+53話『最後まで愛たっぷり』
翌日、バレンタイン当日の昼下がりの午後。
今日は澄乃宅でのおうちデートということで、以前に澄乃が興味を示した少し前の特撮怪獣映画を見ながらまったりとした時間を過ごしていた。映画も終わって一段落した頃、使い終わった二人分のマグカップを手に取った澄乃は、「ちょっと待ってて」と笑みを浮かべてキッチンの方へと向かった。
時間を確認すると午後三時を少し過ぎたあたり。本日のメインイベントの時が来たと考えていいのだろう。それを証明するかのように、キッチンから戻って来た澄乃は白い器を手にしていた。
「お待たせしました。こちら、バレンタインのチョコになります」
「おお……!」
ウェイトレスを真似た所作でテーブルに置かれたものを前にし、雄一は感嘆の声を漏らす。
底の浅い円形のデザートプレートに盛られているのは、一口サイズのチョコレートの数々。ベースの形こそ全て四角形で揃えられているものの、添えられているトッピングの種類は多岐に渡る。
カラーシュガー、アラザン、フルーツピール、砕いたアーモンド等々、色彩豊かな品々が器の形に沿って渦を巻くように並べられている様からは、そんじょそこらの市販品とは比べ物にならないほどの上品さが窺える。さながらコース料理の最後を飾るデザートだ。
「雄くんをびっくりさせたいから気合入れて作ってみたんだけど、どうかな?」
「想像をはるかに超えたものが出てきて驚いてる。っていうか澄乃、お菓子系も余裕で作れるのな」
「クラスにお菓子作り得意なコがいてね、今日に向けて色々とアドバイスを貰いました」
雄一の言葉にむふーと胸を張る澄乃。努力家な彼女のことだから、きっと何度も試行錯誤を繰り返してくれたのだろう。チョコレートにたっぷりと詰め込まれた想いに当てられたようで、まだ食べてもいないのに口の中に甘さが広がるような錯覚を覚える。
食べていいか、と目線で尋ねれば、やわらかい笑みを浮かべた澄乃がこくりと頷く。どれから口にしようかと少し迷った後、ここは形に沿って外側から中心に向けて順繰りに食べていくことにした。
まず一つ目、レモンピールがトッピングされたチョコを舌に乗せる。
「美味い」
味の是非は即座に下り、自然と笑みがこぼれてしまう。
雄一の好みに合わせた適度な甘さに、ほど良い酸味のアクセントを加えるレモンピール。チョコそのものの舌触りもなめらかで、舌の上でほろほろと溶けて口の中に消えていく。澄乃の手料理のレベルの高さなんてとうに身に沁みているはずなのに、それでも込み上げてくる幸福感は抑えられなかった。
二つ目、三つ目と続々と雄一が食べ進めていく中、すぐそばで寄り添うように座る澄乃は可愛らしいはにかみを浮かべる。
「ふふ、雄くんが満足そうでなにより」
「これだけ美味ければなあ。ありがとう、最高のバレンタインだ」
「どういたしまして。そう言ってもらえるだけで作った甲斐があります」
澄乃はへにゃりと眉を下げると、そのまま静かに雄一を見守る。
好きな相手からこれだけ真心のこもった手料理を振舞ってもらえて、本当に最高だった。その幸福を噛み締めるように食を進め、舌鼓を打ち、その度に澄乃が嬉しそうに笑う。
そんな底抜けなまでの幸せなひととき――の最後に“それ”は起きた。
「……ぐっ!?」
器の中心に盛られた最後の一つ。それを口の中に放り込んだ途端、強烈な苦みが雄一を襲う。味そのものはチョコレートの範疇に留まっているものの、それまでが甘いものだっただけに落差が激しい。
まさか澄乃にかぎってミスなんて、と半信半疑になりながら隣を見れば、こちらを覗き込む藍色の瞳と目が合う。
そして澄乃の口許が――深い弧を描いた。
あ、これ確信犯だと気付いた瞬間、先ほどの澄乃が口にした『びっくりさせたいから』という言葉が脳裏をよぎる。どうやら宣言通り、こちらをびっくりさせるためにとびきり苦いチョコを用意したらしい。
恨めしげに睨んでも、澄乃はしてやったりといった笑みを絶やさないだけ。せめて他のチョコを残していれば口直しもできたろうに、今の苦いチョコが最後の一つだからそれも叶わない。もしかしたら盛り付け方の時点でそうなるように仕向けていたのかも。
色々と澄乃に仕返ししてやりたい気分になるが、とにもかくにも口の中に残る後味をどうにするのが先決だ。そのためにキッチンに向かおうと立ち上がろうとした矢先、くいっと袖を引っ張られる。
「雄くん」
「降参だ澄乃、これ以上は勘べ――」
その言葉は、押し付けられた唇で遮られた。
雄一に残る後味を上書きするように、ゆっくりじっくりと与えられる澄乃の味。甘さを含んだ吐息が口内に広がり、やわらかな感触が雄一の唇を癒す。その感触に酔いしれて浮き上がった腰をその場に下ろせば、澄乃はよりいっそう雄一の方へと身体を傾けた。
しばらくして、ほんのわずかな水音を最後に二人の距離が空く。
「これで、少しは和らいだ?」
目と鼻の先で首を傾げる澄乃の顔に宿るのは、ときおり見せる小悪魔な笑み。艶やかさも加わったその表情から目が離せなかった。
「――って、これちょっと苦く作りすぎちゃったね。ごめんなさい」
「……ひょっとして、ここまでが計画だったりするのか?」
「……そうだと言ったら?」
今度は雄一が唇を塞いだ。
意地悪なサプライズを企んだ彼女からは、罰としてたっぷりの甘さを供給させてもらおう。
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