殿の屋根を抱いて――まるで犬だ。〟」
乙島さんは特に何も言わなかった。もちろん、「やっぴー、うれぴー、私、感激」なんてことは。それでも、横顔にはほんの少しの変化があった。それは月が一日分に見せる程度の違いでしかなかったけれど。
やがて、乙島さんはそよ風に風鈴が鳴るみたいにして言った。
「――すみません、こんな生意気なしゃべりかたしかできなくて」
それを聞いて、わたしは笑って答える。
「大丈夫、椛ちゃんはもっとひどいから。喜望峰の暴風雨なみに」
その言葉に、乙島さんも笑った。困ったような、こそばゆいような、とても小さな笑顔ではあったけど。
わたしは椛ちゃんに向かって、心の中でそっと感謝した。粗暴な友人もたまには役に立つのだ。たぶん今頃、本人はくしゃみでもしていると思うけど。
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