+45話『一歩先』
結局、時間ギリギリまで貸切風呂を利用することに。今さらだが宿泊とは別途で料金がかかるので、そういう意味でもどうせなら長く入っていた方がお得だ。
さて、澄乃と一緒に入浴という至福の時間を心ゆくまで楽しむことができたまでは良かったのだが――
「うぅぅ……」
「だから気を付けろって言ったのに……」
どうやら澄乃はのぼせてしまったらしい。着替えは自分でできたし、雄一が多少肩を貸すぐらいで部屋までは帰れたので、症状としては軽度のものと言っていいだろう。けれど普段は長風呂をしない澄乃は慣れない感覚にグロッキー状態らしく、部屋に着くなり敷いてあった布団に寝転んでしまった。
それだけ雄一との入浴を長く続けたかった、と考えると嬉しくなるが、ダウンしている澄乃の手前、大っぴらに喜ぶわけにもいかない。とりあえず買ってきたペットボトルの水で水分を補給させ、季節外れの
「調子はどうだ?」
「うん、だいぶ楽になってきたー……」
身体の内に溜まった熱を吐き出すように息をつく澄乃。肌の火照りはだいぶ治まってきている。言動もしっかりしていることだし、この分なら問題無さそうだ。
冗談ですまない事態にならなくて良かった、と雄一が胸を撫で下ろしていると、なぜか澄乃は胡乱げな眼差しを雄一に向けていた。
「納得いかない」
「何が?」
「なんで雄くんは平気そうなの? どっちかというと雄くんの方が長く入ってたはずなのに……」
「鍛え方が違う」
「むぅ」
ハムスターのように頬を膨らませても、こればっかりは純然たる事実だからしかたない。
雄一が『特撮連』で担当しているのはスーツアクターだ。もちろんモノによって程度の差はあるが、着ぐるみなんてものは基本的に『熱い・視界が狭い・息苦しい』の三重苦を背負うのが常。特に夏場の活動なんて熱中症と隣り合わせ。そういった経験のおかげで、熱さに関しては並大抵の人より耐性があると自負している。
というのを経験談も交えて説明してみても、澄乃の頬は膨れたまま。布団に寝転がったままぺちぺちと雄一の膝を叩いてくるところが意外と負けず嫌いな彼女らしい。可愛らしい不満の表現に笑みが浮かびそうになるけれど、ここで笑ったら余計に拗ねそうなので内心に留めておく。
「ほら、残りも飲み切っちゃえよ」
不貞腐れる余裕が出てきたあたり、ほぼほぼ回復したと判断していいだろう。念の為もう少しだけ水分補給をさせておこうと、五分の一ほどになったペットボトルの中身を澄乃の目の前で揺らし、雄一は彼女の背中に手を差し込んで上半身を起こす。
そしてキャップを開けたペットボトルを差し出すのだが、なぜか澄乃は手に取ろうとしない。無言で、目をつむって、雄一の方へとずいっと唇を突き出している。
……飲ませて、ということなのだろうか?
突き出したまま何かを待つようにじっとしている澄乃の行動を見るに、そういうおねだりで間違いないだろう。拗ねたと思ったらすぐ甘えてくる恋人にそっと笑みをこぼし、ならばと飲み口を澄乃の唇にあてがおうとした直前――ふと、雄一の悪戯心が芽を出した。
澄乃からは混浴の提案というサプライズを喰らったことだし、ここいらでこっちも何か驚かせるようなことをしてみたい。そんな思惑が瞬く間に頭の中で膨らみ、一つの案を思い付いた雄一は少量の水を自分の口に含ませる。
(隙だらけなのが悪いんだからな)
言い訳めいた言葉を内心で呟いたが最後、無防備に突き出された桜色の唇に噛み付いた。
「――!」
予期せぬ感触にビクッと震える澄乃の身体。その拍子に薄く開いた口に水を流し込み、こぼさないように唇を強く押し付ける。
こくり、こくりと、澄乃の白く細い首筋が動くのを雰囲気で感じる。その脈動が落ち着いてから唇を離すと、目の前には呆気に取られたような、それでいて火照りがぶり返したような澄乃の顔があった。
「~~~~っ!」
どこか焦点の定まらなかった藍色の瞳が意思を取り戻すや否や、澄乃は雄一の胸に強引に顔を埋める。ぷるぷると震える両肩から澄乃の羞恥がこれでもかと伝わってきて、さすがに軽率だったかと、今さらになって雄一は焦りを覚えた。
「悪い、さすがに調子に乗りすぎた……」
「う、ううん! 嫌とか、そういうのじゃなくて……いつもと違う感じで、驚いただけ……っ」
「な、なら良かった。でも、嫌な時は嫌だってちゃんと言ってくれよ……?」
