+65話『癒しならお任せあれ』

「そこに横になって」


 澄乃が指さす先は彼女のベッド。言われるがままうつ伏せで身体を横たえると、ほんのりと甘い残り香が鼻に届く。この落ち着く香りに包まれているだけで、ちょっとしたアロマセラピーを味わっている気分だ。


「それじゃ始めるね」


 心地良い感覚に早くもリラックス効果を実感していると、澄乃はまず足のマッサージに取りかかる。その声音は随分とやる気に満ち溢れていた。


 手始めにふくらはぎ。ショーの練習で張った筋肉をほぐすように、ぐにぐにと澄乃の親指が食い込んでくる。マッサージの方法と合わせてツボでも教えてもらったのか、なかなか的確な指使いだ。


「どう? 痛かったりしない?」


「ぜーんぜん。むしろもうちょっと強くてもいいかな」


「はーい。じゃあ、もうちょっと強めでー……」


 雄一のリクエストに応え、澄乃の指にさらに力が込められる。


 これは、想像以上に気持ちいい。筋肉に溜まった疲労が溶けて消えていくようで、たちどころにふやけてしまう。単純にマッサージ自体が上手なのもあるが、澄乃の細くしなやかな指が肌を撫でる感覚も心地良かった。


 なんかダメ人間になりそう、などと考えていると、徐々に澄乃の手が腰の方へと上っていく。


「ちょっと上に乗っかってもいい? その方がやりやすいから」


「いいぞ~」


 適当に生返事。どのみち澄乃の体重なら負担になんてならないから、深く考えずに快く了承した。


 が、すぐにその判断が軽はずみだったことを思い知る。


「――っ」


「え、や、やっぱり重かった?」


「……いや全然。相変わらず澄乃は軽いなぁって思っただけ。ちゃんと食べてるか?」


「三食きちんと食べてるよ。というか、最近は雄くんと一緒に食べてることの方が多いでしょ?」


「それもそうか」


「もう、雄くんは心配性なんだから」


 澄乃は呆れた様子で軽く背中を叩き、すぐに丁寧なマッサージを再開させる。どうやら咄嗟の誤魔化しには成功したらしい。


「…………」


 澄乃の名誉のために言うが、彼女は決して重いわけじゃない。そりゃ羽根のように軽いとかファンタジーめいたことまでは言わないが、こうして上に乗っかられても苦にならないぐらいの重さだ。


 では何に反応してしまったかというと……澄乃が恐らく、女の子座りで雄一に跨がっていることについてだ。


 股を左右に開いて、お尻をぺたんと床に付けるその座り方。跨がっている以上、当然お尻を付けるのは床でなく雄一の身体なわけで、澄乃の柔らかな感触が否応なしに伝わってきてしまうのだ。


 これがショートパンツとかならまだ良いのだが、澄乃の下が膝丈のスカートだから余計に伝わる。ストッキングを履いているのがせめてもの救いか。


(落ち着けー……。マッサージだ、マッサージに集中するんだ)


 下半身の感覚をできるだけ頭の中から追い出し、いつの間にか肩甲骨へと伸びている澄乃の手に意識を集める。集中したぶん気持ち良さが強まってきて、雄一の身体からはどんどん気力が抜けていった。


「どうかな?」


「サイコー……。澄乃ってマッサージの才能もあるよなー……」


「ふふ、ならもっと気持ち良くしてあげるね」


 優しい声音がなおさら心を穏やかにし、だんだんとまぶたが重くなってくる。「んしょ、んしょ」という澄乃の愛らしいかけ声を子守歌代わりに、雄一の意識は静かな水面の底へと沈んでいった。











「……雄くん?」


 一通りのマッサージを終えた後、なんだかすっかり静かになったと思って声をかけると、返ってくるのは言葉ではなく規則正しい呼吸だけ。横からそっと顔を覗き込んでみると、雄一は目を閉じてすっかり脱力していた。


「寝ちゃったんだ」


 誰に聞かせるでもなく、一人確かめるように澄乃は呟く。思わず寝入ってしまうぐらい心地良く感じてくれたのなら、色々とアドバイスを頂いた甲斐があるというものだ。


 雄一のすぐ横に寝転がり、澄乃は彼の頭をそっと撫でる。穏やかな眠りに水を差さないようゆっくり、たっぷりの愛情を込めた丁寧な手付きで。


「いっぱい頑張ってるもんね」


 雄一が聞いたら、すぐさま「澄乃の方が大変だ」と言い返してきそうな言葉を口にする。


 でも、そんなことない。もちろん今回のショーに関しては出番こそ自分の方が多いけど、雄一の方がよっぽど頑張り屋だと、澄乃は胸を張って言い切れる。


 例えば、代役。


 例えば――雑用。


 ここ最近の練習を共にして分かった。雄一は飲み物の買い出しとか、練習施設から撤収する際の後片付けとか、そういった雑用に率先して取り組んでいるのだ。本人に言わせれば「出番が少ない自分が」ということだろうけど、どうせと思って周りの人に聞いてみれば、出番関係なしに普段からそんな感じらしい。


 そういえば初めて雄一に助けてもらったあの日も、彼は熱い中、重い荷物を運んでいただろうか。


 澄乃はくすっと微笑んで、雄一の頬を指先でくすぐる。


「……ほんと、いつも誰かのために一生懸命なんだから」


 たぶん一番恩恵を受けている澄乃だからこそ、その賞賛は自然と口をついて出た。そんな頑張り屋さんなところは澄乃の大好きな一面だけれど、たまには気兼ねなく、思いっ切り甘えてくればいいのになぁとも思ってしまう。


 マッサージだってそう。強引に押し切ったけど、最初は「澄乃だって疲れてるんだし……」と言って遠慮してたぐらいなのだ。気遣いは嬉しいけど、ほんのちょっぴり寂しくもなる。気遣いたいのは澄乃だって同じなのだ。


 だからその分、甘やかせる時はとこっとん甘やかしてやる。こればっかりは譲らないし、遠慮も手加減もしてやらない。


 我ながら頑固だなぁと苦笑しつつ、澄乃は雄一の頭をそっと胸に抱く。


「ふぁ……」


 漏れる欠伸。こうして好きな人に寄り添っていると、それだけで落ち着いてまぶたが重くなってきてしまう。


 雄一も眠ったことだし、自分もこのままお昼寝だ。


「おやすみ、雄くん」


 その額を唇で軽く撫でてから、澄乃は静かに瞳を閉じた。

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