+61話『優しい彼女』

 雄一の誕生日から日が経ち、暦は三月へ。三年生の卒業式、そして一年間の締め括りともいえる学年末テストも終わりを迎え、後は憩いの春休みを待つだけとなる。


 その日は午後に全校集会が行われ、一学年分の生徒が減って広々と感じる体育館で雄一は校長の話をぼんやりと聞いていた。学生として褒められた態度ではないかもしれないが、休みに向けての諸注意や進学にあたって気を引き締めるように等々、話の内容なんてありがちなものばかり。その証拠に雄一の周囲も似たり寄ったりな空気で、分かりやすくだらける者こそいないが、定期テスト明けののんびりとした雰囲気が漂っていた。


 そんな感じで校長の話も終わり、集会は次のプログラムに。司会役の教師が告げた『成績優秀者表彰』というプログラム名に、雄一は上の空だった思考を正した。


 司会の言葉に従い、続々と壇上に上がる合計六名の生徒たち。彼らは学年末テストにおける成績上位者たちであり、各学年につきベストスリーまでが表彰、そして賞状とささやかな祝いの品を贈られることになっている。


 まずは一年生の表彰が行われ、次に二年生の分が。最後のトリを飾る人物の番が来たところで、人知れず雄一の口許は綻んだ。


『第二学年首席――二年一組、白取澄乃』


 名前を呼ばれ、壇上の中央に進み出る澄乃。紫がかった長い銀髪を軽やかに揺らし、迷いのない足取りで表彰役の校長と向かい合う。今の今まで弛緩していた館内の空気がどこか引き締まったように感じるのは、きっと勘違いではないはずだ。


 それだけ澄乃の容姿と雰囲気は魅力的で、これだけの人の目を一身に集める。そんな中でも堂に入った佇まいで表彰を受ける澄乃は、雄一にとってまさに自慢の恋人だ。


 やがて表彰が終わり、澄乃は生徒側に向き直って一礼する。誰よりも強い拍手で彼女を称えると、雄一はそっと息を吐いた。身も蓋もない話だが、校長の話より澄乃が賞賛されるのを見ている方がよっぽど身が引き締まる。彼女の隣に立つに相応しい男であらねばと思うから。


 こりゃ俺も負けらんないな、と一人決意を固めていると、壇上から降りる澄乃と目が合う。


 照れ臭そうで、ほんのりと得意げな色も混じった笑み。たぶん自分にしか分からないような些細な表情の変化に、雄一は小さなサムズアップを送るのだった。










 そんなことがあった次の日曜、三月十四日。雄一と澄乃はとあるデザートビュッフェの店内にいた。


 雄一の奢りホワイトデーの贈り物ということで足を運んだ場所であり、それに合わせた限定プランも用意されていたので色々と都合が良かったのだ。


 明るい色合いの店内で多くの客が行き交う中、二人用の座席に腰を下ろした雄一は対面の澄乃を見て、ふとこの間の全校集会のことを話題に出した。


「あの時の澄乃、堂々としてたなー」


「内心だと結構緊張してたんだけどねぇ」


 雄一の賞賛を受けて照れ臭そうに笑う澄乃。その笑顔がいつもより何となくふにゃふにゃしているように見えるのは、恐らくテーブル上に所狭しと並べられた数々のスイーツのせいだろう。どうやら澄乃のお気に召したらしいので何よりである。


「そうなのか? 端から見てる分にはそんな風に見えなかったけど」


「まぁ、視線を浴びるのが特別得意ってわけでもないけど、ある程度は慣れたかな。変に縮こまってもしょうがないし」


「なるほど」


 そもそも澄乃は人目を引く。今日も今日とてその魅力は健在であり、ここに来るまでの間にも多くの視線――主に異性からの――を集めていた。手を繋いだ恋人オーラ全開の雄一が隣にいなければ、ナンパの一つや二つはされていたに違いない。


