8(仮面)

 夏休みも日数が下るにつれ、舞台の準備は本格化していった。全員での読みあわせを行い、細部のイメージを詰めていく。舞台上の動き、音響、それにもちろん照明についても。

 どこで明かりをつけるのか、どんな光線にするのか、ライトの位置、細かなタイミング、舞台の意味にあわせた照明効果、役者との息のあわせかた――

 当然だけど、これはなかなかがないし、完全な正解を見つけるのも難しい。明かりを一瞬でぱっと消したほうがいいのか、徐々にフェードアウトしたほうがいいのか。光量の多少、強弱。照明に音響をあわせるのか、音響を照明にあわせるのか。考えようと思えばいくらでも考えることができる。

 でも人間の能力は有限だし、時間だって同じく有限なのだ。いま少し時間と予算をいただければなんて、言ってられない。弁解は罪悪なのだ。どこかで目処をつけなければならないし、いつまでも不可能なことに挑戦し続けるわけにもいかない。妥協や諦めやごまかしだって、必要なのだ。

 もちろん、それにも増して努力と工夫が――

 何度も試行錯誤や話しあいを重ねるうち、舞台の完成図についての青写真が出来上がりつつあった。骨組みは一応の形になったから、あとは外観や内装を仕上げていかくちゃならない。わたしはキューシートを作ったり、照明の具体的な操作、進行を計画するのに忙しかった。

 その一方で、わたしは謎の脚本家のことも忘れてなかった。久瀬先輩には釘をさされてしまったけど、それでもこのことを放ってはおけなかったのだ。その正体を、わたしはどうしても突きとめておきたかった。

 そのためには――

 部員、一人一人に訊いていくのが確実、かつ一番手っとり早かった。最善な方法というのは、いつだって地味で面倒なものなのだ。


 というわけで、わたしはまず一年の教室に向かってみた。四階にある、1―Cの教室。

 夏休み中だけあって、普通教室の周辺は時間ごと削りとられたみたいな静かさだった。中には文化祭に向けて何か作業をしているクラスもあるけど、みんながみんなやる気と熱意を持っているわけじゃない。まだ休業期間の半分も過ぎていないのだから、こんなものだろう。

 それで、1―C。

 わたしが訪ねてみると、そこには窓際の机にぽつんと一人だけ、女子生徒が座っていた。まるでみんなに忘れられて、遊園地に置き去りにでもされたような格好だったけど、当人がそれを気にしている様子はない。

 彼女の名前は、はしばみつくし。演劇部の一年生で、主に小道具を担当している。見かけによらず、手先が器用なのだ。

 問題のそのは、ぬいぐるみ系女子といったところ。尖ったところがどこにもなくて、温和で、小動物みたいに大人しい。というより、つくしちゃんの場合は小動物みたいに臆病なところがある。ケーキのスポンジを連想させる、もこっとした短めの髪。タンスや柱時計に隠れるのには便利そうな、小柄な体型。身長は、わたしよりも少しだけ低い程度。

 つくしちゃんは――たぶん自分の――席に座って、机の上で作業をしていた。劇に使う小道具を作っているのだ。何かの塊の上に、刷毛で糊を塗っては紙を貼りつける、という工程を延々と繰り返していた。

「つくしちゃん、何作ってるの?」

 と声をかけながら、わたしは近づいてみる。

 つくしちゃんは気づいて、顔を上げた。狼がいたらすぐさま襲われてしまいそうな、弱々しくて無防備な表情をしている。この子は、どこかの王子様が守ってやらなくちゃいけないんじゃなかろうか?

