+34話『刺激的な朝』
(……ん?)
まどろみに包まれたような曖昧な意識の中、布団の上で薄く目を開く雄一。意識同様、目を開いても視界は
枕とは違ったほど良い柔らかさに、どこか落ち着けてしまう温かさ。何となく少しだけ頭を動かしてみると、ふにゅふにゅとした弾力が両頬に返ってきて、おまけに花のような甘い香りまでもが届いてくる。
そのままその香りを吸い込んで、ほっと一息。少し息苦しくもあるが、不思議と離れる気にはならなかった。
(……何だこれ)
“何か”の正体が未だに掴めない。けれど寝起きの緩慢な頭脳は早々にその答えに見切りをつけ、活動をストップ。代わりに働き始めた無意識に導かれるまま、雄一はさらにその“何か”に顔を埋めた。
やっぱり、柔らかくてあったかい。こうしているだけで、またすぐに夢の世界に落ちていけそうだ。
あっけなく魅了されてしまってその感触や匂いを堪能していると、雄一の耳が微かな音を捉えた。
鼻先辺りから聴こえてくる、トクン、トクンと一定のリズムを奏でる小さな音。例えるなら、そう、人間の心臓の鼓動のような――
(……んん?)
少しだけ思考の靄が晴れる。
……待て。これは何だ。自分は今、いったい何に顔を埋めている? これは果たして、このまま味わい続けていいものなのか?
何故か急激に背徳感が湧き上がってきて、とにもかくにも一度離れるために首から上を動かそうとする雄一。その矢先に、今度は別の音が聴こえた。
「――んにゅう」
頭の上から聴こえてきたのは、甘ったるい響きをたっぷりと染み込ませた少女の声。それが誰のものか――自分が今、何に顔を押し付けていたかに思い当たった雄一は、持てうる力を総動員して勢いよく身体を起こした。
「――っ!」
眼下に広がる光景に思わず息が詰まる。何故ならそこには、雄一の最愛の少女のあまりにも刺激的な姿が転がっていたからだ。
カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされて、一枚の名画のように思える愛らしい澄乃の寝顔。シーツの上で緩やかに広がる美しい銀髪。くぅくぅと規則正しい寝息に合わせて上下する、形の良い二つの膨らみ。
しかも何が原因なのかは知らないが、澄乃のルームウェアのボタンが中途半端な位置まで外れていて、無防備な胸元が惜しげもなく晒されている。二つの丘が作り出す深い溝を見て、雄一の喉がごくりと音を立てた。
(俺は……今まで……!?)
もはや疑いようはない。雄一は先ほどまで、澄乃の胸の谷間に顔を埋めていた。それどころか感触を味わったり匂いを嗅いだり、かなり好き放題していた。
その事実を認識した途端、火が出るほどに顔が熱を帯び、思わず両手で顔を覆ってしまう。寝惚けてやってしまった行動とはいえ、相手の寝込みに手を――正確には顔だが――出してしまうなんて言語道断だ。
不幸中の幸い――もとい幸福中の幸いなのは、澄乃に気付かれていないということだろう。すぐそばで雄一が動いても特に目覚める様子は無く、引き続きあどけない寝顔を浮かべている。指の隙間からその寝顔を眺め、それからまた下の方に視線が向かいそうになったところで、雄一はぶんぶんと顔を振った。澄乃にはそっと布団をかけておく。
とにかくこの件はこれでお終いだ。自分の胸の内に留めておけば、それで――
(ちょっと待て)
問題無し、と締め括ろうとしたところで、雄一の背筋に冷たい汗が流れる。
……そもそも、何故澄乃がここにいる? 確か優衣の部屋で寝るはずだったのでは?
