+41話『爆弾サプライズ』

「美味しかったぁー……」


 部屋の座椅子に背中を預ける澄乃が天井の照明を仰ぎ見て呟いた。独り言とも取れるような声量だったが、隣に腰を下ろした雄一は机に突っ伏した体勢で「だな」と応じる。


 目玉の温泉を堪能した後、夕食の準備が整ったことを告げる館内放送を皮切りに雄一と澄乃は食堂へと移動。所定の席に用意されていた品々は、まさに絶品の一言に尽きた。


 旅館のそもそもの立地が山に近いということもあり、夕食の献立は山の幸を中心にしたもので構成。特に記憶に残っているのは山菜の天ぷらで、天つゆではなくわさび塩で頂くという今まで口にしたことのなかった代物だった。


 もちろん味に関しては申し分なし。澄乃に至っては「どうやってこれだけのサクサク感を……」と、雄一とはまた違った角度で舌鼓を打っていた。年末に澄乃が振舞ってくれた海老の天ぷらも負けず劣らずだったと思うが、澄乃にとっては上には上がいるということらしい。


 ひとしきり贅沢な食事を味わい尽くした後、部屋に戻って一休み。食休みを挟んでからもう一度温泉に入ろうというのがこれからの予定だ。


 部屋に備え付けのテレビから流れるバラエティ番組を眺めながら、ゆっくりまったりと時は過ぎていく。


(……んん?)


 その最中、徐々に変化していく澄乃の様子に雄一は眉をひそめた。


 落ち着きを払っていたはずの澄乃の身体が、もじもじそわそわと所在なさげに揺れる。ちらちらと動く瞳は部屋の入口とテレビをやや忙しなく往復し、時折溜まった熱を外に逃がすかのようにため息もつく。


 失礼な例え方をするならば、まるでトイレを我慢しているかのような落ち着きのなさ。だが当然部屋にはトイレも用意されているので、わざわざ我慢する理由なんて微塵もありはしない。


 ――とするならば。


「なぁ澄乃」


 視線はテレビに向けたまま、『昨日なに食べた?』ぐらいの何気ない会話を装って。


「なに?」


「なんか隠してるだろ?」


「っ!?」


 ビクッ、と澄乃の両肩が跳ねた。


「隠してないか?」という疑問ではなく、「隠してるだろ?」という断定。想像以上に敏感な反応を見せた澄乃を雄一が見ると、彼女はささっと視線を逸らして明後日の方向を見た。


 何か隠し事があると見越して直球で尋ねてみたが、どうやらストライクだったらしい。


「なぁ澄乃さんや、何を隠していらっしゃるんで?」


「……べ、別に何も隠してないヨ?」


「よくそれで誤魔化せると思うな……」


 変に語尾が上がったというのに。頬を冷汗が伝っているというのに。世界水泳も真っ青なレベルで目が泳いでいるというのに。


 はてさて一体全体何を隠しているのか。白状させるために雄一が身体を近付けると、それに比例して澄乃は遠ざかる。それならばとほっそりとした腰に手を回して、男の腕力をもって逃げ道を封じる。浴衣越しでも感じる柔らかさと温もりに自分でやっておきながら胸が高鳴ったけれど、拘束は緩めずに藍色の瞳を覗き込んだ。


「澄乃?」


「うっ……うぅ……」


「すーみーのー?」


「うううう……!」


 なかなか白状してくれない。


 雰囲気から察するに、例えば雄一が聞いたら怒るような、そういった不都合な内容を隠しているということはあるまい。どちらかと言うと、必死に掘った落とし穴に勘付かれそうだからなんとか隠し通そうみたいな、そんな感じ。だからこそ余計に気になる。暴きたくなる。


 いっそ脇腹へのくすぐりでも追加してやろうかと思った、その矢先。


 コンコン、と部屋の扉が上品に叩かれた。


 渡りに船と言わんばかりに音に反応した澄乃は、「ちょ、ちょっと出てくるね!」と言って入口の方へと向かう。逃がしたくはなかったけれど、横槍が入った以上はしょうがない。その分後でくすぐり増し増しにでもしてやろうと考えつつ、なんとなく澄乃の背中を目で追ってみた。


 澄乃が開けた横開きの扉の先にいたのは、旅館の仲居。二人の会話が聞こえてくる。


「白取様、お待たせ致しました。ご予約して頂いた『家族風呂』の準備が整いました」


「はい、ありがとうございます」


(……ん?)


