第8話

 濃すぎるオレンジ色の空が、街を染めている。朝と違って静かに、しかしたしかに賑わっている帰り道。親子連れが買い物を終えて夕飯について談笑し、疲れた顔の男たちが今日の肴について盛り上がっている。いつもと変わらないなんの変哲もないいつもの風景だけど、感傷的になりなって意気揚々と自宅を目指す。いつもならなんの感動もなく、ただ歩いていただけだろう。


 けど、今は違う。帰ったら待っている人がいる。それだけで仕事の疲れが吹き飛んでいる。ルウに会える。実に九時間二十九分ぶり

 少し残念なことがあるとすれば、箒は現在使えないことだろうか。朝無茶をして無理がたたったのか、推力と浮力を失い、空を滑空することもできない。軽く調べてみたが、いくつか亀裂が入っているし、ボロボロ。煙を発している。


 そろそろ寿命ということだろう。


 石畳の路地を歩きながら、箒に必要な材料、そして構築すべき魔法を頭の中で列挙していく。部屋の扉の前に立ったとき、息と身だしなみを整える。軽く髪の毛も直して発声練習する。扉を開けるとき、手が少し震えた。


「ただいま、ルウ。帰ったぞ」


 意気揚々と扉を開けて、帰宅を告げた。お帰りなさいませ。そんな言葉だけを想像していた。


 全裸のルウが出迎えてくれるなんて露ほども期待していなかった。


 ルウも予想外だったらしい。硬直してしまっている。二人ともその場で一歩も動かないまま見つめ合っていた。少し視線をずらしてしまったのは幸か不幸か。俺はルウの産まれたままの姿を、まじまじと瞳に焼きつけてしまった。


 奇麗だ。初めて女性の裸を生で見たけど、きっとこれ以上に素晴らしいものはこの世界に存在しない。シミ一つない肌に女性らしいふくよかな体、そして張りのある二つの――


「お帰りなさいませご主人様」


 ルウは尻尾を腰に絡みつけるようにして下半身の一部を、左右の手でそれぞれ上半身とお腹を隠して頭を下げている。・・・・・・はっ! いかんいかん。われを失っていた。


「申し訳ありません。お帰りになる時刻とは知らず、無作法をいたしました」

「あ、ああ。うん」

「部屋の掃除をなんとか終えられたのですが、体が汗と汚れまみれになってしまいまして」


 足下にある真っ黒な水の桶と汚れきった雑巾をチラ見して、なんとか頷くだけで精一杯だった。正直、なんと受け答えして良いか・・・・・・。女性の、それも好きな子の裸を見られたのだから嬉しいことは嬉しいのだが、恥ずかしさと驚きもあってこれからどう動けばいいか、なんと声をかけたらいいのか。


「しかし、ご主人様がお望みならば、どうぞお気の召すままにご覧ください」


 顔が、真っ赤だ。りんごのように。きっと我慢しているんだろう。無表情ではあるものの瞳は羞恥のせいで潤んでいる。耳も元気を失ったみたいにぺたんと伏せられてしまっている。


 ・・・・・・俺の馬鹿野郎!


「せいっっっっ!!!」

「っ!?」


 自分の顔を、何度も殴り続けた。戒めのために。


「ご主人様一体何を?」

「とめてくれるな。これは俺自身への戒めだ」


 好きな子が嫌な気持ちになっている。しかも自分のせいで。なのに俺は喜んでいた。とんでもない下衆野郎じゃないか。力いっぱい顔を殴り続ける。痛い。口の中にじんわりと鉄の味がひろがっていく。けど、まだだ。何発殴っても満足できない。こんなもんじゃない。ルウの痛みは、苦しみはこんなもんじゃない。


