+48話『探求心は尽きないもの』
冬休みが空け、高校二年生の三学期が始まりを迎えた。往々にして長期の休み明けというものは何かしらの変化があるタイミングであり、朝のホームルーム前の教室の各所では久方ぶり(といっても二週間程度ではあるが)に再会したクラスメイトとそういった話題に発展している光景が見受けられる。
雄一もまた、澄乃を交えて親友である雅人との
果たして雄一のその行動をどう解釈したのか、『ラブラブですなあ』とでも言いたげな表情で生温かい視線を送ってくる雅人へもう一撃喰らわせてやろうかと画策していた矢先、教室後方のドアが音を立てて開く。
そこから現れた見知った人物の、けれど見慣れぬ姿に最初に驚きの声を上げたのは澄乃だった。
「紗菜ちゃん、髪切ったんだ」
「うん。休み中にばっさりと」
そう答えた紗菜の明るい栗色の髪は、コンパクトなショートカットで綺麗に切り揃えられていた。
冬休み前の紗菜の普段の髪型はポニーテール。下ろせば腰に届くぐらいの長髪だったので、かなり大胆に切ったことになる。随分と涼しくなった首回りを眺め、雄一は圧倒されたように唸った。
「こりゃまた思い切ったな。何かあったのか?」
「演劇部でやる今度の舞台に向けてね。役のイメージ的にこの方が似合いそうなんだよ」
「それにしたってそこまでやるか……。豪気というか、潔いというか」
たかが部活、と片付けてしまうと真剣に打ち込んでいる紗菜には悪いが、それでも学校の部活動程度でここまでやる生徒なんてほとんどいないだろう。雄一にとっては澄乃が一番だが、客観的に見れば紗菜の髪だって負けず劣らず綺麗なものだった。
それをこうもあっさり手放してしまうとは、演じることに対する紗菜の打ち込み様には凄まじいものがある。
「まあ、それだけが理由じゃないけどね。元々イメチェンしてみようかなーって少し悩んでたから、踏ん切りがついてちょうど良かったってだけの話」
あっけらかんと言い放つ紗菜。
「ちなみに皆から見てどう? 変なところある?」
「似合ってんじゃねえの? 俺はどっちかっていうと短い方が好きだし」
「雅人に同じく。意外と紗菜はそっちの方が良いかもな」
「私も良いと思うよ」
「よしよし、なら問題なし」
満足そうに紗菜が頷いたところで、ホームルームの開始を告げるチャイムと共に担任が教室に入ってきた。雑談をお開きにして各々自分の席へ戻る中、一足先に着席した澄乃はぽつりと呟く。
「短い方が、かあ……」
着席するする生徒たちの雑音に紛れ、その呟きを誰の耳に入ることもなかった。
「雄くんって髪が長いのと短いのどっちが好き?」
その日の放課後。週当たりの頻度が少しずつ増えてきた澄乃宅で夕食をご馳走になるというイベントを終え、食後にまったりしていると、雄一のすぐ隣でソファに腰掛けた澄乃から不意に尋ねられた。適当に点けていたテレビから視線をずらして澄乃を見てみれば、くるくると自分の髪を指先で弄んでいる彼女が目に入る。
「何だ藪から棒に」
「今日の紗菜ちゃんを見て何となく。ひょっとしたら雄くんって、髪は短い方が好きなのかなあって」
「あー……」
恐らく紗菜の髪型を褒めたことに関して、澄乃なりに思うところがあったのだろう。
「雅人の意見には同意したけど、あくまで似合ってるってところだけだよ。正直、髪の長さにはあまりこだわらないかな。本人が納得する髪型をするのが一番だと思うし」
特に女性の髪に関しては尚更そうあるべきであろう。伸ばすとなるとそれだけ時間と維持する手間がかかるわけで、短くするならするで手塩にかけて育てたものを手放してしまうことになる。軽はずみに求めていい要望ではないだろう。
好みに合わせてくれるというのはもちろん嬉しく感じるけれど、そういったところで澄乃を束縛したくないのが雄一の正直な気持ちだ。
何より。
「澄乃は……今のままでいてくれる方が良いかな。せっかく綺麗な髪なんだしさ」
澄乃の美しい銀髪の一房をそっと手に取った。今日も今日とて手入れが行き届いており、指に引っかかりのないさらさらとした手触りが返ってくる。およせ一朝一夕では得られない代物。いわば澄乃の努力の結晶であり、雄一の個人的な感情を抜きにしても、これを無くしてしまうのは非常にもったいないことだと思うのだ。
髪に触れる雄一の手付きに気持ち良さそうに目を細めた澄乃は、雄一の方へと身体を傾けてくる。もっと触って――そう言いたげに。
空いている手で迎え入れるように肩を抱き寄せれば、澄乃は一段と深い笑みを浮かべた。
「なら、このままにするよ。こうやって雄くんに触ってもらうの好きだし」
「光栄だな。気を付けてるつもりだけど、変な触り方してたら言ってくれよ?」
「大丈夫だよー? いつも優しく触ってくれるから安心して任せられます」
「なら良かった」
どうやら好評なようなので、これ幸いとばかりに澄乃の髪をゆっくりと手で梳いていく。ふにゃりと表情を緩める澄乃は、さながら毛づくろいされている猫のような可愛らしさを醸し出していた。
「……ちなみにだけど、もし短い方が好きって言ったらどうする?」
「今度の休みにでも美容院に行ってくる」
「躊躇が無い」
呆気に取られてしまうほどの判断の早さだった。
「女の子としてはね、好きな人の好みには少しでも近付きたいものなの」
そう言ってはにかみながら雄一の頬を突いてくる澄乃だが、柔らかい表情とは違い瞳の奥には揺るぎない意志の光が垣間見える。その輝きを見ていると、何だかこちらも負けていられなくなってしまう。
「逆にさ、澄乃は俺に対して何かあるか? こういう髪型が好きとか」
「え? んー……改めて聞かれるとすぐには……」
形の良い眉を思案気に寄せる澄乃。しばらくして何か思い付いたのか、上目遣いの視線を雄一へと送る。
「髪型とはちょっと違うかもしれないんだけど……」
「ああ」
「この間、二人で温泉行ったでしょ? その時の、お風呂上がりの雄くんがかっこ良かったなあって。こう、濡れた髪をかき上げてる感じが」
「ちょっと洗面所借りるぞ」
「ストップストップ。雄くんも結構躊躇無いよ?」
すぐさま立ち上がろうとした雄一は、苦笑混じりの澄乃に引き止められるのであった。
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