 家族風呂――という聞き慣れない言葉に雄一の眉がピクリと動く。


「こちらが浴場の鍵になります。ご利用が終わりましたら、受付の方へご返却ください」


「はい、分かりました」


「では、ごゆっくりどうぞ」


 澄乃にタグの付いた鍵を渡すと、仲居は丁寧な所作で一礼してから扉を閉めた。その直前、一瞬だけ雄一の方へと微笑ましい視線が送られたように思えたのは気のせいだろうか。


「――雄くん」


 和室へ戻ってきた澄乃が雄一の前に座る。


 体勢は正座。背筋もピンと伸ばし、まるでそのまま三つ指でもついてきそうな緊張した雰囲気。


 気付けば澄乃の顔は熟れたりんごのように真っ赤に染まっていて、瑞々しい桜色の唇が次の言葉を紡ぐ。


 とても、とても恥ずかしそうに。


「こ、混浴はいかがでしょうか……?」









「……夢?」


 湯気が立ち込める浴場の中、木製の小さな椅子に座る雄一はぽそっと呟いた。


 かぽーん、とどこからか聞こえたししおどしの音はたぶん自分の頭の中だけで流れた幻聴で、そんな聞こえるはずのない音が聞こえてしまうぐらいの混乱状態に陥っている。


 今の自分の服装、ほぼ全裸。身に付けたものは腰に巻いた一枚のタオルのみ。目の前の鏡に映る自分の姿を二、三度確認した後、今度は周囲へ目を向ける。


 雄一が今いる場所は、この旅館内の『家族風呂』と呼ばれる設備だ。大浴場の浴槽に比べれば当然小さく、けれど大人五人程度が入っても十分くつろげるぐらいの大きさを誇る、長方形のひのき風呂。浴槽内を満たすのは乳白色のにごり湯で、特に美肌効果に優れるとか何とか。


 浴槽のすぐ近くに面した大きな窓は左右に開閉可能。寒い季節なのでとりあえず今は閉じているが、ひとたび開ければ露天風呂としても楽しめることだろう。窓から覗く景色は完全に日が落ちているせいで暗いものの、それを補うように夜空には星々が輝いている。実にロマンチックな光景だ。


 設備自体は『家族風呂』と名付けられているが、何も家族だけが利用できる設備というわけではない。いわゆる貸切風呂というやつで、正規の手順を踏んで予約すれば誰でも利用は可能だ。


 例えばそう――カップル・・・・とかでも。


「……っ」


 改めて現状を再認識したところで、雄一は声にならない叫びを上げた。


 こんなことになるとは。澄乃が何か隠していることは分かったけれど、よもやこんな爆弾イベントを懐に忍ばせているなんて完全に予想外だ。


 そもそもこの旅館に貸切風呂があること自体、雄一にとっては初耳だった。霞に費用の半分を払ってもらう都合上その方が連携も取りやすいだろうということで、旅館の選定や予約は澄乃に主導してもらったのだ。どうせなら事前知識の少ない方が色々と楽しめるかと思い、旅館のホームページも触りぐらいしか見なかったのが仇になった。


 実に見事なサプライズをかましてくれたもんだと、今この場にはいない澄乃へ皮肉混じりの賛辞を送る。


 ――そう、澄乃はまだ、ここにはいない。


『先に入って待ってて……。私も、すぐ行くから……』


 真っ赤な澄乃から蚊の鳴くような声でそう言われ、先に脱衣所で着替えた雄一は一足早く浴室で待機。雄一がいなくなってから澄乃は脱衣所に入ったので、まだ着替えている最中だ。


 いけないと理解しつつも、知らず知らずのうちに背後の脱衣所の方へと視線が向いてしまう。


 浴室と脱衣所を隔てるのは一枚の磨りガラスのドア。澄乃の姿はぼんやりとした輪郭でしか捉えられないが、その断片的な情報でも刺激は十分だった。もぞもぞと動くたびに肌色の面積が徐々に増えていき、それが雄一の期待と興奮を否応なしに増長させていく。


 気力を振り絞って視線を脱衣所から引き剥がし、深呼吸を一回。


 もうすぐ、ここに、来る。


 一糸纏わぬ、生まれたままの姿の澄乃こいびとが。


 いやいやそりゃもちろんタオルぐらいは巻いてくるに決まっているがたった一枚の布地の防御力なんてたかが知れているわけでそもそも澄乃はただでさえ立派なものを持っているんだから余計に隠し切れるかどうかなんて怪しいわけでああもうくそ何だか頭が茹だってきて来るなら来いさあ来い早く来い嘘やっぱりもうちょっと心の準備がががががが。


 ――背後でドアの軋む音がした。

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