+64話『ケアは大切』

 やることがあると日が経つのも早く感じる。『特撮連』単独、それからここ数日の『ヒーロー同盟』との合同練習を経て、気付けば本番が明後日にまで近付いていた。本日の練習も昼過ぎには終わり、明日は完全休養日。しっかり英気を養った上で当日に望むことになっている。


 練習後、雄一は澄乃と肩を並べて帰り、その足で彼女の自宅へ立ち寄ることにした。


「雄くん、何か飲む? お茶とか用意するけど」


「じゃあ貰おうかな」


「はーい。用意するから先にくつろいでて。あ、私の荷物は洗面所に置いといてもらえる?」


「ん、了解」


 練習着やタオルなどが入った澄乃のバッグを洗面所の洗濯機の上に置いて、雄一は先にソファに座った。最近がずっと練習続きだったこともあり、力を抜けば身体がずぶずぶと沈んでいってしまう。


 そのまましばらく脱力していると、二人分のマグカップを持った澄乃が「お待たせ」と雄一の隣に腰を下ろした。


「何だこれ? お茶……じゃないよな?」


 白いマグカップに注がれた中身は薄い黄色の液体だった。紅茶にしては少し色味が違うし、ほのかに昇る湯気からは柑橘系の香りがする。


 雄一の問いに、澄乃は少し得意げな笑みを浮かべた。


「ホットのはちみつレモン。疲労回復に良いから淹れてみたの」


 どうやらこの香りはレモン由来のものらしい。さっそくマグカップに口を付ければ、優しい甘味とほんのりとした酸味が身体に沁みる。なるほど、肉体的にはもちろん精神的にも落ち着けるちょうどいい飲み物だ。


 隣の澄乃も出来栄えに満足しているのか、ちびちびと飲みながら穏やかに目元を緩めている。


「ふぅ……」


「疲れたか?」


「さすがにちょっとね。でも明日は休みだし、本番が今から楽しみかな」


 澄乃の表情は明るい。実際、今日までの彼女の進歩は目覚ましいものだった。


 そもそも初日の時点で一定のレベルには達していたわけだが、練習を重ねるごとにその技量は高まっていく。三日目には台本無しでも問題ないぐらいに台詞は頭に入っていたし、その上ステージでの立ち振る舞いにもメリハリが出てきた。今やすっかりヒーローショーのお姉さんっぷりが板に付いてきて、『ヒーロー同盟』の面々からの評判が良いのはもちろん、翔からも「臨時じゃなくてこれらからも頼みたいぐらいだ」と言われるほどに仕上がっていた。


 無論、それは素質云々よりも、澄乃の努力による賜物たまものだろう。つくづく彼女の勤勉さには恐れ入る。


 たゆまぬ頑張りを称えるように「お疲れさん」と頭を優しく撫でると、澄乃は気持ちよさそうに目を細めた。


「雄くんもお疲れ様」


「俺の出番は最初の方だけだし、澄乃ほどじゃないよ」


 戦闘員である雄一の出番は序盤に限られる。助けに駆け付けたヴァルテリオンとニ、三手ほど立ち回りを演じたら、最後はあっけなく倒されてそれで終わり。澄乃も中盤は舞台袖に引っ込むので出ずっぱりというわけではないが、それでも出演時間は圧倒的に彼女の方が上だ。


 けれど、澄乃は「そんなことないよ」と首を横に振った。


「出番はともかく、練習では結構引っ張りだこだったでしょ?」


 ちゃんと分かってるんだからね、とでも言いたげな澄乃の視線に、雄一はむず痒さを感じて目を逸らす。


 実際、最近の合同練習ではちょくちょく『ヒーロー同盟』側の主役――ガンドレイクの代役を雄一は務めていたのだ。


 アクションに関して『ヒーロー同盟』はかなり凝り性らしく、あれはどうだこっちはどうだと試行錯誤することもしばしば。実際に試してみればその是非も分かりやすいのだが、採用するかどうかも分からない立ち回りに、出番の多いヒーローを駆り出すのも効率が悪い。そういう時のお試し役として、体格が似ていて出番の少ない雄一は使い勝手が良いというわけだ。


 実験台みたいなものだがこれはこれで楽しいし、むしろ率先して申し出ていたところもあるので、今やガンドレイクの立ち回りもほぼほぼ覚えてしまったぐらいである。もちろん本来の役回りである戦闘員も疎かにしていないが。


「向こうの人たちもすごく助かってるって言ってたよ。それに――」


「それに?」


「……ううん、何でもない」


 ごまかすように澄乃が銀髪を揺らす。その意味を問うよりも早く、澄乃は急に何か思い付いたように手を叩いた。


「そうだ、マッサージしてあげるよ!」


「マッサージ?」


「うん。休憩中とかに色々と教えてもらったんだ。疲れを後に残さないためにも、そういうケアは大事だって」


「いつの間に……」


 確かに休憩中、女性陣から何事かを熱心に解説されている澄乃を見かけた記憶はある。てっきり司会業に関するアドバイスでも貰っているのかと思ったが、雄一のためを思ってのことだったらしい。


 しかし、その心遣いはもちろん嬉しいのだが、素直に首を縦に振るには引け目を感じる。


「無理しなくていいぞ? 澄乃だって疲れてるんだし……」


「私がやりたからいーの。ほら、こっちこっち」


 善は急げと言わんばかりに澄乃が手を引いていく先は寝室だ。肩揉みとかそれぐらいかと思ったか、わざわざ場所を移すあたりなかなか本格的なもののようだ。


 こういう時の澄乃は頑固。それが身に沁みている雄一は申し訳なさとありがたみえを覚えつつ、大人しく澄乃の誘いに従うのだった。

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