第7話 私の不幸を笑って
「それでお姉さんは、なんでこの店で泣きながら一人でお酒を飲んでたの?」
レイさんは穏やかな声音でそっと尋ねてくる。見るからに訳ありな私の傷にそっと触れるように。だけど、不思議とレイさんになら話してもいいように思えた。レイさんもマスターも、今日限りで会わない相手かもしれないし、特にマスターは店の評判にも関わるので他言はしないだろう。
「聞いてくれますか?」
「話してくれるなら」
私はぽつりぽつりと話し始める。この店の常連でもあった彼と数年付き合い、色々とお互いに苦労もあったがそれを乗り越えて、結婚しようとした矢先に別れることになり、今日が彼の引っ越しの日だったこと。そして、未練を捨てきれず、一人になりたくなくて、この店に来たことを話した。
「なるほどね、それでヤケ酒をしてたのね」
「……はい」
「ここの常連って、お姉さんのそのひどい元カレは誰さんよ。マスター知ってる?」
マスターは無言で首を捻る。きっとマスターの中で私は、常連の一人が連れてきた恋人くらいの認識なのだろう。だから、彼がいないと私はこの店では誰でもないただの
「きっと彼はこの街にはもう戻ってこないだろうし、名前を言うくらい大丈夫ですよね。私の付き合っていた人は
「くすのき、たいし……?」
今度はレイさんが首を捻る。どうやらピンと来ていないか、もしくは面識がなかったのかもしれない。しかし、マスターはすぐに気づいたようで、思わず「ああ、彼ですか……」と漏らしていた。
「マスター知ってるの?」
「たぶんレイちゃんも知ってる人だと思うよ。ここ数ヶ月、姿を見ないと思っていましたが、そういう事情があったのですね」
「ねえ、マスター?」
「タイシくんだよ。ほら、背が高くて爽やかな感じで、レイちゃんと同じ煙草吸ってた」
「ああ! はいはい。思いだした。あのタイシくんね。お姉さん、タイシくんの彼女だったんだ。悪い人って印象はなかったけど、まさかそんなことになってるとはねえ」
レイさんは気まずそうに吸いかけの煙草に口をつける。二人にとっての彼はどんな人だったのか気になるが、今はもう自分にも関係のない話で聞いたところでと思ってしまう。
「タイシくんは私から見ても優良物件だと思ってたけど、実は最初から歪んでる感じだったんだね。そういうところはこういうところでの上辺だけの付き合いだけじゃあ、分からないもんだね。お姉さんはきっとタイシくんとは
レイさんはどこか軽い口調で笑い飛ばすように口にする。
「そうですね。彼は決して悪い人ではなくて、むしろ、私にはもったいないくらいに素敵な人だったんですけどね」
レイさんにつられて、どこか他人事のように言葉を返した自分に驚いた。レイさんが笑ってくれただけで、不幸だと思い込んでいた重たく沈んでいた気持ちが軽くなったように思えた。
「そういえば、私、今まで付き合った人にろくな人がいなかったのかもしれないです。太志くんのことを含めて――」
「へえ。どんな感じだったの? てか、タイシくんがらみでも相当なのに、まだ他にもあるわけ?」
レイさんは興味が湧いたのかぐっと顔を近づけてくる。もしかすると、喋って、感情を吐き出すことによって、気持ちが楽になるということを狙って、聞き役に徹しようとしてくれているのかもしれない。それはいいように考えすぎかもしれないが、レイさんになら話を聞いてもらって、笑い飛ばしてほしくなる。そうすれば、報われなかった私の恋愛は笑い話に昇華されて、嫌な思い出ではなくなるかもしれない。
だから、今まで友達にも話すことがなかった過去の恋愛を話すことにした。
大学生のころに付き合っていた恋人は、いつか売れてビッグになると大言壮語を吐く夢見るバンドマンだった。夢に向かって努力している姿をかっこよく思い、物販やチケット販売なども手伝い、応援していたが、ファンの女の子に何人も手を出していて、さらには「妊娠させちゃったから、中絶費用貸してくれない?」と切り出されたことで、百年の恋も冷めてしまい、すっぱりと別れて縁も切った。
社会人になって付き合った年上の彼は、最初こそ真面目で大人しいタイプに思えたが、たまたまギャンブルで大金を得たことではまってしまい、給料のほとんどをギャンブルにつぎ込むようになった。そして、負けがこみ一発逆転をするからと私からも含め多額の借金をし、会社を辞め、投資を始めたが、すぐに資金はなくなり、貸した金は踏み倒され、夜逃げする形で姿を消した。
思い返せば、初めて付き合った恋人ですらろくでもない人だった。優しくてかっこいい同じ高校の人気のある先輩だったが、二股をかけられていた。そのことに気付き、詰め寄ったら「本命はお前だから」と何度も謝られ、「じゃあ、浮気相手と別れるなら、別れないでいてあげる」と一度は許した。だけど、その数日後に三股目が発覚して、破局した。
レイさんは話を聞いて、同情することもなく、
「お姉さん、男見る目なさすぎじゃない?」
と、ケラケラと笑ってくれた。レイさんの言う通りなので、「ですよね」と一緒になって笑った。それと同時に話してよかったと、どこか救われた気分になる。
「男を見る目がないのもそうだけど、ダメ男キャッチャーなの? それともダメ男製造機?」
「否定したいですけど、話してない他の人のことを含めると、そうなのかもしれないです」
「じゃあ、散々、男に泣かされてきたクチなのね。かわいそう」
「レイさんは、男を泣かしてましたけど――」
レイさんは眉尻をピクリと動かし、深いため息をついて、ひどく疲れた表情でから笑いをする。
「それもそうだね。でも、あれは私は悪くないよね?」
レイさんは真っ直ぐに見つめてきながら、真面目なトーンで尋ねてくる。それがなんだか面白くて、かっこいい風に見えてもレイさんは同性の同年代の普通の女性なんだなと思えて、思わず笑ってしまう。
「笑うことなくない?」
レイさんは不満げな声をあげる。しかし、すぐにレイさんの口元は緩む。
「ごめんなさい。でも、私、なんで泣かせることになったのかは全く話聞いてなかったので」
「そうなの? じゃあ、そのことについて、愚痴っぽくなっちゃうんだけど聞いてくれる?」
「ええ。私も聞いてもらいましたし」
「ありがと」
レイさんは新しい煙草に火を点け、何があったのかを話し始めた――。
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