第26話 椿原萼

 咲薇と椿原萼は小学校から同じ学校だった。中学も今の高校も一緒なのでお互いにだいたいのことは分かっている。


 この萼も小学校から剣道をやっていたのだが、ほぼ同じ時期から始めた咲薇にいつも勝てなかった。


 彼女は負けず嫌いでとにかく咲薇を目のカタキにしてとことん張り合っていったが、咲薇には別に萼と張り合おうという気はなく、それが逆に萼の神経にもっと触り彼女は負けても負けても挑んでいった。


 しかし咲薇の剣はすでにその頃からずば抜けていてその差を埋めることは難しく、ついに萼は剣道をやめるまで1度も勝てなかった。


 勝てなかったのは剣道のみならず、勉強もスポーツもちょっとした周りからの人気さえ咲薇に劣るので萼はだんだん咲薇に意地悪をするようになっていった。


 咲薇は小学校の頃よく飼育係をしていた。自然をこよなく愛すような子なのでいつも係に立候補するのである。だから萼は咲薇が育てた花をぐしゃぐしゃにしたり、可愛がっている学校の動物たちにわざわざ目の前で意地悪をした。


 そこまでしてやっと咲薇は萼を見るようになり、優しくおとなしい咲薇も萼とだけは言い合いケンカもした。


 中学校に入学してからも2人は剣道を続けたが実力も評価もやはり咲薇が上だった。その天才的で圧倒的な剣に上級生が咲薇のことを「侍咲薇」と名付けるとその名前は一気に広まっていった。


 そんな様子を見ていた萼はもちろんおもしろい訳がなく、だがどうやってもあいつには勝てないとそんな思いにかられていた時だった。


『なんでお前はそんなに咲薇に張り合っとんのや?』


 そう言ってきたのは他でもない鏡叶泰だった。


 なんや、いっつも咲薇とイチャイチャしとる1個上の男やないか。お前にあたしの何が分かんねん。そう言おうとした。


『可愛い顔しとんのやからそんな顔ばっかすんなや。そんなんやったら剣道なんてやめたったらえぇやん』


 そう言われた時、胸の中で何かが弾けた。小さい時から親に剣道を強いられそれが当たり前になっていた。自分には剣道しかないと思ってやってきた。それをそんなに簡単にやめてしまえばいいと言える自由な心の大きさに惹かれている自分がいた。そんなことを言われたのは初めてだったのだ。


 必ず周りは続ける為にどうすればいいか、どうしなければいけないかを考え、それを自分に説き押しつけた。やるのは自分なのに。だがこの男は違った。そしてこんな自分のことを「可愛い」と言ってくれたのだ。


 それから萼はすぐ剣道をやめ、自分を可愛く見せることに中学生なりに力を入れていった。当然叶泰にもっと可愛いと言われたり思われたりしたいからだ。


 だがそこでも大きな問題があった。それは叶泰が咲薇の幼馴染みであるということだった。叶泰を見かけるとその横に咲薇がいるのがお決まりのパターンにだった。あいつはとことん自分の人生を邪魔するのだと改めて思った。


 それに咲薇がなんとなく叶泰に好意を持っているのが萼には分かったので、当の叶泰にそういう様子がまだ見られない内に彼女は行動に出た。叶泰だけは絶対に取られたくなかった。


 ある日の午後自分から叶泰を呼び出すと萼はなんの迷いもなく言った。


『叶泰くんが好き。付き合って下さい』


 さすがに叶泰もビックリし返事に困っていた。この頃まだ叶泰も女の子と付き合ったことなどなかったからだ。


『そんなすぐ答えられんよ』


 叶泰はそう言うしかなかった。萼は1歩前に出て言う。


『~して…』


『え?』


『じゃあ…キスして』


 え?と叶泰が言うか言わないかという瞬間、萼は叶泰からキスを奪った。


『…ねぇ、触ってもえぇよ』


 そう言うとキスしながら叶泰の手を自分の胸に持っていった。


『ねぇ、あたしと咲薇どっちが可愛い?』


『…そんなん…』


 叶泰が恥ずかしくて答えられずいると萼は追い討ちをかけた。


『お願い…あたしとセックスしよ』


 萼はその日、叶泰のファーストキスと初体験を奪うと同時に「自分の初めての相手は叶泰」という称号を手に入れたのだ。それが初めて咲薇に勝った瞬間だった。


 そして、今最も叶泰の近くにいるのは自分だと、正式に彼女になることで証明してみせた。


 授業中に屋上で、放課後の教室や夜の非常階段など色んな所で愛し合い、互いの家にもよく行くようになっていった。


 咲薇はそれでも変わらず叶泰と接していたが、萼はわざと咲薇の目の前で腕を組んだり、後ろから抱きついたりキスする姿を見せつけた。しかし咲薇は全く気にせず言った。


『よかったな、2人共』


 笑顔で言い切られことにむしろ戸惑ったのは萼だった。


(え?なんやそれ。違う違う、そうやないよ。もっと悔しがらな。何応援しとんねん)


 萼の目から見て多かれ少なかれ咲薇が叶泰に気があることは間違いないはずなのだ。だが咲薇はそんな素振り微塵も見せなかった。


(あたしの勘違い?嘘や、そんな訳ない。我慢しとんのか?)


 帰り道、2人に手を振り前を歩いていく咲薇を見て叶泰が言った。


『あいつ、えぇ奴やろ?萼にはあいつとホンマは仲良くしてほしいんや』


 それを聞いてつい萼は言ってしまった。


『そんなにあいつが好きならあいつと付き合ったら?あたしとはもう終わりにしたらえぇやん』


 この時萼はその一言で叶泰が折れてくれると思っていた。彼女にはその自信があったのだ。だが叶泰は謝るでも怒るでもなく言った。


『分かった…そこまで言うならもうえぇよ。別に咲薇が好きとかないけど、俺もそれは本気で思ってることやから。萼、今までありがとう』


(え?)


 叶泰は寂しそうな背中で歩いて行ってしまった。


『嘘やろ?』


 自分の想像とは全く違う結果になってしまい、今目の前で起きたことをもう1度整理して萼は泣き出した。


(あたし、何してんねん…)


 それから萼の気持ちとは裏腹に2人の距離は開いていくのだった。すぐに謝って自分の気持ちをちゃんと伝えられれば戻ることもできたかもしれないが、若さ故そういうことがまだ上手くできず、どうしたらいいか分からず結局何もせず、顔を見れば気まずくなり避けるといった悪循環を繰り返した。


 萼はそれ以来叶泰とは口もきけないままだった。この女はあれからずっとそのことを悔やんでいる。


 そうやって昔のことを思い出すのはだいたい夜空を見ている時だ。


『あいつをぶっ壊して、もう過去とはお別れや』


 吸っていたタバコの火を手でもみ消すとまだ火のついた塊が落ちていった。


 それは何度火をつけても最後まで燃えることはない線香花火のように。


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