+69話『揺れる感情』
会議室を後にし、イベント会場である公園内を一人歩く雄一。外の新鮮な空気を何度も身体に取り入れながら、周囲へ目を向ける。
イベントは二日目に差し掛かっても大盛況。今が春休み中なのも要因なのか、特に家族連れを多く見かける。出店は賑わい、無料で配られている風船に幼い子供がはしゃいだりと、あちこちで楽しそうな光景が広がっていた。
そんな周囲を一瞥しながら歩を進め、やがて雄一は一つの場所にたどり着く。
野外に建てられた特設ステージ――数時間後に自分たちがヒーローショーを行うまさにその場所だ。澄乃に言った通り外の空気を吸うための散歩だったはずが、無意識にここへと足先が向いてしまったらしい。
イベント自体の盛況ぶりに比例するように特設ステージにも多くの観客が詰めかけており、席は全て埋まっていて立ち見の客もそこそこ多い。
現在行われているのは地元ゆるキャラのキャラクターショーだ。雄一たちのヒーロー物とは毛色が違うものの、コミカルな演技で人々から多くの笑いを引き出している様子には感嘆するし、何よりスーツアクターの動きに無駄がない。きっと入念な準備をしてきたのだろう。
ちょうどエンディング間近だったのか、ほどなくしてショーは終了。最後にゆるキャラが客席へと元気に手を振って舞台袖のテントに引っ込み、観客も続々と立ち上がって思い思いの場所へと繰り出していく。
そんな中、ふと一組の親子が視界の端に留まった。正確には幼稚園ぐらいの子供が持つ、雄一たちヒーローショーの宣伝チラシだ。それとなく近付いて少し耳をそばだてれば会話も聞こえてくる。
「ねーねーヒーローまだー?」
「まだもうちょっとねー。先にお昼ご飯食べてからまた来ようね。きっとかっこいいヒーローが待ってるよ」
「うん、わかったー!」
何とも微笑ましい会話に雄一の口許は緩む。楽しみに待ってくれている以上、その期待に応えるのがヒーローの務めだろう。
そう、自分はこれからあの舞台で――。
(――あ、れ?)
ぐらりと、目の前の光景がいきなり歪んだ。急に立ち眩みでも起こしたかのように視界が暗くなり、雄一は慌てて頭を振ってその場でこらえる。
軽い熱中症でも起こしたのだろうか? いや、暖かくなってきたとはいえそこまで日差しも強くないし、水分だって十分に取っている。そもそもそういう体調不良とは何か違う気がした。
そこまで考えたところで、急に足下が覚束なくなる感覚を覚えた。それどころか指先が震え、汗が頬を伝い、周囲の音を押しのけて自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえてくる。
なんだ、急に。ひょっとして緊張でもしているのか。
……何を今さら。
もちろん本番前に全く緊張しないほど図太い神経は持ち合わせていないが、やることはいつもと同じだ。練習でできたことを本番でも同じようにやるだけ。今までと、同じ。
――本当にそうか?
まるで身体の内側から囁かれたような声に、目の前が今度は大きく歪んだ。
いつもと同じ? ――バカを言え、そんなわけがないだろ。
練習してきたとはいえ、急遽決まった代役。ヒーローという初めての大役。別団体との共演。その人たちから託された大切なキャラクター。
違うことなんて探せばいくらでもある。いつも通りなんて言葉で片付けれるわけがないじゃないか。
「……っ」
唇を噛みしめる。
こんな単純な事実になんで今頃気付くんだ。
それとも本当は気付いていて、ただ気付かない振りをしてそこから目を背けていただけ?
(……落ち着け、考えるな)
どちらにしろ、今さら四の五の言い出したところでどうしようもない。もう事態は動き出しているし、むしろ緊張なんてして当たり前の話だ。
大丈夫、想像以上の人の多さに少し気圧されただけ。時間を置けばきっと慣れて気分を持ち直すはずだ。
そう自分に言い聞かせて、雄一はステージに背を向けて歩き出す。
けれど会議室へ戻るその足取りは、人の波に呑み込まれたようにひどく頼りないものだった。
結局、皆の待つ会議室に戻って腰を落ち着けても、時間が来てステージ横のテントに移動を開始する頃合いになっても、雄一の気分が持ち直すことはなかった。むしろ活気づく周囲と自分の内心との違いが浮き彫りになるみたいで、余計に心を影が覆っていく。
それでもせめて、外面だけは何としてでも取り繕った。
いよいよ本番直前が近付きつつあるこのタイミング。全体の雰囲気こそ明るくとも、誰もが大なり小なりの緊張感を覚えているはずだ。そんな状況で雄一の心の不調が明るみに出てしまえば、せっかく立て直した状況が台無しだ。また振り出し――いや、むしろ余計に悪化してしまう恐れだってある。
だから、絶対に悟られてはいけない。
期待してる、頼むぞ、と明るく声をかけてくるメンバーに何とか笑顔で返し、雄一は一歩一歩ステージへと歩を進める。足が鉛のように重く感じた。
「雄くん大丈夫? 結局お昼あれだけだったし、お腹空いてない? 良かったらチョコとかあるけど……」
「ああ、大丈夫」
心配してくれる澄乃にもつい嘘を言ってしまう。
胃袋どころか心の中が空洞になったようでどこか息苦しい。空きっ腹のくせに食べ物が喉を通る気がしなくて、それでも飲みかけだったスポーツドリンクを無理矢理にでも流し込んで穴を埋めようと試みる。
(くそっ……)
いったいいつになったら治まるんだ。いい加減割り切れ。どれだけ緊張しようとしまいと、どうあがいたってやるしかないというのに。
「おぉー、結構人入ってんなぁ」
先頭の方からそんな声が聞こえた。弾かれたように顔を上げれば、雄一たちの一つ前のプログラムを上演中のステージと、そこに詰めかけた多くの観客が目に入る。つい先ほど突きつけられて、とうに分かり切っていたはずの人の多さに足が竦んだ。
「……あ、すいません。俺、ちょっと……忘れ物したんで、取ってきます」
「ん、それなら裏方の誰かに取りに行かせるぞ? アクター陣はできるだけゆっくりしてもらった方が――」
「いえ、すぐ戻るんで。それにちょっと走って身体も温めたいですから」
翔の言葉を遮って、雄一はまたステージに背を向けて駆け出した。
それを当てにしたのもあるが、再び戻ってきた会議室には幸いなことに誰もいなかった。室内に入って乱雑にドアを閉めると、雄一は手近な机に両手を突いてうなだれる。
走った距離なんてたかが知れているのに、呼吸は荒く、額に脂汗が滲んで、全身が変に熱い。我慢できずにスタッフジャンパーを脱ぐと、ふと室内のスタンドミラーに写る自分が目に付いた。
装甲パーツとマスクを外し、下地となる全身タイツも着崩したその姿。まるでヒーローに成り切れていない中途半端な格好。
これが、今の自分。
(早く……早く落ち着け……!)
何度も何度も深呼吸を繰り返す、胸の上から手を押し付けて必死に暴れる心臓をなだめる。
もう時間はいくらも残されていない。ここにいられるのだってあと数分が限度だ。その間に何としてでも持ち直さないと。
こんな姿は誰にも見せられない。
今ここで、一人で、何とかしないと――!
「雄くん」
優しい声が、そっと背中を撫でた。
【後書き】
明日で最終回まで投稿します。
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