+71話『お疲れ様』

「えー皆さん、お集まり頂きありがとうございます。今この瞬間をこうして迎えられたことが、僕にとっては何よりも――」


「なげーよ晴人。ビールの泡が抜けるから早くしてくれ」


「たっくんは情緒ってものをさぁ……。まぁいいや、本日は無礼講ってことで――カンパーイ!」


『カンパーイ!』


 キンキンキンと、あちこちでガラス製品がかち合う爽快な音が響く。ビールやカクテル、ソフトドリンクなど様々な色の飲み物が交差する中、雄一もまたコーラの注がれたグラス片手に周囲の面子と乾杯の挨拶を交わしていく。無礼講ではあるが、一応のマナーとして自分のグラスの方が下側だ。


 一通り終え、最後にグラスをすぐ隣の相手へ。ほぼ同じタイミングで差し向けられたオレンジジュースのグラスと、同じ高さで乾杯を交わす。


「お疲れ様、雄くん」


「澄乃もな」


 ふわりと微笑む澄乃につられて、雄一の口許にも笑みが浮かんだ。


 イベントでのヒーローショーを終えたその夜、晴人の幹事の下、近隣の居酒屋にて『お疲れ様会』という名の打ち上げが催されることになった。座敷の一室を貸し切っての打ち上げには諸事情で不参加となった面子以外はほぼ全員参加しており、その中には事故を起こしたくだんの人たちもいる。


 無事に参加できたようで何よりで、本来の『ガンドレイク』役からも顔を合わせるなりスライディング土下座と言わんばかりの勢いで謝罪されてしまった。利き手に包帯を巻いていた割には実に俊敏な動き――さすがヒーロー役を任せられるだけある。


「それにしても一時はどうなることかと思ったけど、無事に終わったようで何よりだよなー」


 雄一や澄乃の座るテーブルはノンアルコール勢が集められており、飲み物よりも食べ物の消費ペースの方が早い。雄一の向かいでコース料理のポテトフライをかじる者の言葉に、テーブルを囲む一同は示し合わせたように頷いた。


「ほんとほんと。それもこれも英河くんのおかげだよ。よく頑張ってくれた」


「どもっす」


 手放しの賞賛はこそばゆくもあるが、やはり嬉しい気持ちの方が大きい。一時はどうなることかはそれこそ雄一は人一倍感じていたことだが、こうして感謝されるのならやって良かったと思う。


「まぁ、無事って言い切るにはちょっと微妙かもしれないけどねー」


「うっ」


 からかうような声音で呟いた女性メンバーの言葉に、ビクリと固まる雄一。あからさまに居心地悪そうな雄一を愉快な様子で眺めた後、そのメンバーは意地の悪い笑みのまま口を開く。


「まさか『ガンドレイク』の盾が途中で飛んでっちゃうとわねー」


「だあああそれもう蒸し返さないでください!」


 頭を抱えた雄一を中心に爆笑が巻き起こる。


 さて、祝勝会とも言えるようなムードで進んでいる今回の打ち上げだが、生憎と何も失敗が無かったというわけでもなかった。


 結論から言うと本番中、雄一扮する『ガンドレイク』の左腕に装着した盾が外れて吹っ飛んだ。


 相手の攻撃を受けた時に少し大げさに反応したのが原因なのか、左腕を振り回した拍子にスポーンと取れてしまったのである。演技に熱を入れ過ぎたのかもしれない。


「本当にすいません。俺がもうちょっと丁寧に扱ってれば……」


「しゃーないしゃーない。もともと装着には不安もあったし、外れた後に慌てなかっただけ十分だ」


「それにその辺りは、私たちよりも澄乃ちゃんに感謝した方がいいんじゃない? あそこで拾ってくれなかったら、きっと客席側に落ちてたし」


「ですね……。ありがとな澄乃、本当に助かった」


「あははは……あの時は、なんかもう無我夢中で」


 そう、あわやともいうその瞬間、雄一に助け船を出してくれたのはまたもや澄乃だった。ちょうど舞台の端にいる場面だったのも功を奏し、飛んでいった盾を澄乃が瀬戸際で拾い上げてくれたのだ。今日はつくづく澄乃に頭が上がらなくなってしまう。


「まぁ失敗と言えば失敗だけど、結果としては良かったんじゃない? その後のアドリブ、あれ結構好きなのよねぇ」


「あーはいはい、振り返らずにこう、手だけ出して『そいつを寄越せ!』みたいなあれね! あれすっごい『ガンドレイク』らしい動きだったよー英河くん!」


『ガンドレイク』は盾を多用する立ち回りが多かったので、その後のことも考えると盾の回収は必須。そこで舞台の端に後退する瞬間に咄嗟に澄乃へと左手を突き出したら、雄一の意図を汲んだ澄乃が見事応えてくれた。


