第6話 面影を重ねて

 煙草がフィルター近くまで燃え、灰皿で火を消すころにはレイさんに勧められたヨギーパインをほとんど飲み終えてしまっていた。そして、次はどうしようとメニューに視線を落として、頭を悩ませる。


「ねえ、もし次なに飲むか悩んでるなら、私がお姉さんの好みに合いそうなの選んでもいい?」


 ふいにレイさんが隣から話しかけてきた。普段だったら絶対に断るようないらないお節介だけれど、さっき勧められたカクテルはおいしかった。だから、次もおいしいものを選んでくれるかもしれないという期待をしてしまう。


「お願いしてもいいですか? 私、お酒詳しくないので」

「もちろん。それでなにか希望はあるかしら?」

「特にないのでおまかせしてもいいですか? それより、さっきのカクテルはどうして?」

「ああ。それはマスターにお姉さんが何を注文したのか聞いて、好みに合いそうで味が濃い目のものを選んだだけだよ」

「お酒詳しいんですね」

「ただよく飲んでるだけだよ。じゃあ、そうだな。甘くて果物系はどうかな?」


 レイさんは楽しそうな笑みを浮かべながら、私に提案してくるので「じゃあ、それで」と、丸投げ気味におまかせした。レイさんはメニューを見るのではなく、カウンターの向こう側の棚に並んでいるリキュールや使ったままカウンターに並べられているリキュールを真剣な眼差しで見つめている。しばらくすると、マスターに耳打ちするように注文をする。マスターはなるほどねというように頷いて、手早くロングのカクテルグラスにリキュールなどを入れて、バースプーンでかき混ぜていく。

 そして、私のコースターに濃い赤味がかったピンク色のカクテルがそっと置かれる。


「飲んでみて」


 レイさんが隣から促してくる。マスターも置いてくれた時に「どうぞ」としか言わなかったので、レイさんに口止めされているのかもしれない。ということは、まずは飲んでみてということだろう。

 ひとくち飲んでみると、さっきと同じヨーグルトの風味の独特な口当たりがして、その中にしっかりとフルーティな甘さを感じた。しかし、それでも後味はすっきりとする不思議な感覚に思わず手にしたグラスを覗き込んでしまう。


「どう? これは気に入ったかしら?」

「はい。とてもおいしいです。私の好みにピッタリというか」

「そこまで言われると、なんだか嬉しくなっちゃうね」

「それでこれはどんなお酒なんですか?」


 顔を上げ、マスターに視線を向ける。


「先ほどお出ししたものと同じヨーグルト風味のリキュールのホワイトヨギーに、アプリコットのリキュールを加えて、クランベリージュースで割ったものです。レイちゃん――こちらのお客様のオリジナルと言ってもいいカクテルだと思います」

「そうなんですね。すごいんですね、レイさんって」

「そこまで喜ばれたりすると、なんか照れるね。あっ、マスター。私も注文いい?」


 レイさんはそう言うと、飲みかけのカクテルをぐいっと飲み干した。マスターは空になったグラスを受け取りながら、「何にしますか?」と尋ねる。


「そうだな。私もなんか果物系飲みたくなってきたなあ。じゃあ――、セックス・オン・ザ・ビーチで。だけど、ウォッカは苦手だから、別のに変えてもらっていい?」

「では、ラムで代用して作りましょうか」

「うん。それでお願い」

「かしこまりました」


 マスターは手早くカクテルを作っていく。それを横目に私はぼんやりとレイさんに彼の姿を重ねてしまう。同じ煙草を好んで吸い、私に同じようにアプリコットリキュールの酒を勧めてきた。さらにはウォッカが苦手なところも同じだった。彼はたしか、学生時代のバイトの飲み会でビールとウォッカを飲まされて続け、それでその二つが苦手になった。だから、ビールもウォッカベースの酒もできるだけ避けていた。煙草はずっとラークの赤だったわけではなく、ポールなんとかいう同じ赤い箱の煙草を吸っていたけれど、販売終了したので変えたのだと、家のベランダで聞いた覚えがある。


「ぼんやりとして、どうかした?」


 レイさんの声でフッと意識が現実に引き戻される。しかし、返す言葉が思いつかず、静かに首を横に振った。そんな私の様子を見て、レイさんは「そう?」と一言だけ言葉を継げ、できたばかりのカクテルに口をつけて満足そうな表情に変わる。

 そして、慣れた手つきで煙草を箱から一本取り出して、火を点ける。レイさんは細く煙を吐き出すと、視線を再度私に向けてきた。


「なにか気になることあるの?」


 レイさんに尋ねられ、少し戸惑ってしまう。気になることはもちろんある。彼との共通点もそうだけど、それはレイさんとは関係ないことだ。他にもレイさんがボックス席で修羅場になっていた原因も気になる。私はレイさんのことが気になっているけれど、初対面なので何をどこまで尋ねていいのか分からない。


「あの、そのライターはどういうものなんですか?」


 とっさに目に入ったレイさんが最初に貸してくれたライターの話題で誤魔化してしまう。レイさんは「これのこと?」とあのモノトーンのライターを手にして尋ね返す。


「初めて見るタイプのライターだったので、点け方とか分からなくて」

「これはガランダッシュっていうメーカーのガスライターでね、サイドにあるこれを回すようにると、火が点くんだよ」


 そう言いながら、レイさんはライターの蓋を開けて、分かりやすく火を点けて見せてくれる。


「こんなライターもあるんですね。それにデザインもなんかオシャレでかわいいし」

「そうだよね。私もこのライターには一目ぼれでね、社会人になって最初の給料で買ったんだ」

「そうなんですね。煙草はずっとその銘柄なんですか?」


 流れで気になっていたことの一つに触れてみる。レイさんはライターを置き、煙草の箱を持ち上げる。


「最初はベタにマルボロとか吸ってたよ。でも、ポールモールって煙草が味もパッケージも好きで吸ってたんだけど、なんでか販売終了しちゃってね。慌てて別の煙草探して、今はこれに落ち着いてるって感じかな」


 レイさんは話し終えると、カクテルに口をつける。私はというと驚きでろくに相槌もできずにいた。彼と完全に終わってしまった日に、彼とよく似た人に出会うなんて思ってもいなかった。彼とレイさんが出会っていたらウマが合って仲良くしていたかもしれない。もしかしたら、かつてはこの店の常連だった彼とレイさんは面識があって、すでに仲が良かったのかもしれない。

 もし三人で酒を飲むなんてことがあったとしたら、私が付いていけない話を彼とレイさんと嬉々として話していることに嫉妬をして、二人になだめられるようにおいしいカクテルを勧められていたかもしれない。

 しかし、当たり前だけど現実はそんなことはなくて、私は一人でレイさんと知り合い、隣り合って座っている。

 ふいに淋しさが蘇ってきて、私はうつむいてしまう。

 さっきまであんなにおいしく感じられたカクテルも、私の今を表しているのかのようにクランベリージュースの酸っぱさしか感じられなかった――。

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