昨夜の出来事を順番に思い返してみる。
優衣の部屋の前で「おやすみ」と言って別れ、しばらく寝付けなくて、そしたら澄乃が訪ねてきて、一緒に布団に入って、話している内に眠くなってきて、そのまま……。
「……やっば」
そう一言漏らしたところで、雄一は急いで充電ケーブルに繋がれたスマホに手を伸ばす。
現在時刻、午前九時ちょっと前。寝過ごしたというほどではないが、特別早くもない。澄乃と同じ布団で寝ていることを家族に見られたどうかは、可能性としては半々だ。というか現状を目撃されるだけでも割とマズい。あらぬ誤解をされてしまう。
気持ち良く熟睡しているところ大変申し訳ないのだが、澄乃には早く起きてもらおう。
「澄乃、起きろ」
周りに響かないように声を潜め、代わりに澄乃の頬をぺちぺちと叩く。もちもちかつ張りのある素肌は、こうして触れるだけでも心地良い――じゃなくて。
「起きろって」
なかなか目覚めそうにないので、今度は頬を指でつまんで痛くしない程度に引っ張ってみる。さすがに刺激が許容量を超えたのか、透き通った藍色の目がゆっくりと開かれた。
「……んー?」
「おはよう澄乃。悪いけど起きてくれ」
「……んー」
「澄乃さん?」
「…………おやすみぃ」
「起きろ」
「んえっ」
寝起きでゆるゆるな澄乃はいつまでも眺めていたくなるほど可愛らしいが、今日ばかりはそうも言っていられない。少し力を強めて頬を引っ張ると、変な声を上げた澄乃が大きく身じろぎをした。
「あれ、雄くん……? 起こしに来てくれたの……?」
「いやいや、そもそもここ俺の部屋だから」
「えー……? でも昨日は私、優衣ちゃんの部屋で――」
首を傾げた澄乃が周囲を見回し、それから自分が今寝そべっている場所を確認し――ぴょいんと音を立てそうなぐらいに飛び起きた。
「うぇぇええっ!? 私いつの間に、っていうかもう朝……っ!?」
「落ち着け澄乃」
目に見えて慌てふためく澄乃の唇に指を当てる。動作に込めた「静かに」という意図は伝わったらしく、呼吸を落ち着けた澄乃は恐る恐る雄一を見上げた。
「ひょっとして……誰かに見られた……?」
「それをこれから確認しにいく。隠密行動、オーケー?」
「ら、らじゃー……」
頷き合い、静かに布団から起き上がった二人は扉へ近付く。雄一を先頭にして廊下へ出ると、まずは階段から一階の方に聞き耳を立ててみた。
両親は起きると、まずテレビのニュース番組を見る習慣がある。少なくともその類の音声は聴こえてこないし、他の生活音も同様。昨夜は酒も嗜んでいたし、両親はまだ寝ているとみて間違いないだろう。
第一目標クリア。澄乃へ向けて、人差し指と親指で丸を作ってみせる。
ほっと息をつくのも束の間、今度は澄乃を先頭にして優衣の部屋へと向かう。妹と言えど年頃の少女の部屋に無断で入るのは気が引けるので、ここの確認は澄乃にやってもらう。
澄乃はできるだけ音を立てないように優衣の部屋の扉を開けると、そーっと中を覗き込んだ。
「……どうだ?」
「……大丈夫、かな? うん、まだ寝てるみたい」
「よーし」
第二目標クリア。どうやら、澄乃と一緒に寝ている場面が家族の目に触れるという事態は回避できたようだ。
「とりあえず……一安心でいいのかな?」
「そうだな。あとは……」
「あとは?」
「……ここ、そろそろ直してくれ」
雄一は自分の首の下辺りをトントンと叩いた。正直眼福ではあるのだが、さすがにそろそろ隠してくれないと目のやり場に困る。
「――ひぅ」
小さな悲鳴を上げて、がばっと胸元を両手で隠す澄乃。それから顔中を真っ赤に染めた澄乃は、涙目で雄一をじーっと睨んだ。
「……雄くんのえっち」
「えぇ……」
わざわざ教えてあげたのに、あんまりな言い草である。
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