 さすがに付け直すほどの余裕はなかったので手持ちで続ける羽目にはなったが、それでも十分過ぎるほどのフォローである。


「澄乃ちゃんもすぐに渡してたし。さすが恋人同士、良い連携だ」


 ニマニマと微笑ましいものを見るような視線で囲まれて、雄一と澄乃は二人揃って縮こまる。他人の目から見ても良好な恋仲と思われるのは嬉しくあるが、正直ちょっと恥ずかしくて居心地が悪い。


 熱を抑えるように冷えたコーラをあおると、思いの外強かった炭酸の刺激にむせて、すかさず澄乃がおしぼりを差し出してきたのでまた笑いが起こった。


 それからしばらく、からかわれつつも和やかに進行していく打ち上げ。コース料理も粗方落ち着いたあたりで、雄一たちのもとに翔が近付いてきた。


「お疲れお二人さん、今日は助かったぜ。雄一はもちろん、澄乃ちゃんも司会なんて面倒な役を引き受けてくれてありがとな」


「いえ、期待に応えられて良かったです」


「応えるどころか期待以上だっての。大きな借りになっちまったし、是非ともお礼させてくれ」


「お礼だなんてそんな! 私も楽しませてもらいましたし」


「……謙虚だな全く。けど悪いな、もう用意してあるんだよ」


「え?」


 きょとんと首を傾げる澄乃に対し、にやりと口の端を吊り上げた翔が片手を上げる。それが合図だったのか室内が暗くなり、座敷の入り口の襖が開く。その奥から現れた一人の店員が、持ってきたものを澄乃の前に置いた。


 デザートプレートの上に盛られた白い円形のお菓子。生クリームといちごでデコレーションされた一品には数本の蝋燭ろうそくが刺されており、照明の落とされた室内で自らの存在感を主張する。揺れる小さな炎に照らされるのは、『Happy Birthday!』と綴られたホワイトチョコのプレート。


 大きくつぶらな瞳をさらに大きくさせた澄乃が周囲を見回す。


「あの、これって……」


「雄一から聞いたぞ。今日、誕生日なんだろ?」


「聞いたっていうか白状させられたんですけどね」


 苦笑を浮かべる雄一。


 遡ること数日前の合同練習。休憩中の雑談がてら、澄乃との馴れ初めやこれまでのことを色々と聞かれ、その流れで本番当日が澄乃の誕生日であることを明かすことになったのだ。


 それならせっかくだし、ということで澄乃に悟られないよう水面下でサプライズの準備が進行、こうして今に至るというわけだ。


「誕生日にかこつけてになるが、まぁ俺らからのお礼ってことで受け取ってくれ。誕生日おめでとう」


 翔がそう言うと澄乃の周囲を拍手が覆い、雄一もまた一際強い拍手で澄乃を祝う。


「あ、ありがとうございます……!」


 たどたどしいお礼を口にする澄乃の頬は赤い。戸惑いながらも喜んでくれているようで何よりだ。


 お決まりのバースデーソングの合唱の後、澄乃がそっと息を吹いて蝋燭の火を消す。もう一度拍手が起きたところで照明が点灯し、室内は元の明るさを取り戻した。


「あ、どうせなら最初の一口は英河くんが食べさせてあげなよ」


「えっ」


 部屋の隅で照明を操作していた晴人が出し抜けに口にした提案に、雄一の表情が引きつる。


「いや、さすがにこの人数の前でっていうのは……」


「ハイ英河くんのーちょっといいとこ見ってみったいー!」


『ハイハイハイハァァァァイッ!!』


「なんすかその一体感!?」


 これが大学生のノリか。なんと恐ろしい。


 ついでに澄乃を見れば満更でもなさそうな笑顔を雄一に向けているので、ここは腹を括るしかないようだ。


「じゃあ、僭越ながら……」


 澄乃主役と周囲の期待に応え、フォークで一口分に切り分けたケーキを澄乃の口許へ運ぶ。


「あー……むっ」


 開かれた口の中にそっとケーキを押し込み、澄乃がくわえてからフォークを引き抜く。


 もむもむ。ケーキの味を噛みしめるようにゆっくりと味わう澄乃。


「……どうだ?」


「うん――美味しいっ」


 大輪の花が咲いたような澄乃の笑顔は雄一はもちろん、その場の一同を根こそぎノックアウトするほどの魅力を誇っていた。

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