+67話『緊急事態』
冷や水を浴びせられたように静まりかえった室内。その場を包む静寂はひどく冷たくて、外から聞こえるイベントの音楽や歓声が遠くの場所の出来事のように感じてしまう。たった一枚の壁を隔てただけのはずなのに。
通話を終えた晴人から急遽『話したいことがある』と言われて彼の周囲に集まった誰もが、告げられた内容に驚きを隠せずにいた。悪い方に、でだ。
「それで……あいつらは大丈夫なのか?」
翔が尋ねたその言葉に、晴人は緩く首を縦に振る。
「その点に関してはとりあえず安心していいよ。命に別状があるとかじゃないから」
――晴人から告げられた内容はまとめるとこうだ。
車でこちらに向かっていた『ヒーロー同盟』の数人が、その道中で交通事故を起こした。車道に飛び出してきた子供を避けるために咄嗟にハンドルを切った結果、ガードレールに正面から衝突してしまったらしい。
だが渋滞に巻き込まれていた分そこまでスピードを出していなかったので、車体はともかく中の乗員は比較的軽傷で済んでいる。すでに運良く近場にあった総合病院に運び込まれており、正確な症状はこれからの医師の診断次第ではあるが、一番重傷のメンバーでも利き手の骨にヒビが入った程度に留まりそうだとのことだ。
晴人の言葉通り、特別誰かの命が危ぶまれているわけではない。不運なメンバーたちも事故の後処理と怪我の処置が終わり次第、こちらに向かうことができるぐらいに元気らしい。
だが、一つ大きな問題が。
「よりにもよってヒーロー役が怪我かよ……」
誰かが呟いた言葉は心配と口惜しさを伴って、思いの外大きく響いた。
そう、一番の重傷を負ったメンバーが今回のショーの中核となるヒーローの一人――『ガンドレイク』役のスーツアクターだったのだ。
本番までまだ数時間の余裕があるとは言え、正直直前と言っても差し支えないタイミング。そこで降りかかるトラブルとしてはあまりにも厳しい。
ひとまず晴人の話が終わり解散となった後でも、室内はざわざわと落ち着かない雰囲気で満たされている。
「……で、実際どうするよ?」
「どうするったって出すわけにはいかねぇだろ。ただでさえ『ガンドレイク』は銃と盾を使うんだから、なおさら腕を怪我した状態じゃやらせらんねぇよ」
「いっそ『ガンドレイク』の出演シーンはカットするか? 丸ごと削って帳尻を合わせるぐらいなら、今からでもなんとか……」
「ダメよ。宣伝チラシには『ヴァルテリオン』と『ガンドレイク』二人の写真を載せちゃってるから、今さら削るわけにもいかないわ」
「そっかぁ……。じゃあ、あとは――」
話題はそれで持ち切りだが、生憎と解決策はなかなか出てくれない。メインとなるスーツアクターの欠場はそれほどまでに手痛い事態だった。
その喧噪の中、険しい表情の翔が一人の人物に声をかける。
「悪い、ちょっとこっちに来てくれ――雄一」
「単刀直入に言うよ。英河くん、君が『ガンドレイク』を演じてくれないか?」
声をかけてきた翔の後に続き、会議室から場所を移して階段脇へ。いつの間にか先にその場所で待機していた晴人から、雄一は頭を下げられてそう告げられた。
「俺が『ガンドレイク』を……ですか?」
言われたことに驚きつつも反芻すれば、晴人は「うん」と大きく頷いた。
「急な話だし、無理を承知で頼んでいるのは分かってる。……けど、これが今実現可能な唯一の方法だと思うんだ。『ガンドレイク』の立ち回り、英河くんは覚えているんだろう?」
「えぇ、まぁ大体は……」
いや、正確にはほぼ完璧と言えるぐらいに覚えている。身体が覚えていると言ってもいい。
晴人の言うことは分かる。今まで『ガンドレイク』の代役を雄一がやっていたのは単純に手が空いていたということもあるが、本来のスーツアクターと体格が似ているというのも理由の一つだった。
その雄一だったら『ガンドレイク』のスーツ自体も着こなせるはず。そういった点を鑑みても、晴人の提示した打開策は最も現実的かつ有効な手段だ。
「けど、それだと俺の本来の役は?」
「それはこっちで台本を調整する。所詮――っていうのもあれだが、ヒーローに比べれば戦闘員の一人ぐらい、いくらでも調整はできるさ」
翔の言葉。それならば配役に関しての問題も無くなるだろう。とすれば、あとは――。
「雄一」
翔がゆっくりと雄一を見やる。嘘偽りのない考えを見通そうとするような、鋭くも静かな眼差し。
「色々と状況も考えても、正直お前が引き受けてくれるのが一番ありがたい。けど当然かなりの負担がかかるし、実際に
翔はそれ以上は何も言わず、雄一の次の言葉をじっと待つように口を閉ざす。晴人も同じように黙っていることから、雄一の判断に委ねることは二人の共通見解のようだ。
(俺は……)
二人は何も言わない。判断を急かそうとしないことに感謝しつつ、雄一は静かに考えを巡らせた。
可能かどうか、自分の実力的な意味で言えば可能だとは思う。けれど、それはあくまで練習での話だ。『ガンドレイク』のスーツを着た上で演じたことはもちろん無いし、失敗のできない本番では緊張感も段違いのはず。割り切って『ガンドレイク』の出番を削るのも、観客の期待を裏切ってしまうが一つの安全策だ。
……でもきっとそれで乗り切れたとしても、口惜しさは残ってしまうだろう。もしかしたらできたんじゃないかと。
何より、目の前の二人は自分を信じて、そして託してくれようとしている。
だったらその期待には応えたいと、強くそう想った。
答えは一つだ。
「――やります。やらせて下さい」
雄一の目には一分の迷いも無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます