思い出をデキャンタに閉じ込めて その2

 程なくして僕と四分谷以外の皆は部室を後にした。影山先輩は卒業論文、只野部長は次の講義、そして浮島先輩はレポート作成へ。カバオは焼き鳥屋のアルバイトがあるためだ。残された僕は、四分谷と二人きりになった。なんとか会話でも弾ませようかと色々考えてみたが、生憎、僕は気の利いた会話というものが不得手なのだ。こういう時、カバオならどうするだろうか。あいつになりきって考えてみようか。「彼氏はいるの?」「好きなタイプは?」「スリーサイズは?」だめだだめだ。参考にするデータが間違っている。

 そもそも、彼女を楽しませる理由があるのか? 彼女は河童を探すという契約の元、入部をしている。ならば河童の探索以外にこちらが特別気を使ってやる必要はないはずだ。大体、こういう美人ってやつはいつも、チヤホヤされていて、自分から人を楽しませる、コミュニケーションを取るということをしない。四分谷がそういう人間かどうかはまだ分からないが、もし、自分を姫扱いしているなら、先輩として是正する必要がある。それを確かめるために一旦、寝たふりをしてみよう。俺が寝ることで不機嫌になるなら、こいつは自分を姫だと思っている。「どうしてこんなにも美しい私を放っておいて眠るのかしら、もっと私を楽しませなさい」みたいな感じに。逆に「先輩、体調でも悪いんですか? なにか飲み物でも買ってきましょうか?」くらい気を使えたら合格と言ってもいい。何に合格したのかは知らないが。まあいい、一つテストだ。


 僕は部室の窓際にあるソファに寝転がった。この場所が僕のパーソナルスペースであり、聖域なのである。腕を枕にしながらチラリと四分谷を見た。彼女は室内にある本棚を眺めていた。『全国心霊スポット危険度ランキングBEST100』『UFOは神の乗物』『悪魔図鑑』『UMA捜査ファイル』など、オカ研ならではの書物が並んでいる。しかし、この部室に妖怪図鑑や河童の研究資料は存在しないのだ。


 妖怪なんて、子供がサンタクロースの次に信じなくなるものじゃないだろうか。民俗学的に研究するというのいいが、幽霊やUFOみたいに実際に存在するか、といった議論が生まれる余地がないのだ。あまりに現実感が無い。我がオカ研でも妖怪好きは過去にいたが、やはりマスコットとして、キャラクターとしての妖怪が好きなのであって、存在を信じているわけではない。

 そんなものをこの都会的で美しい少女が信じているなんて、妖怪より余程信じられない。何か理由がある筈だ、一体なんだろうか。


「なあ、四分谷。一つ質問していいか。どうして河童を信じているんだ?」


 四分谷は相変わらず、冷たいジト目で僕を見つめてきた。もしかして睨んでいるのだろうか。


「柳田先輩は、そんな体制で人に質問するんですか?」


 四分谷の至極真っ当な指摘に、僕は反射的に立ち上がった。耳たぶが少し熱くなった気がした。


「いや、立ち上がらなくてもいいです」


「あ、すまん。つい反射的に」


「なんだかパブロフの犬みたいですね。冗談です。河童なんて信じてるのがそんなに不思議ですか?」


「あぁ、まあ。オカ研にも妖怪の存在を信じているやつなんていなかったから、少し気になるかな」


「私、見たんですよ。小さい頃に」


 四分谷の予想打にしない答えに僕はただ目を丸くするだけだった。


「見たって、河童を?」


「そうです。河童を見ました。それだけではありません。私は小さい頃に何度も河童と遊びました」


 四分谷はニュースキャスターのように、理路整然と答える。なんだ、何を言っているんだこいつは。河童を見た? 河童と遊んだ?


「だから信じている、というより、もう一度会いたいといったほうが正しいでしょう。確かに、河童を目の当たりにしたことのない人間からしたら、到底信じられるはずもないでしょう。だけど私は一緒に遊んだんですよ。ぼんやりとした記憶じゃないんです。」


 四分谷は強い口調で言った。僕を見る目は、冗談や作り話をしているようには思えない、真剣な目だった。それは同時に、懐かしい目でもあった。僕だってかつてはあんな目をしていたのだ。無邪気に何かを信じていた。最も愚かで、情熱的な若葉の頃だ。


「それじゃあ、詳しく聞かせてくれよ、河童の話」


 四分谷はこの日、初めて笑顔を見せた。それは大人びた彼女らしからぬ、屈託のない子どもの顔だった。


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