+72話『そばにいてくれることに』
完全に日も落ち切った暗い夜道。色々と
ふと上を見上げれば、そこには澄み切った夜空と綺麗な星々、そして自らが主役と言わんばかりに満月が存在感を放っている。そんな景色を眺めながら深く息を吸うと、涼しい夜の空気がすっきりとした清々しさを与えてくれた。
けれどきっと、この気持ちの源泉は景色や空気によるものではないだろう。今日のヒーローショーを無事に終えることのできた達成感――それがこの清々しさの正体だ。
それもこれも、今もこうして隣にいてくれる少女のおかげに他ならない。
かけがえのない存在の尊さと幸福を噛みしめ、繋いだ手に力がこもる。それに応えてやんわりと握り返してきた澄乃は、雄一の顔を見上げ、眉尻を下げてはにかんだ。月明かりが彩る彼女の笑顔は、たぶんこれから先、どれだけの月日が経っても色褪せることがないと確信できるほどに魅力的だ。
この笑顔や温もりにどれほど救われたことか、今日ほどそれを実感した日はない。だから、その言葉は自然と口をついて出る。
「今日はありがとう」
「ふふ、どういたしまして。雄くんの力になれたなら何よりだよ」
当たり前のことをしただけだと、そう言外に含ませたように澄乃は微笑む。こうも想われているなんて、自分はなんて幸せ者なのだろう。
「なんだかなぁ。今日は澄乃の誕生日だってのに、俺の方が助けられてばっかりだよ」
勇気を始め、澄乃からは多くのものを貰ってしまったと思う。これでは立場が逆だ。
「そんなことないよー? 今日は雄くんのかっこいいヒーロー姿が見れたし、私はすごく満足です」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、満足されるにはまだ早いな。ちゃんとプレゼントも用意してるんだぞ?」
繋いでいる方とは逆の手で自分のバッグをぽんと叩く。色々とタイミングが悪くてまだ渡せていないが、悩みに悩んだ澄乃への誕生日プレゼントは準備万端だ。
「ふふ、じゃあ家に着いたら貰おうかな。どうせだし、ちょっと上がってく?」
「あー……」
今日の本番はもちろん、ここ数日の練習でお互い疲労は溜まっているはず。だから澄乃を自宅に送り届けたら素直に帰ると、そういう運びになっていたのだが。
「泊まってたら、ダメか?」
まだ澄乃と一緒にいたい。最愛の人がそばにいる幸福にもっと浸りたい。そんな愛おしさがあっさりと上回った。
雄一から請われ、不意に歩みを止める澄乃。雄一を見上げる藍色の瞳がぱちりと瞬いたかと思うと、すぐにやわらかく細まる。
「――うん、一緒にいよ?」
繋いだ手が解かれ、すぐさまぎゅうっと腕全体に抱きつかれる。もう離してやらないという愛情表現に雄一の頬はだらしなく緩んだ。結局お互いがお互いに首ったけ。ちょっと歩きづらくはなったが、そのぶん幸福感は倍増だ。
「ありがとう、雄くん」
「? 何がだ?」
澄乃から突然の感謝を送られる。何に対してのものかが分からずに首を傾げると、澄乃は淡い笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「一緒にいてくれること。こうしてそばにいてくれることが、何よりのプレゼントかなって」
「澄乃……」
――じん、と目の奥が熱くなるような感覚を覚える。
今夜は一緒にいたいなんて、元々は雄一が口にしたわがままだ。それを快く受け入れてくれたばかりか、抱えている気持ちは同じものだと言ってくれた。
そのことが、何よりも嬉しくて。
「ふぁっ」
気付けば、澄乃のことを強く抱きしめていた。
夜遅くで人通りがほとんど無いとはいえ、往来のど真ん中。もしかしたら他人に目撃されて、澄乃に恥ずかしい思いをさせてしまうかもしれない。それでも溢れる気持ちを抑えきれず、より一層温かな存在を両腕で包み込む。
「……もう、急にどうしたの?」
「なんか、我慢できなくて」
「ふふ、今日の雄くんは甘えんぼさんだねぇ」
もぞもぞと動いた澄乃が雄一の背中に手を回し、穏やかな手付きで優しく撫でる。わがままな子供をなだめるような指使いに頬が熱を持つが、これはこれで心地良いと思えてしまうのだから澄乃はズルい。
「澄乃――」
腕の中の愛しい相手に呼びかけ、幸福に彩られた藍色の輝きを覗き込む。
今夜だけじゃない。これからも、そしてこの先もずっと、それこそ永遠に一緒にいたいと断言できるこの想い。
それを伝えるのに最もふさわしい言葉は、きっと、これだ――。
「愛してる」
「――――へひぁっ」
思い返せば初めて口にした言葉をはっきりと伝えると、澄乃が何やら形容しがたい声を漏らした。ほんのりと帯びていた頬の赤みがみるみる顔全体へと伝播していき、勢いは衰えずに首筋までもが熟れたリンゴのように真っ赤に染まっていく。
そして移りゆく肌の色とは対照的に、それ以外の顔のパーツは静止している。最初に変な声を漏らした口は半開き、大きく見開かれた目もそのまま。澄乃の中では時間が止まってしまったかのように微動だにしない。
さすがに心配になって「澄乃?」と声をかけると、ようやく一度だけ瞬きを。と思ったら、今度はびっくりするぐらい高速な動きで雄一の胸に顔をうずめた。
いや、うずめるどころか額を捻じ込まんばかりの強さでぐりぐりと押し付けてくる。正直ほんのちょっとだが痛い。
「お、おい、澄――」
「雄くんのばかっ、ズル、反則、いじわる……お、女たらし……っ!」
「えぇ……」
散々な言われようではなかろうか。
「思ったことを言っただけなんだが……」
「だ、だからそれがズルいのっ! 雄くんのばか、ばかばかばかぁ……っ!」
さっきまでの優しい手付きはどこへやら、雄一の背中を澄乃の両手がぺちぺちと矢継ぎ早に叩く。前門のぐりぐり後門のぺちぺち。挟まれた雄一はなすすべなく受け止めるしかない。
――やがて
「私も、愛してるよ」
そのまま唇を重ねられた。
いつまで経っても離れることのない二人を見ているのは、幸いなことに夜空に浮かぶ満月だけだった。
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