+37話『最後の爆弾』

「うぇー……澄乃さん、もう帰っちゃうんですねー……」


 帰省三日目の昼前、駅の改札前で優衣はしょぼーんとした様子を隠そうともせずに呟いた。そんな優衣に近付いて「まぁまぁ」と頭を撫でる澄乃の姿が、妙に様になっている。この二、三日ですっかり姉らしい態度が板に付いたようだ。


 二泊三日の予定を終え、雄一と澄乃は今の自宅に帰ることに。特に問題もなく当初の予定通りだというのに、なおも優衣は名残惜しそうに澄乃に抱き着いている。仲が良いのは大変良いことなのだが、ちょっと自分の特権が奪われたみたいで複雑な心境の雄一であった。


「また遊びに来てくださいね?」


「うん、もちろん。優衣ちゃんも受験頑張って!」


「はい! なんたって澄乃さんからはお守りを頂きましたからね。もう何も怖くないです!」


 胸を張ってそんな台詞を唱えた優衣の手には、昨日プレゼントされた朱色の学業成就のお守りが握られている。


「おーい、それ、一応俺からでもあるんだけど」


「えー……大凶お兄ちゃんからだと、なんかこう、余計な不運呼び込みそう」


「よし、よく言った。帰りがけにお清めしてきてやるからすぐ返せこの恩知らず」


「わー! 澄乃さん助けてっ!」


 俊敏な動きで澄乃を盾にする優衣。二人に挟まれた澄乃は楽しそうに笑いながらも、少したしなめるように優衣へ向けて人差し指を立てた。


「こら優衣ちゃん、あんまりそういうこと言っちゃダメだよ? そもそもそのお守りだって、最初に買おうとしたのは雄くんなんだから」


「む、そうだったんですか……。なら仕方ない。澄乃さんに免じて感謝してあげるよ」


「もうちょい素直に感謝できねぇのかお前は……」


 昔以上に生意気になってきた妹に、思わず重苦しいため息が零れてしまう。


「……あの、そういうガチっぽいため息やめてくれない? 意外と心にグサッとくるから」


「俺にあれだけ言っといてか。マジめんどくせぇなこいつ……」


「ひどくないっ!? 今の直球はさすがにひどくないですか澄乃さんっ!?」


「はいはい、二人とも仲良くね」


 とりあえずぎゃ―ぎゃーと騒ぐ優衣は澄乃に任せ、雄一は今までの成り行きを微笑ましそうに眺めていた両親へと向き直る。


「雄一、くれぐれも身体に気を付けてな」


「そっちも気を付けて。特に父さん、酒はほどほどに」


 晴信の出っ張った腹に握り拳を軽く当てると、横の桜子は「そうそう」と同調するように頷いた。


「もっと言ってやって頂戴。一昨日だってこの人、お高いウイスキー空けたんだから」


「でも酒癖は母さんの方が悪かったような……」


「お黙り」


 以前見たことがある光景を思い返しながら呟くと、桜子から鋭い目付きで睨まれてしまう。下手に反論しても火に油を注ぎそうなので、ここは大人しく引き下がるのが吉だろう。


「雄くん」


 優衣をなだめ終わった澄乃からの呼びかけ。そろそろ新幹線もやって来る頃合いだろう。


「じゃあ、そろそろ行くよ」


「ああ。何かあったら連絡するんだぞ? できるかぎり力になるから」


「澄乃さんも、お兄ちゃんとケンカしたら言ってくださいね。お兄ちゃんの弱みならいっくらでも教えますから」


「あはは、ありがとう……」


「マジでやめろ」


 一昨日の深夜の澄乃の口振りから察するに、すでに雄一の恥ずかしい過去はいくつか晒されているはずだ。これ以上、兄の心に余計なダメージを与えないで欲しい。


 渇いた笑いを浮かべながら手を振る澄乃を連れて、雄一は駅の改札を通り抜ける。お互いの姿が見えなくなる最後の一瞬まで見送る三人は手を振り続け、雄一たちもまた、満足した笑顔で手を振り返すのだった。











 もうまもなく到着する新幹線を待つ最中、駅のホームに設置された椅子に座った澄乃は緩く息を吐いた。最終的に結果は上々だったが、やはりいきなりの実家訪問は色々と疲れたのだろう。そんな澄乃の頭を労わるように撫でると、彼女はへにゃりと眉尻を下げて微笑んだ。


