+38話『寒い時期にこそうってつけな場所』

 雄一の実家に帰省してから数日。冬休みの残りは早くも一週間を切り、もうしばらくすれば高校二年生の三学期が始まる。優等生の澄乃はもちろん、彼女のおかげで勤勉さに磨きがかかった雄一もすでに冬休みの課題は終えているので、比較的ゆったりとした気持ちで新学期に臨むことができそうだ。


 そんな風に落ち着いた日々を過ごしていた、ある日のこと。


『おおー!』


 雄一と澄乃の二人は、一泊二日の日程でとある温泉旅館を訪れていた。


 感嘆の声を上げた二人が見上げる先に佇むのは、古き良き雰囲気の木造の温泉旅館。古きといっても老朽化が進んでいるわけではなく、定期的なメンテナンスや日頃からの清掃の甲斐あって万全の状態に保たれているとのことだ(ホームページからの情報)。


 ともすれば宿泊場所としてはいささか金額も高く、およそ高校生の学生旅行で利用するには二の足を踏んでしまう。なのに今回二人がこの旅館を選んだのには、それ相応の理由があった。


「今さら言うのも何だけどさ……本当に良かったのか? 旅館の代金、霞さんに半分も出してもらって」


 旅館の外観をしげしげと眺めながら、雄一は呟く。


 何を隠そう、今回の宿泊費の半分は澄乃の母――霞が負担してくれることになっているのだ。澄乃との外泊を許可してくれるだけでなく、その後押しまでしてくれるとは。ありがたい反面、さすがに恐縮してしまうのが雄一の本音だった。


「私も言ったんだけどねぇ……。お母さんに旅行の話したら、『お金なら私が出すから二人で良いところに泊まってきなさい』って」


 微笑みながらも困ったように眉尻を下げる澄乃。


 元々温泉旅行自体は二人で計画していたことだ。だが数日前の帰省と違い、今回は完全に二人きりの遠出になる。大事な一人娘である澄乃を連れ出すわけなので、さすがに一度話を通した方がいいだろうと判断して連絡してみれば……予想外にこうなった次第である。当初は全額負担する勢いだったのを、何とか宥めて折半にまで抑えたぐらいだ。


 ちなみに雄一も自分の家族に話を通したのだが、二つ返事でOKを貰えた。いいのかそれで。いやありがたいけども。


「年末年始はお母さんの都合で会えなかったから、その分楽しんできて欲しいんだってさ。あと、雄くんにも何かお礼したかったかららしいよ?」


「そんなん気にしなくていいのに……」


 澄乃と霞のすれ違いの一件に関しては、雄一が進んで首を突っ込んだのだ。感謝の言葉ならもう何度も頂いてるし、二人が仲睦まじい親子として現在いまを歩めるのならそれで満足だというのに。


 この子にしてこの親あり。澄乃の母親らしい義理堅い性格だ。


 まぁ、それならそれで存分に満喫させてもらおう。そもそも恋人と立派な温泉旅館で宿泊――テンションが上がらないわけがない。


「行くか」


「うんっ」


 荷物を担ぎ直し、雄一は澄乃の手を取る。恋人繋ぎで嬉しそうに握り返してくる澄乃がいつも以上に可愛らしく、そんな相手と楽しむ旅行に期待を高めながら、雄一たちは旅館へと足を踏み入れた。











 チェックインを終え、ひとまず部屋に荷物を置いた二人。泊まることになった客室は旅館の立派な外観に相応しいものであり、広縁から見渡せる景色も絶景である。唯一残念な点を挙げるとすれば、この部屋には浴槽が無く、シャワー室だけというところだろう。無論、旅館自体には露天風呂付きの客室も存在しているのだが、生憎とすでに予約が一杯だった。


 ついでに館内の温泉も普通に男女別。混浴ができる場所を探すというのも一応選択肢にはあったが、一緒に入るならやはり澄乃と二人だけが望ましい。澄乃の艶やかな入浴姿はまず間違いなく異性の注目を集めるので、恋人目線でははっきり言って面白くない。澄乃の一糸纏わぬ姿など、雄一ですら未だお目にかかったことがないのだから。後にも先にも、それは自分だけの特権であってほしい。


 とにもかくにも、澄乃と肩を並べて温泉に浸かるという胸が躍るようなイベントは、今回はお預けである。……まぁ、胸が踊るどころの騒ぎでないことは容易に予想できるので、少し安心したと言えなくもないのだが。


 部屋に備え付けのお茶とお茶菓子で一服した後、少し旅館内を散策してみることに。その道中、とある場所に差しかかったところで澄乃が目を輝かせた。


「雄くん、あれあれ! 足湯があるよ!」


 澄乃がぴんと指差した先には、館内の一角に設置された足湯の設備。宿泊客なら無料で利用できるらしく、すでに年配の利用客が数人いる。誰も彼も穏やかに表情を緩めているあたり、リラックス効果にはかなり期待できそうだ。


 待ち切れない様子の澄乃を連れて、空いていたスペースに座り込む。手早く靴下を脱いだ雄一と違い、やや困ったように眉根を寄せた澄乃は雄一の耳元に口を寄せた。


「ごめん雄くん、ちょっと壁になってもらってもいい?」


「え? ……ああ、そういうことか。了解」


 澄乃は今、スカートの下に黒のストッキングを履いている状態なので、周囲の目がある状況で脱ぐには多少なりとも警戒した方がいいだろう。雄一としても大事な恋人が邪な目で見られるのは断固阻止したいので、澄乃の要望通り、壁と自分の背中で彼女を挟んで周囲の視線を遮った。


 もちろん雄一だって目は逸らす。わずかな衣擦れの音が聞こえた後、問題なくストッキングを脱いだ澄乃と一緒に両足の脛までを足湯に沈めた。


「あー……これ、すごく良い……」


「同感……」


 足から伝わり、徐々に全身に沁み渡ってくるお湯の温かさ。少し熱めのお湯が足回りの筋肉を解し、ここに来るまでの間に蓄積されていた疲労がお湯に溶けて消えていくようだった。


 身体全体の半分にも満たない足だけで、この気持ち良さだ。この後の温泉への期待も否応なしに高まるというものである。


 ――それにしても。


「ふぁー……」


 目を閉じて、心地良さに頬を弛ませる澄乃。気付けば雄一の視線は、そんな彼女の太ももに吸い寄せられていた。


 澄乃は日頃からストッキングを着用することが多く、今みたいな冬の時期なら尚更その頻度は高い。それ故になかなか拝めない真っ白な生足が、現在進行形で雄一の目の前に晒されている。


 スカートの裾から伸びる澄乃の両足はすらりと細く、それでいて情欲を誘う肉付きの良さも兼ね備えていた。今さらうだうだ言っても遅いのは分かっているが、今回は見送ることになった澄乃との混浴が途端に惜しくなってくる。


 非常に残念。後ろに上半身を反らして天井を仰ぎ見た雄一は、リラックスしたていを装ってそっとため息を零した。


「…………」


 そんな雄一を薄く開いた片目で盗み見る澄乃。藍色の瞳の奥に微かに悪戯心が垣間見えていることを、雄一は気付く由も無かった。

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