「――ああ、咲槻先輩」

 つくしちゃんはほっとしたような笑顔を浮かべる。何に怯えていたのかは、不明だけど。

「私、仮面を作ってたところなんです。劇でみんながかぶる」

 机の上をのぞきこむと、そこには紙粘土で作ったらしい人面を模した像が置かれ、習字の半紙と新聞紙が何層にも貼りつけられていた。

 いわゆる、張り子面というやつだ。

 基本形になる土台に糊を使って何枚も紙を重ね、それが乾いて固まると、土台から取りはずしても元の形がそのまま残っている。出来上がったものは外皮だけの宙空で、重量はほとんどない。

 ――と、言葉にするとえらく簡単そうなのだけど、実際にはそううまくはいかない。まず土台をきちんと成型しなくちゃいけないし、紙も何十層だかを塗っては乾かし、というのを繰り返さなくちゃいけない。とても根気のいる作業なのだ、これは。

 舞台で必要な仮面の数は、全部で十個。つくしちゃんは文句も言わず、一人でそれを作り続けていた。仮面同士の出来ばえを統一しておくために、そうする必要があったのだ。

 そして古代ギリシア劇をやるからには、仮面は必需品である。

「…………」

 わたしは、そばの机に置いてあった仮面の一つを手に取ってみた。

 つくしちゃんが丁寧に作っているのか、紙製にしてはずいぶん頑丈な気がする。アルカイックというか、プリミティブというか、ちょっと表現しにくい造型の仮面だった。比較的のっぺりした顔で、目と口の部分に丸々とした穴が大きく開けられている。あえてよく言うならば、埴輪に似ている。

 当然だけど、仮面のデザインは役柄によって一つ一つ違っていた。もともと、観客に登場人物をわかりやすく示すためのものなのだ。そのぶん、つくしちゃんの苦労は増えることになるのだけど。

「先輩、ちょうどよかったので手伝ってもらえますか?」

 作業が一段落したらしく、つくしちゃんがそう頼んできた。もちろん、わたしに否やはない。

「いいよ、何をするの?」

「黒板が汚れないよう、新聞紙で覆って欲しいんです」

 変てこな要求ではあったけど、わたしはその通りにした。セロテープを使って新聞紙を吊りさげるようにして、それで板面全体を覆ってしまう。

 そのあいだに、つくしちゃんは何やらごそごそと準備をしていた。机の中から、ペンキの入っているらしい缶と刷毛を取りだす。この子は学校の机に、一体何をしまっているんだろう?

「できたよ、つくしちゃん」

 わたしが声をかけると、つくしちゃんはペンキと刷毛、それから仮面の一つを近くまで持ってきた。

「何するつもりなわけ、一体?」

「クリュメ、クリュタメ、クリュタメスタ――」

「……クリュタイメストラ?」

 わたしが助け舟を出すと、つくしちゃんは恥ずかしそうにうつむいてしまった。気持ちとしては、よくわかる。

 けどすぐに気をとりなおして、つくしちゃんは説明した。

「そのクリュタ……の仮面を作るんです。王様殺害後の」

 それで、わたしにもわかった。仮面に血飛沫をつけようというのだ。ということは、王妃の仮面が二種類に増えることになる。

 つくしちゃんはペンキの蓋を開けて、刷毛を用意する。それから、新聞紙に向かって何度かペンキを飛ばした。どんな風になるか確かめているのだろう。わざわざ垂直状態にしたのは、自然な血の滴り具合を再現するためみたいだった。

「凝ってるなぁ」

 と、わたしは感心してしまう。

 ある程度納得したところで、つくしちゃんは黒板の真ん中あたりに糸を使って仮面を吊るした。そうして、あらためて仮面に向きなおる。

 ――緊張の一瞬。

 というほどもなく、つくしちゃんは「ぱっ」「ぱっ」と刷毛を二振りした。仮面の右上あたりに、二筋の返り血が刻まれる。それから今度は、左下辺に丸い点になるようペンキが飛ばされる。とろんと色が垂れて、何だか十三日の金曜日風になる。都合三度、血の跡をつけたのは、劇中でアガメムノンは三回斬りつけられるからだ。なかなかに血なまぐさいお芝居なのだ、これは。

「――うん、こりゃ相当の出来だね」

 とわたしは正直な感想を口にした。

 すると、つくしちゃんは恥ずかしそうに顔を真っ赤にする。実にわかりやすい女の子なのだ。わたしも、彼女の爪の垢を煎じて飲むべきだろうか?

 何にせよ、つくしちゃんが今回の脚本を用意したとは思えなかった。そんな器用なことのできる子じゃないし、あの名前の間違えかたがわざとだとは考えにくい。

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