「……雄くんにされて嫌なことなんて、一つもないよ」
胸に顔を埋めたままの呟きは身体の芯に響くようで、雄一の背筋にぞくりと甘い痺れが走る。
分かっている。澄乃の言葉は決して言葉通りの意味ではない。いくら相手が雄一とはいえ、例えば苦痛を伴うようなこととか、粗暴に扱われることとか、そういった行いまで受け入れてくれるわけではないはずだ。けれど雄一なら大丈夫だと、きっとそんなことをするわけがないと、そう信じてくれているからこその言葉。
曇りのない信頼を寄せてくれることがたまらなく嬉しくて――それと同時に、別の感情が心の奥底から湧いてくる。
澄乃との間に立てた誓いを破ることは、絶対にありえない。
けど、少しだけ先に進みたくなった。
「すみ、の」
声が掠れた。
それでも澄乃は反応してくれて、おずおずと上目遣いに雄一を見上げる。不安と、どこか期待も入り混じったように見える、思わず吸い込まれてしまいそうなほど透き通った藍色の瞳。
その輝きを正面から見つめ返し、ゆっくりと顔を下ろしていく。
雄一のただならぬ気配はきっと澄乃にも伝わっているはずだ。なのに顔を逸らさず、押しとどめることもせず、ただ雄一の全てを受け入れてくれるかのように、そっと瞳を閉じた。
感謝の気持ちを込めた手付きで澄乃の頭を撫でて、唇を優しく重ねる。
甘い吐息。柔らかな感触。血液が沸騰したかのような熱。全てを丁寧に味わってから、今はまだ閉じられたままの澄乃の唇をノックする。
ふるり。一度大きく震えた澄乃は、やがて雄一の腕の中で全身を弛緩させた。
漏れる吐息の量が増えたのは、道が開かれた証。薄く開いた唇を割って澄乃の内側に潜り込んでいくと、すぐに先端が触れ合った。少しずつ、少しずつ。粉々に砕け散りそうな理性を限界まで酷使して衝動を制御し、お互いの想いをゆっくり絡め、溶かし合っていく。
飴玉を転がすようにするのがコツだと、最近ネットから得た知識を実践してみれば、澄乃からもたらされる吐息の熱と甘さが増す。どうしようもないぐらい甘美な刺激を与えて、与えられて、高め合って――……息苦しさを覚えたこところで、ようやく唇を離した。
時間にすれば一分にも満たないはずの交わりなのに、その短い間に絡め合った想いは今までのどんなものよりも濃密に感じた。
「なんか……すごかった……」
そう呟いて浅い呼吸を繰り返す澄乃は、とろけきった表情を隠そうともしない。それどころではないのか、先ほどの感触を思い返すように自身の唇を指でなぞる。
「気持ち良くて、ふわふわして……すごく幸せな気分。雄くんは……?」
「俺も、気持ち良かった。こんな感じなんだな……」
「うん。……ふふ、癖になっちゃいそう」
「……なら、もう一度しようか?」
ズルい問いかけだ。本当は自分がしたいだけのくせに。
姑息な思惑は見抜かれているのかいないのか、どことなくおかしそうに微笑んだ澄乃は熱に浮かされたような視線を雄一に送る。
「――ちょうだい」
躊躇うことはなかった。ねだるように差し出された唇を奪い、再び澄乃の内側へ潜り込む。先ほどよりも深く、まだ少し恐る恐るといった感じの澄乃を誘い出すように行為を続けた。やがて澄乃からのアプローチも徐々に増えてきたので、物は試しに引いてみれば、今度は彼女の方から雄一の奥へと進んでいく。
それと同時、雄一は澄乃の腰と背中に回した両腕で優しく抱き締める。くすぐったそうにくぐもった声を漏らした澄乃もまた、雄一の浴衣の襟元を両手で掴んで身体を預けた。
ほんの少しの隙間も惜しむように身を寄せ合う。お互いの体温が溶けて境界線が曖昧になるような感覚は、途方もない幸福を与えてくれた。
やはり息苦しくなってきたところで唇を離す。息継ぎの仕方は今後の課題だ。
大きな深呼吸を挟んだ澄乃は雄一の胸に頬を寄せ、くすくすと耳に心地良い音色で笑う。
「雄くん、顔真っ赤」
「……のぼせたんだよ、色々と」
「鍛え方が違うなんて言ってたくせに」
愛らしいはにかみを見せた澄乃がつんつんと雄一の頬を指で突いた。
「こういうのは例外だっつの。澄乃としかしたことないんだし」
「えへへ、私も。これから先もずーっと……雄くんとだけがいいな」
「ああ、もちろん」
雄一がそう返して頷くと、澄乃は幸せに浸るように柔らかな微笑みを浮かべるのだった。
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