+66話『本番当日』

 本番当日の朝が来た。


 目覚ましとほぼ同時にベッドから起き上がり、雄一は身体の調子を確認するように肩を回す。一日の完全休日を挟んだ分、気力体力共に充実した最高のコンディション。これならば最高のパフォーマンスを発揮することができるだろう。


 まぁ生憎と、肝心の発揮する機会は序盤の短い時間に限られているのだが。


「――よしっ」


 全身を完全に目覚めさせるべく簡単な体操を行い、その後、朝食で一日の始めとなるエネルギーをしっかり補給。身支度を終えて外へ繰り出すと、春先の気持ちの良い朝日が雄一を出迎えた。


 天気も申し分なし。きっと今日のイベント、そしてヒーローショーには多くの観客が詰めかけるに違いない。それが嬉しい反面、ちょっと緊張もする。特に初めての出演となる澄乃には気を配ってやらないと。


 雄一は確かな足取りで駅へと向かう。イベント会場である大型自然公園の最寄り駅までは電車で、いくつかの乗り換えを経た先にある。事前に調べておいた電車を乗り継いで最寄り駅へと向かい、あとは最後の一本に乗れば到着できるというその時、雄一は見知った人影を見つける。


 最寄り駅での待ち合わせのつもりだったが、早く合流できるならそれに越したことはない。


 駅のホームで電車を待つ、それだけで目を奪われてしまいそうな後ろ姿。手入れの行き届いた綺麗な紫がかった銀髪――運動用にポニーテールにまとめたその先端が涼やかな風でさらりと揺れ、惹かれるように自然と足先がそちらへ向く。


 朝の混雑であっても、相変わらず彼女の容姿は人目を引いた。


「澄乃」


 斜め後ろからそっと声をかける。


 何かを熱心に読み込んでいたのか、手元から視線を上げてこちらへと振り向いた澄乃は、雄一の姿を認めると花が咲くような笑顔を浮かべた。


「おはよう雄くん」


「おはよう」


 朝の挨拶を交わして澄乃の隣へ。すぐに優しい力加減で腕を絡めてくる彼女に頬が緩む。


「体調は問題ないか?」


「うん、問題なし。雄くんは?」


「俺も同じく。でもなんかあったら言えよ? 今日は澄乃大変だろうし、なるべくすぐにフォローするから」


 澄乃の出来映えを信用しないわけではないが、やはり練習と本番は空気感が違う。雄一だって未だに本番直前は心臓がバクバクするし、初めての澄乃ならそれはより顕著になるはずだ。


「そんなに心配しないで。もちろん緊張はするけど、それ以上に楽しみだから」


 何の憂いを感じさせない明るい表情で澄乃は笑った。


 今さら気付いてみれば、澄乃の手には今日のショーの台本が握られている。たくさんのマーカーの線と、簡単な絵を交えてステージ上での動きを書き記したメモ。秀才な澄乃ならとっくに覚えているだろうに、今もこうして復習に勤しんでいたあたり一分の隙もない。


 いらない心配だったか。それでも心配なものはやっぱり心配で、口では「分かったよ」と言いつつも雄一は絡めた腕の先で澄乃の小さな手をやんわりと握る。


 すぐさま恋人繋ぎをねだってきた澄乃は、応じると満足そうにへにゃりと目尻を下げた。











「おはようございまーす」


『特撮連』と『ヒーロー同盟』、今回のショーにおける両団体の控え室は公園の事務所内にある会議室の一つを借り受ける形となっている。


 澄乃と共に会議室に入ると(さすがに事務所に着いたあたりで腕組みはやめた)、すでに大半の面子は集まっていた。雄一の挨拶に方々ほうぼうから軽い返事がくる中、全体のタイムスケジュールを確認していた翔が近付いてくる。


「おはようお二人さん、今日は頼むな。特に澄乃ちゃん、今回は初めてだし、なんか不安なことがあったら遠慮なく言ってくれ」


 どこかで聞いたような台詞に、澄乃はおかしそうに「ふふっ」と笑った。


「それさっき雄くんにも言われました。困った時はもちろん頼らせてもらいますけど、そう心配しなくても大丈夫ですよ」


「ははっ、彼氏を差し置いて言うことじゃなかったかもな。なら頼むぞ雄一、本番だと敵役なぶん、それ以外ではしっかり守ってやれよ」


「言われなくてもそのつもりですってば」


 元よりそのつもりだしその役目を他の人に任せるつもりもないが、にやにやと意地の悪い笑みで確認されるとついぶっきらぼうに返してしまう。しまいには二人揃って微笑ましい目で見てくるのだからたまったものではない。


 その雰囲気から逃れるように、雄一は翔の持つスケジュール表を覗き込んだ。


「それで今日の流れは? 大体いつも通りですか?」


「おう。もうじき全員揃うから、そしたら一度頭から通して最終チェック。あとは頃合いを見計らってステージ横のテントに移動だな。ってもそこまでタイトじゃねぇから、全体練習の後に少しぐらいなら出店を回れる時間もあるぞ」


 今は午前中、高校なら一限目が始まって少し経ったぐらいだ。ショーの本番は十四時からの予定なので、翔の言う通り割と時間には余裕のあるスケジュールだ。


「あと来てないのは?」


「こっちがあと数人かな。車で渋滞にはまったらしいから遅れてるけど、もうじき来るよ」


 雄一の問いには、横合いから会話に入ってきた晴人が答えた。爽やかな笑顔には見慣れたものだが、今日ばかりはその目の奥にどこか子供っぽい輝きが見て取れる。


「楽しみだねぇ本番。英河くんも手伝ってくれたおかげで『ガンドレイク』のアクションはばっちりだし、今日は最高のショーになりそうだよ」


「そう言ってもらえると手伝った甲斐がありますね」


 晴人の自信のほどからも分かる通り、今回はアクション面のレベルもかなりのものになっている。生憎と肝心の本番ではほとんど関われないが、その一端に携われて、そしてこうして感謝してもらえるだけでも十分。雄一としても、練習とはいえヒーロー役をやれたのは良い経験だ。


「英河くんには本当に助かったよ。今日が無事終わったら、改めて何かお礼を――っと、ちょっとごめん」


 話を切ってスマホを取り出す晴人。着信でも入ったのか、そのままスマホを耳に当てて話し始めた。


「とりあえずどうしよっか?」


「着替えて柔軟体操かな」


 部屋の隅に荷物を置きながら澄乃が尋ねる。全員が揃ったら通しで練習を始めるようだし、身体を温めておけばちょうど良い塩梅だろう。


 そう思って荷物から練習着を取り出そうとする。


 それと同時だった。


「――なんだって!?」


 晴人の切羽詰まった声が空気を切り裂いたのは。

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