「そうだ! ルウ、俺を殴ってくれ」


 名案が浮かんだので早速頼んでみた。


「・・・・・・なにゆえですか?」


「嫁入り前の女性の裸を見てしまったんだ。むしろそんなの軽いくらいじゃないか」

「・・・・・・それはご命令でしょうか?」

「違う。頼んでいるんだ」

「・・・・・・とりあえず服を着てもよろしいでしょうか?」


 慌てて後ろを振り向く。ずっと恥ずかしい格好をさせて、自分のことだけ要求するなんて、最低だ俺は。衣擦れの音がしなくなって、改めて向き合った。


「さぁ、存分に殴りまくってくれ。もしくは蹴ってくれ」


ルウはためいきをすると、額に手を当てながら黙り込んでしまった。沈痛な面持ちだし、一体どうしたんだろう。


「ご主人様は、私とご自身に対する立場や関係というものを正しく理解しておられますか?」


 ? いきなりなんだろう。それより殴ってくれないの?


「なにゆえにそこで不思議そうになされるのですか・・・・・・。もういいです。私は別に気にしていませんので」

「だが、それでは俺が――」

「いいのです」

「・・・・・・それじゃあなにかわびさせてくれ」


 ルウが今度は頭を抱えた。小さくうなってもいる。


「これでは私が馬鹿みたいじゃないですか・・・・・・」「でも、これは利用できるのでは・・・・・・?」「いっそのこと・・・・・・」とかなんとか言ってるけど、よく聞き取れない。


「うん、それがいいですね。その方が悟られないし、馬鹿なご主人様で助かった」

「ルウ?」

「コホン! それでは、今後の食事について私の要望に応え続けてくださるということで、よろしいでしょうか」


 食事? そんなことか?


「差し出がましいようですが、察するにここにある食べ物で過ごされるおつもりなのですよね?」


 もちろんそのつもりだ。兵糧は便利だし、腐る心配がない。それに食べるのが簡単だ。もしなくなったとしても、ずっと買い続けて食べ続けようかと考えていたくらい。そう告げると、ルウは顔をしかめた。


「あれじゃ不満か?」

「・・・・・・・・・・・・多分に」


 いいけど、そんなことでいいのか? 簡単なことすぎて気がひけるけど、ルウは断固として譲らないか、こちらが折れるしかない。渋々ではあるものの、仕事道具を工房に置いて、二人で部屋を出た。


 さっきまで夕暮れどきだったというのに、既に真っ暗になっている。外にいる人の数もまばらで、通り過ぎる家々からは明るい光とともにそれぞれのだんらんが漏れている。


「なんか・・・・・・いいな」

「? なにがでしょうか」

「いや、家庭みたいなものが」


 以前までだったら気にならなかったもの。明るく元気な会話。きっと家庭の幸せと呼ばれるものなんだろう。俺もいつかルウと、なんてという淡い願望が胸を温かくする。


「いつか俺もこんな家庭を持ちたいって憧れるな」


 できれば君と・・・・・・なんて恥ずかしくて言えないが。


「そうでしょうか」

「耳をすませてみな。そうすればルウもそうなるはずだ」


 「あんた少しは働きなさいよ!」「うるせぇてめぇがなんとかしやがれ!」「あなたもうお酒はやめたほうが・・・・・・」「これしか生き甲斐用字生きがいがねぇんだバーロウ!」「ママお腹用字おなか空いたー!」「あ~もううるさい! 勝手に食ってな」


「・・・・・・本当に憧れるのですか?」

「あれらは反面教師に」


 なんともいえない微妙なかんじになっていたら、目的地に着いた。前に案内したときにきた、料理屋。夜は酒場としても機能しているから、客は半分が酔っ払いでもう半分が俺たちのように食事しに来た人たちと二分されている。


普段から魔道士になるための研究に費やすため、大した食生活ではなかった。それでも給料日とか少し余裕ができたとき、それから知り合いに誘われたとき、ここに良く来ていた。顔見知りの店員と久しぶりに会話をして、すぐにテーブルに案内された。


 ルウの説明とあいさつをすると、引きつった笑顔をされた。なんだろう。ルウがかわいいから驚きすぎたのかな。


 ルウは手書きのメニューをじっくり読み込んでいて顔を上げない。悩んでいるルウの横顔もいいな。


 水を飲みながら、店内をぐるりと観察する。見知った顔がいくつかあって、皆前までと同じように過ごしている。エルフ、ドワーフ、リザードマン。種族に違いなく溶け込んでいる風景。


ふと、店員が俺たちの方を指さしてひそひそ話をしている。なんだろう。ルウがかわいいってことか? 