 そう考えれば全校集会の時のように多くの人から注目されるのだって、澄乃にとっては日常茶飯事のようなものかもしれない。


「とにもかくにも、学年首席おめでとう。なんかお祝いしないとダメかな」


「ふふ、ありがとう。でも今日はホワイトデーを堪能させてもらってるし、言葉で祝ってくれるだけで十分嬉しいよ?」


「そうか? んー、ただ澄乃の日頃の努力を考えると、どうにもな……」


「雄くんは真面目だなぁ。だったら、そのぶん私の誕生日は楽しみにさせてもらおうかな」


 苦笑した澄乃が雄一を試すような口振りで笑う。


 三月三十一日。約二週間後に迫ったその日が、記念すべき澄乃の誕生日だ。全力でお祝いさせてもらいたい雄一としては、澄乃の挑発めいた言葉に「任せろ」と豪語したいところなのだが――。


「そのことなんだけど……ごめん、澄乃」


「?」


 小さなシュークリームを頬張ったところで、きょとんと首を傾げる澄乃。愛らしいその仕草にさらなる申し訳なさを感じつつ、雄一は意を決して両手を合わせる。


「澄乃の誕生日、どうしても外せない用事が入った……!」











「ヒーローショー?」


 澄乃の言葉に雄一は頭を下げたまま頷く。


 理由を説明するとこうだ。


 三月三十日と三十一日、都内の大型自然公園で開催されるイベントに、雄一の所属する大学サークル『特撮連』は参加することになった。


 内容は公園内にあるステージでのヒーローショー。当初は初日の午後に行われる予定だったので澄乃の誕生日とバッティングすることもなかったのだが、つい先日、急なスケジュール変更で二日目にずれ込んでしまったのだ。


『特撮連』自体には大きな不都合もなかったので、その変更を承諾した形だが……雄一にとってはまさかの大問題である。


「そういうことなんだ。理由は分かったし、気にしなくていいよ」


 頭上から澄乃の優しい声が降りかかる。恐る恐る顔を上げてみれば、澄乃は特に気にした様子もなく、箸休めのホットティーのカップを傾けていた。


「本当に悪い。せっかくの澄乃の誕生日なのに……」


 計画こそまだしっかりと決まっていたわけではないが、誕生日には澄乃とデートに行く約束だったのだ。それを一方的に反故することになるなど、文句の一つや二つ飛んできても当然だと思っている。


 だが澄乃はやわらかい笑顔を絶やさないまま、テーブルに置かれた雄一の手にそっと自分の手を重ねた。


「当日すっぽかされたわけでもないんだし、ちゃんと説明してもらえば怒ったりなんてしないよ」


「助かる。正直ちょっと怒られるの覚悟してたから、ほっとしたよ」


「ふふ、なら『仕事と私どっちが大事なの!?』ぐらい言ってもよかったかなー?」


「やめてくれ……。そりゃもちろん澄乃の方が大事だけどさ」


「大事にしてくれてありがとう。でも必要とされてる以上、仕事も大切にしなきゃだよ?」


「はい、肝に銘じます」


「よろしい」


 緩やかに頬を弛ませて澄乃は頷く。こちらをおもんぱかってくれる彼女で本当にありがたい。その分の埋め合わせはしっかりさせてもらわないとだ。


 改めて澄乃の人柄の良さを実感していると、一口サイズのケーキにフォークを刺した澄乃が「というか」と声を上げた。


「そのヒーローショー、私見に行ってもいい? 去年のゴールデンウィークのは途中で帰っちゃったから、よくよく考えればちゃんと見たことないなぁって」


「もちろん。見に来てもらえるなら、俄然やる気が出る」


「じゃあ見に行こうかな。雄くんのカッコいい姿、期待してるね?」


 パチッとウィンクを送ってくる澄乃。可愛らしい仕草にほっこりしつつ、雄一は目を逸らしてぽそっと呟いた。


「……あー、ただ、その、俺ヒーロー役じゃないんだよな」


「あ、また怪人役とか? じゃあ悪者っぷりに期待?」


「……いや、戦闘員C」


 ヒーローにあっけなく倒される役。序盤の出番こそそれなりに多いけど、結局ただのやられ役。


「……や、やられっぷりに期待、しようかな……」


「そうしてくれ……」


 つくづく、澄乃の優しさが目に沁みた。

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