5(ギリシア神話)

「――やっぱり、気になる」

「まだ言ってるわけ?」

 終業式後、わたしと椛ちゃんは駅前の甘味処「玉梓たまずさ」にいた。これからの夏休みを記念して、ちょっとした贅沢をしておこう、というつもりだったのだ。

 甘味処の店内は、モダンかつ和風の雰囲気で、黒と紅殻の色を基調にしている。瀟洒な柱に、玉砂利を固めて造った床。風流で、涼やかで、何よりクーラーが効いていた。

 わたしたちは仕切りのあるボックス席で、それぞれデザートを口にしていた。椛ちゃんは抹茶パフェ、わたしは白玉ぜんざいだ。もちもちした白玉と甘いぜんざいをいっしょに食べると、幸せというのがどういう形をしているのかがよくわかる。

「とにかく、部員の誰かが発案したってことは間違いないんだよね」

 わたしは朱色の匙を使って白玉をすくいあげながら言った。このぷるぷるしたところが、一番の魅力ではなかろうか。

「部長がそう言うんだったら、そうなんでしょうよ」

 肉食動物的な潔さでパフェを食しながら、椛ちゃんは言った。そんじょそこらの美少女とは違って、凄みのあるタイプなのだ、椛ちゃんは。

「けど、それだったら何で秘密になんてしておくんだろう?」

「さあね――」

 椛ちゃんはたいして関心はなさそうに言う。

「でも鹿賀部長がそれで納得するくらいなんだから、よっぽどの事情なんでしょうよ」

「そりゃ、確かにそうなんだけど……」

 わたしは白玉を口にしたあと、無意味にぜんざいの中をかきまわした。もちろん、そんなところに答えはないし、食べた白玉が増えたりなんかもしない。叩いたらビスケットの増えるポケットとは違うのだ。

「……もしかして、椛ちゃんがあの脚本を書いたってことはない?」

 手っとり早く謎を解決するため、わたしは一番身近な人間を疑ってみた。

「なわけないでしょ、頭どうかしてんじゃないの?」

 椛ちゃんは蝿でも払うみたいに言う。わたしは失敗した皮算用にため息をついた。

「まあそうだよね、椛ちゃんにそんな学識があるわけないし」

「おい、人を愚弄するときはもう少し婉曲表現を使うようにしろ」

 自分のことは棚に上げつつ、椛ちゃんは警告する。

 とはいえ、椛ちゃんがこんなことでわざわざ嘘をつくわけもないので、少なくとも容疑者は一人減ったわけだった。あとは、「部員の誰か」ということしか手がかりは与えられていない。

「こりゃ、難事件ですぜ――」

 わたしは軽くうめいてみせた。でも、

「難事件以前に、事件かどうかも怪しいところだけどね」

 と、椛ちゃんはせっかくの芝居に水を差してくる。

 それはともかくとして、わたしは唯一の証拠品である台本について考えてみた。あまりはっきりとはしないけど、舞台の発案者があの台本を書いたと見て間違いないだろう。そうでなかったとしても、発案者と脚本が無関係なはずはない。

 つまるところ、問題は『アガメムノン』そのものにあるわけだ。

「ギリシア神話ってさ、けっこうややこしいところがあるんだよね」

 と、わたしは考えを整理するために独り言みたいにして言った。

「誰が誰の子供とか、誰の先祖にはいわくがあってとか――けっこうな家系図ができちゃんだよね。それも神様やら精霊ニンフやらがからんできて」

「ふうん」

 聞いているのかいないのかはともかく、椛ちゃんはうなずいた。パフェの減りかたに遅滞はない。

「このアガメムノンだって、父親の代からの因縁があるの。彼の父、アトレウスはその弟に、我が子の肉を食べさせる。わからないように料理して、ね。その弟の息子が、アイギストス。彼は王妃クリュタイメストラと共謀してアガメムノン暗殺を企てる」

「従弟と妻に殺されたってわけだ……ちょっとややこしいけど。ところで、そのアトレウスってのは何でまた子供の肉を食べさせるなんて酷いことをしたわけ?」

「弟であるテュエステスが王位簒奪を図ったから。それも、彼の妻と姦通して」

「おやおや」

「で、怒った彼は内心では腸を煮えくり返しながら、許したふりをして弟を呼よせるの。逃亡して疲れはててた弟は、子供たちを連れて王宮に戻ってくる」

「そこで、悲劇が起こるわけだ。そりゃ呪われもするわ」

 椛ちゃんは満足そうにパフェを完食した。阿久津椛の前では悲劇も形なしである。

「まあそれだけの話も含めて、『アガメムノン』てわけ。だから、これを選んだ人は、ギリシア神話にそれなりに詳しかったはずなんだよね」

「そう言う咲槻だって、ずいぶん詳しいみたいじゃない?」

「わたしが知ってるのはたまたまで、それもごく狭い範囲のことだけなんだ……椛ちゃん、〝イタカ〟って知ってる?」

「何それ」

 わたしは乏しくなってきたぜんざいを侘びしくつつきながら言った。

「オデュセウスの故郷、ギリシアに数ある島の一つ」

 わたしがそう言うと、椛ちゃんは細くて形のよい眉を歪めた。そうして言うことには、次のよう。

「あたしはいつかスターになりたいんであって、辛気くさい学者になりたいわけじゃないんだよね」

 威風堂々して省みることのないその言いかたに、わたしは思わずくすっと笑ってしまった。

「椛ちゃんのそういうとこ、好きやで――」

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