+59話『準備を終えて』

「これで良し、と……」


 澄乃より先に入浴を終えてスウェットの上下に着替えた雄一は、最後の準備に勤しんでいた。


 ベッドの横に置いたのは真新しい卓上の間接照明。コンパクトかつ安価ながらも性能は良く、天井の電気を消して暗くなった室内を穏やかな暖色の光で照らしている。


 試しに部屋の出入り口側から部屋全体を眺めてみても、それは同じ。今夜のためにと購入したものだが、我ながら良い買い物をしたと思う。


 が。


(なんか、いかにもって感じだな……)


 行為に及ぶ際、部屋が明るいと嫌がる女性もいるという内容をネットで目にしたのはつい先日のこと。実際に澄乃がどうかは分からないが、必要無いならただ片付ければいいだけの話なので、とりあえずこうして用意はしてみた。


 しかし改めて出来上がった室内を見てみると……こう、いかにもな雰囲気が漂ってくる。控えめな照明と綺麗に整頓したベッドがこれから起こることをまざまざと想起させてくるようで、自分で用意しておきながら雄一はちょっとうめいてしまった。


 ここまで準備万端だと、逆に引かれたりしないだろうか。やっぱり照明は片付けようかどうしようかとうだうだ悩んでいると――


「……雄くん?」


 無防備な背後からの声に雄一はびくっと竦み上がった。


 恐る恐る振り返れば、そこには入浴を終えたらしい澄乃が。部屋のドアからひょっこりと顔を出して、こちらの様子を伺っている。


「部屋のなか暗くして、どうしたの?」


「いや、その……」


 雄一がしどろもどろしている間に、澄乃は室内に入ってくる。今まで何度か見た寝間着姿でなく、なぜか身体を隠すように大きめのバスタオルに身をくるんだ澄乃。まさかその下は……、とよからぬ想像が雄一の脳裏を掠めたが、腿の辺りにはバスタオルと違う布地も見え隠れしているので、そういうわけではないらしい。


「あんなの持ってたっけ? 前に来た時は無かったと思うけど」


「あー、あの、な……………………買った」


「……買った?」


 間接照明を見つけた澄乃の問いに覚悟を決めて答えると、きょとんと首を傾げられる。


「今日のために買ったんだよ。部屋が明るいと、澄乃が嫌がるかもって思ってさ……」


「あ――」


 澄乃がぱちりと目を瞬かせる。それからすぐに緩く息を吐いて、雄一に向けてやわらかい笑みを浮かべた。


「……ありがとう、雄くん。うん、これぐらいの方が安心できるかな」


「ならいいんだけど……引いたりしてないか?」


「どうして? 私のために準備してくれたんでしょ?」


「だってこんな、あからさま過ぎるかなって……」


「そんな風に思ったりしないよ。そもそもお互いに準備しようって話だったんだし。――……それに、私の方が、よっぽどあからさまだよ?」


 艶を帯びた澄乃の言葉。意味を計りかねるその後付けに雄一は「え?」と聞き返すが、それに構わず澄乃は雄一の手を引いて、ベッドの方へ静かに足を向ける。


「座って」


 短く告げて雄一をベッドの縁に座らせ、澄乃はその目の前に立つ。そして二、三度深呼吸を繰り返すと、その肢体を隠すバスタオルに手をかけた。


 ――彼女の身体を包むのは、薄いピンクのベビードールだった。


 レースとリボンをあしらったその一着。胸元はそれなりに隠れていて、裾は膝丈よりやや上ぐらい。透けるとまではいかないものの、やはり普通とは違った生地の薄さを感じてしまい、澄乃の起伏に富んだ抜群のスタイルを遺憾なく発揮していた。


「澄乃、それ……」


「わ、私も買っちゃった。こういうのは形から入るべきかなーって……」


 お腹の前で両の人差し指をもじもじとさせる澄乃。


 正装、とでも言えばいいのだろうか。確かに澄乃の準備の方がよっぽどあからさまだった。もちろん嬉しい、すごく。


 薄明かりの中でもはっきりと分かるほどに顔を赤くした澄乃は、やがて意を決した様子で雄一の隣に腰を下ろす。距離が縮まったことでその蠱惑的な姿がより鮮明に見え、いつもより少し遠い拳二つ分の距離から甘い香りが漂い、昂った体温が肌を撫でる。


 何度も待ち望んできたような澄乃が今、手を伸ばせば届く距離にいる。そんな姿を見てしまえばすぐに襲ってしまうだろうと思っていたのに、それに反して手を握ったり開いたりするばかり。なかなかその先の行動に移れない。そして、それはどうやら澄乃も同じようで、膝の上に両手を置いたままちらちらと雄一に視線を送るだけだった。


 やがて意を決し、その静寂を破るように雄一は口を開く。


 ――それから先は、途方もないほどの幸福に溺れた時間だった。

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