「ご主人様、よろしいでしょうか」

「注文が決まったのか?」

「はい。この羊肉を焼いたものを」


 ふむ。値段も手頃でちょうど良い。しかし、それだけで足りるのだろうか。


「それとパンと、スープとサラダと」


 良かった。まだ続きがあった。


「それとこのムール貝の酒蒸しとパエリアと魚の辛煮付け助詞不足の可能性ありと極太ソーセージの燻製、ベーコンの炙り焼きと丸かじりハムと」


 お腹がすごい減っていたんだろうか?


「それとこのアイスクリームとプディングとプリンも最後に」


 まだあった・・・・・・・・・・・・。全部注文するとすごい金額になる。どうする? 


「ご主人様?」


 というか今更だけど、今後ずっと外食を続けるととんでもないことになるのでは?


 考えてみれば生活費はこれから二人分になる。ひょっとしたら困ることになるんじゃ・・・・・・?


「ですが奴隷である私はそれらを想像しながら飲むお水だけで結構です。それほど注文しては、ご主人様に負担を――」


「すいませーん! これとこれとこれとあとこれとそれお願いします! マッハで!」


 最後がいじらしすぎるものだったので即決で注文した。最悪、俺が給料日まで水で毎食過ごせばいいだけだ。もしくは家にある兵糧で。


「ありがとうございます。やはりご主人様はチョロいですね。失礼しました。お優しくて器が大きいのですね」

「んんんんんんんっっっ!!」


 褒められて嬉しさと愛おしさで叫びそうになったが、唇をかんだことで防げた。


 会話をしながらだと、あっという間に料理達がやって来た。テーブルが大量の料理で埋まっているさまは、圧巻の一言。しかし、ルウはそれらをそわそわしながら見下ろしている。食べ出して良いのを今か今かと待っている犬みたいで、いとおしみがすぎる。


「いただきます」


ルウは手を合わせて、礼儀正しく料理を食べ始める。意外と大食いで食べるのが好きらしい。尻尾がぶんぶんぶんぶん! と勢いよく感情を表現している。最近、ルウの感情がわかるようになってきたな。


