3(疑問)
「――別におかしくないんじゃないかな」
というのが、椛ちゃんの意見だった。
学校の、昼休み。太陽は夏の本番に向けて試運転中といったところで、今日はわりあいに涼しいほうだ。
わたしたちは同じ机を共同スペースにして、お弁当を食べていた。教室の人数は半分くらいといったところで、世界の状態は空気の抜けたタイヤみたいにゆるんでいた。
椛ちゃんは、フルネームは
はっきり言って椛ちゃんは「美少女」で、本人もそれを公言してはばからない。公言してはばからないのが当然なほどの、美少女でもある。
……それに対して、わたしのほうはというと、比較するのも烏滸がましいほどだった。垢抜けのしない、冴えないボブカットに、もっさりした大きめの眼鏡。背の高さだって人並み以下だ。自分で言ってて嫌になってくる。
そんなわたしと椛ちゃんが友達というのも、妙といえば妙な話ではあった。
「あたしとしてはいいと思うけどね、この劇」
椛ちゃんは、ちょっとそぐわないほどの乙女チックなお弁当を食べながら言う。お母さんの趣味かもしれない。ちなみに、お母さんも美人だ。遺伝子が羨ましい。
「いや、わたしとしても別に劇そのものに文句はないんだよ」
とわたしは念のために否定しておく。そもそもこれは、世界遺産的な演劇の一つなのだ。その辺の高校生が、勉強のあいまに片手間で書いた脚本というわけじゃない。
「わたしが気になってるのは、何でわざわざアガメムノンなのかってこと」
そう訂正すると、椛ちゃんは軽く肩をすくめてみせた。実に表現力豊かな動作だった。
「……だから、別におかしくないでしょ。〝アガメムノン〟でも〝テンペスト〟でも〝ゴドーを待ちながら〟でも、やっていけないってことはないんだからさ」
確かに、それはそうだ。
わたしは反論の余地を失って、ちょっと黙ってしまう。実際、別におかしなことなんてないのだ。演劇部が、有名な古典演劇に挑戦する。話としてはそれだけ。三人の魔女に唆されて王の謀殺を図るみたいな、疚しいところや後ろ暗いところはない。
けど――
何故だか、わたしはそれが気になって仕方ないのだ。
わたしがそうして黙っていると、
「……ただ、咲槻じゃないけど、あたしとしても気になるところはあるかな」
と、椛ちゃんは言った。咲槻というのはわたしの名前。名字も入れると、小森咲槻になる。
「この台本、ちょっと変なところがあるんだよね」
「変なところ?」
わたしがうながすと、椛ちゃんはたいしたことでもなさそうに言った。
「セリフのつながりが、所々でおかしいんだよね」
「そうかな?」
読んでいて、わたしは気にならなかったけど。そもそも、相手はかの三大悲劇詩人の一人なのだ。
「まあ変てほどじゃないんだけど、古いゲームのポリゴンみたいに角々してる感じかな」
比喩のディテールについては言及すまい。
「――それでストーリーが壊れるわけでも、流れが損なわれるわけでもない。けど、よくよく見ると熔接部分があるように感じられる、ってとこ」
「それは、女優として気になるくらいに?」
演劇部では、椛ちゃんはもっぱら役者のほうにあたっている。
「照明係が読んだって、まともな視力さえあれば気になるよ」
椛ちゃんは軽く憫笑してみせた。照明係というのは、もちろんわたしのことだ。
「ああ、神様、わたしにまともな目を――いやさ、まともな眼鏡を」
「まあ舞台用に短く編集してるわけだから、滑らかじゃないのも仕方ないかもね」
そう言って、椛ちゃんはわたしの小芝居をあっさり無視してみせた。
とはいえ、椛ちゃんのこういう発言にはけっこう確かなところがある。野生の勘みたいなもの、と本人も言ってた。そして椛ちゃんのそれは、けっこう鋭い。
「咲槻が何を気にしてるかは知らないけどさ、まだやると決まったわけじゃないんだし、そこまでこだわることはないんじゃないかな?」
と、椛ちゃんはとりなすように、いなすように、わたしのことを慰め(?)た。
わたしはタコの形になっていないウインナーを食べながら、それでも何となく納得のいかないものを覚えていた。箱の中に隠されているものの正体を手探りで当てようとしたとき、こんな気持ちになるのかもしれない。
――文化祭での演目予定発表から一週間後、もちろん誰の異論も反論なく、舞台『アガメムノン』の上演は決定した。そのことにしつこく疑問を抱いていたのは、たぶんわたしくらいのものだったろう。
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