+52話『真摯であれ』

 二月十四日、バレンタインデー。それはほのかな恋心を胸に秘めた女性たちが、その抑え切れない想いをチョコレートに込めて異性へと送る、一世一代の勝負の日。そして男たちは密かに想いを寄せる相手からのアプローチに今か今かと期待する、一日千秋な忍耐の日。


 ――という煽り文句の混じったスマホのネット記事から目を外し、雄一は朝の教室内をそれとなく見回した。ホームルームを控えた教室は部活の朝練帰りのクラスメイトも続々と顔を見せ始め、比例してその騒がしさも増していく。けれどその喧噪が普段と少し違うというか、どこか浮き足立っているように感じるのは気のせいではないだろう。


 その原因は主に男子。本命か義理かはひとまず置いておくとして、バレンタインにチョコを貰えるか否かは男子高校生として一つのステータスになり得るので、全体的に落ち着かない雰囲気になってしまうのは致し方ない。


 そういう意味ではまず間違いなく一つは貰えることが確定している雄一は、余裕のある立場からその喧噪を眺めることができた。


「バレンタインはやっぱあれだなー、ちょっと殺伐としてるところあるよな」


「そうだな。だからそんな中でナチュラルに食ってるお前に俺は驚きだよ」


 何食わぬ顔でチョコレート菓子を齧る雅人に、雄一は大袈裟にため息をついてツッコむ。本人が『殺伐』とまで表現した状況下で臆面もなく食べるなど、雄一には到底できない行動だ。


「義理だよ義理。朝練終わりにマネージャーから野郎全員に配られたヤツだから。ちょうど小腹が空いてたからありがたい」


「だとしてもな……」


 確かに雅人の言う通り、彼が食べているのは一つ一つが個包装された市販の菓子だ。『一目で義理とわかる』なんて宣伝をされるぐらいの安価な品なので、本命を貰ったわけではないのは誰の目にも明らかである。


 しかしチョコはチョコ。義理だろうと女子から貰ったという事実は揺るがない。心の奥底で待ち望んでいる男子にとってはやはり羨ましく思えてしまうだろう。


 ついでにこのイケメンスポーツマンは去年も何個か本命を貰っていたので、今年も同じかそれ以上の結果になるに違いない。「勝ち組ですなあ」と呆れ混じりに呟いて、雄一は早めに一限目の準備でもしようかと机の中から教材を取り出した。


「俺からしてみれば、英河の方がよっぽど勝ち組だけどな」


「え?」


 横合いから入り込んできた声に振り向いてみれば、ちょうど今登校してきたばかりのクラスメイトが席に着こうとしていたところで、雄一へ向けて恨めしそうな視線を送っている。


「えじゃねーよ、えじゃ。お前はどうせ白取さんから貰えるんだろ?」


「あー……まあ一応、明日貰えることにはなってる」


 雄一は頬をかきながら答えた。


 実のところ今日はバレンタイン当日ではなく、前日の十三日だったりする。だが今日は土曜日で、必然的に明日は学校が休みになってしまうので、雄一の学校では今日をバレンタインデーとする暗黙の了解が出来上がっていた。


 どうせなら当日に渡したいという澄乃からは、「期待して待っててね」の言葉と共に明日のデートの約束を取り付けられている。


「羨ましいねえ……。たぶんだけど、白取さんってめっちゃ料理上手いよな? 昼の弁当とかも自分で作ってるみたいだし」


「ああ。味に関してはプロ顔負けだと思ってる」


「そういう台詞が出るってことは、当然のように手料理をご馳走になってるわけか……。はー、可愛くて性格良くてその上家庭的かー。白取さんってホント、男の理想を具現化したような人だよなあ」


 席に着くや否や、脱力して机に突っ伏すクラスメイト。今は席を外している澄乃への賛辞に雄一は「だな」と賛同の意を示すと、一限目の準備を終えてひと息つく。


「そんな澄乃に釣り合うように頑張んないとなって思うよ」


「頑張るって……白取さんは今の英河が好きだから付き合ってるんだろ? 別にそんな必要ないんじゃねーの?」


「そりゃそうかもだけど、近くにいればいるほど澄乃が色々と努力してるのが分かるからな。付き合う上での最低限の礼儀っていうか、俺も精進を怠らないとダメだなーって思うんだよ」


「…………」


「どうした?」


「なんつーか、そういうところなんだろうなあと」


「?」


「いやいや、こっちの話。とりあえず末永くお幸せに。……爆発しろ」


「おい最後」


 ぼそっと呟かれた言葉を逃さずに問い質せば、「そんぐらい甘んじて受けろ勝ち組」と肩を小突かれる。ついでに会話を聞いていた雅人からも「そーだそーだ」と逆の肩を小突かれ、結局ホームルームが始まるまでプチサンドバッグと化す雄一なのであった。

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