 特に肉を食べるときは尻尾がすんごい動きになっている。もぐもぐもぐっと勢いよく食べ進める。ルウはお肉が大好きだから、それを眺めるだけで、胸がいっぱいだ。

だが、眉間に少ししわが寄ったことがきっかけで、徐々にペースが下がっていく。


「どうした?」

「いえ、あの、このお肉は、帝都では一般的な羊のものなのでしょうか? 私の村で食べていたお肉と、少し食感といいますか、味が違ったので驚いてしまって」


 地域によって食べ物がそれほど変わるものなのだろうか? ルウに断って一切れもらったが、変わらない気がする。


「こんなものだろう。俺が住んでた場所での肉も料理も、こんなだったぞ」

「そうですか。いえ、いいのですはい。美味しいです。とっても」


 ルウはお肉以外の物も食べる。しかし、反応はやはり変わらない。


「ご主人様も一緒に食べませんか?」

「え? だが、これは全部ルウが食べたかったんじゃ?」

「いいのです。ご主人様もまだ何も注文なさっていませんし。一緒に食べましょう。少しはしゃいでしまっていました」


 なにか引っかかるけど、空腹には勝てず、素直に食べることに。


「うまいな。魚も貝も。ここの料理は、やっぱり落ち着く」

「ええ。そうですね」

「ハムとソーセージ、それとベーコンは、店主オリジナルのハーブとか味付けの手作りなんだ」

「成程。だからこれほどなのですね」

「ルウも美味しいか?」

「ええ。もちろん。頬が落ちてしまいそうです」


 感想とは反比例するように、声は少しも嬉しそうじゃない。スプーンやフォークも動かしていない。故郷の味と違いすぎるから、困惑しているんだろうか。


「もし、仮に、私がここのお料理が好きじゃない、美味しくないと告げたら、どうなさるのですか?」

「店主に苦情入れてすごい怒る。最悪店燃やす」


 決まっているじゃないか。


「仮に、の話ですがそこまでなさりますか・・・・・・。違いますのでご安心を。というよりも、ご主人様、いかがなさいましたか?」

「ん?」

「いえ、私の方を見てニヤニヤしていらっしゃったもので。気持ちが悪い・・・・・・いえ違いました。吐き気を催す・・・・・・これでも足りませんね。生理的嫌悪感が」

「もう良いからフォローしなくていい! さらに悪化していっているじゃないか!」


 好きな子と食事をするっていう尊い行為に幸せをかみしめていただけだ! そんな表情をしていたのかと内心へこんだけど。


「そうですか。それでは、ご主人様もどうぞ」


 ? プリンをすくって、たスプーンを俺の前に差し出してきた。やや間があって、俺も甘い物が食べたくてプリンを羨ましがっていると勘違いしたらしい。自然な流れすぎて、口を開けて受け入れてしまいかけたけど、口に入れる直前になってあることに思い至って顔を引いた。


「ご主人様?」

「待て、待ってくれ・・・・・・」


 すぐに現実を受け入れられないで混乱してしまう。だって、こんなのは・・・・・・。


「あ~んじゃないか・・・・・・!」


 あの恋人や夫婦だけがやることを許された、愛し合っている男女ができる神聖な行為。これを自らしてくる意味を、ルウは理解しているのだろうか?


「嫌なのですか?」

「そんなことあるわけないだろうっっっ」


 ついテーブルを両手でたたいたせいで、強い音が出てしまったけど店内の騒がしさにき消されてしまっている。


 だって、ルウからあーんをしてもらえるんだぞ? しかも突然。そんなの告白と一緒じゃないか! それがいやなやつなんて存在していいわけがない。もしいたら殺してやる。 


「ご主人様?」


 だってそうだろう?! 恋人同士、夫婦のみが許された神聖な儀式。それをルウの方からしてくるだなんて、それはつまり俺と恋人同士がやることをやってもいい、というかやりたいという意思表示に他ならない、つまり遠回しな告白と同義だ。


「聞こえていらっしゃらないのですか?」


 ルウの気持ちは嬉しい。俺だってすぐにでもそんな関係になりたいと常日頃から願っている。それでも、俺達俺たちはまだ出会って間もない。お互いのことをまだそれほど知らない。


「先程から何をブツブツとおっしゃっているのですか?」


 交際を始めてから知っていくという方法も悪くないのでは? けど、なによりルウが望んでいる。ならば、俺の答えは一つしかないだろう。


「あ、あ~ん」

「どうなさったのですかご主人様。そのような間抜け面をして」


 ルウは既にプリンを完食してしまっていたので、俺は床に盛大にずっこけた。


「なんでだ・・・・・・?」

「ご主人様が悩んでいた様子でしたので、いらないのだと。しかしやはり私は何か間違っていたのでしょうか。プリンを食べたかったのでしょうか?」

「いや、そんなことはない・・・・・・」

「ではなぜそのような燃え尽きたお顔をなさっているのですか」

「優柔不断な己が招いた不幸な結果を享受しようとしているだけだ。・・・・・・いや、なんでもない・・・・・・・・・・・・・・・・・・美味しかったか?」

「? はい」

「なら、いいさ」


好きな子の幸せなら、俺も幸せだから。残念、惜しかったなんて・・・・・・これっぽっちもない。

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