「ありがとな、付き合ってもらって」


「ううん。私にとっても良い機会だったから、ちょうど良かったよ。皆良い人だったし、優衣ちゃんとは連絡先も交換しちゃったし」


 朗らかに笑う澄乃がメッセージアプリを立ち上げる。友達一覧の最上段には『英河優衣』の名前と猫のイラストのアイコンが表示されていた。雄一の弱みを晒すことに使われないことを祈るばかりだ。


 と、優衣の名前の横に新着メッセージの表示が現れる。それと同時に雄一のポケットに入れていたスマホも震え、取り出してみると澄乃と同様に優衣からのメッセージが来ていた。


『忘れ物』


 トーク画面を開いてみると、そんな一文が表示される。はて、澄乃と一緒に念入りにチェックは重ねたから、忘れ物など無いはずだが……?


 内心で首を傾げていると、今度は一枚の写真が送られてくる。そしてそれを見た瞬間、雄一は思わず目を見開いて画面を覗き込んでしまった。


 何故ならその写真は、昨日の朝の光景――布団の上で、雄一が澄乃の胸に顔を埋めている様子を激写した一枚だったからだ。


(何でこれが……!?)


 驚愕で思考が凍りつくのも束の間、畳みかけるように雄一のスマホに優衣からの着信が入る。


『やっほーお兄ちゃん。どうどう、驚いた?』


「おまっ、この写真……っ!?」


『いやー、朝起きたら澄乃さんがいないからあれーって思ったら……まさかお兄ちゃんと一緒に寝てるとはねぇ』


「何でだ!? お前、俺たちが起きた時はまだ寝てて……!?」


『あー、昨日は二度寝したし』


「はぁっ!?」


 明かされてみれば何てことはなかった。ニタァ、と口の端を吊り上げていることが電話越しでもありありと想像できるぐらい、優衣の声音はからかいの色に満ちている。


 マズい、この分だと妹は決定的によからぬことを想像しているはずだ。


「おい優衣、落ち着いてよく聞けよ。お前は間違いなく勘違いしてる」


『えー、勘違い? いったい何のことかなぁ?』


「いいかよく聞け! 俺と澄乃は、あくまで、一緒の布団で寝てただけだ。お前が考えてるようなことは一切してないからな!」


『あははっ、心配しなくてもそんな勘違いしてないよー。お父さんとお母さんも、見た感じそんなんじゃなさそうって言ってたし』


「二人にも見せたのかお前ッ!?」


 度重なる暴露に雄一は絶叫する。とどのつまり、隠し通せたと思った昨朝の一件はとっくに知られていたわけである。最悪だ。


『まぁまぁ、これも良い思い出ってことで。ラブラブでいいじゃん』


「優衣、お前な……っ!」


『じゃあ、あたし勉強するから。受験生の邪魔しないでねー』


「ちょっと待っ――!」


 雄一の叫びは届かず、優衣との通話は瞬く間に切られた。


 勉強なんて嘘に決まっている。時間的にまだ帰りの車の中だろうし、単語帳とかその類のものも持っていない完全な手ぶらだった。


 自分たちの油断が招いたこととはいえ、せめて一言ぐらい言ってやらないと腹の虫が治まらず、雄一はもう一度優衣に電話をかけようとする。


 ――そこで、気付く。すぐ横からの強い視線に。


 恐る恐るそちらへ顔を向けてみると、そこには頬を真っ赤に染めてぷるぷると震える澄乃が。恥ずかしさから身を守るように自身の身体を抱き締めていて、両腕に押し潰されて形を変える大きな膨らみに、こんな状況でありながらも雄一の視線は一瞬奪われる。そしてその一瞬の動きを敏感に感じ取った澄乃は、より一層羞恥の色を濃くした。


「雄くん……いつの間に、こんな……っ」


 その声音に嫌悪が無いことは何となく分かったけれど、だからといって良いわけでもなくて。


「違う! 無意識だ! 寝てる内にたまたまこうなってただけで――!」


 結局雄一の弁解は、新幹線に乗り込んだ後もしばらく続いた。

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