+33話『眠れない夜に』
新年を迎えた後、酒を片手に大人の時間を始めた両親をリビングに残し、雄一たち未成年組は床につくことにした。
当初の予定では、澄乃は雄一と同じ部屋(布団は別)で寝るはずだったのだが――
「それじゃ、澄乃さんはお借りしまーす」
『YUI's Room』というプレートがかかった部屋の前で、優衣は澄乃の腕に恋人のように抱き着いていた。
優衣の言葉から分かる通り、澄乃が今夜寝る場所は雄一の部屋でなく、優衣の部屋に変更となった。何でもガールズトークがかなり盛り上がったらしく、まだまだ話し足りないからということらしい。
「何だかごめんね、雄くん」
「気にすんな。まぁ、あんまり夜更かしはしないようにな」
何とも言えない曖昧な笑みを浮かべる澄乃に手を振ると、雄一は「おやすみ」と言い残して自分の部屋へ向かう。恋人が取られたみたいで少し口惜しくはあるが、状況としてはこっちの方がよっぽど健全だ。澄乃も優衣に懐かれて満更でもなさそうなので、ここは潔く自分が身を引こう。
自分の部屋に入って、一つため息を零す。すでに澄乃の分の布団は移動してあるので、室内には雄一の分の布団と、壁際に何個かの段ボール箱が積まれているだけ。普段は使われない分生活感の無い室内が、雄一に物寂しさを感じさせた。
――いや、自分が寂しさを感じているのはたぶんそこじゃない。
誤魔化すようにもう一度ため息をついてから、布団に潜り込む。娯楽なんてスマホ程度しか無いので早々に寝ようと目を閉じてみるのだが、一向に睡魔が訪れる気配は無かった。代わりに胸の内に訪れるのは、ぽっかりと空いた穴に吹き込むような冷たい風。
――やっぱり自分は、澄乃が隣にいないことを寂しいと思ってしまっている。
「何だかなぁ……」
ひとりごちて、寝返りを打つ。
ぬいぐるみを抱かないと眠れない幼女でもあるまいに、なに女々しいことを考えているのか。
いつもは一人で眠れる。なのに今夜に限って寝付けないのは……恐らく“落差”のせいだろう。
澄乃が同じ部屋で寝ると知った時、正直色々と期待してしまった。布団こそ別々でも、例えば手を繋ぐぐらいとか、軽く唇を触れ合わせるぐらいとか、端的に言えば恋人同士のイチャイチャを。それが急にお預けされたような気がして、物足りなさを感じているのだ。
澄乃と自分の家族が仲良くなれることを望んでいたのに、いざそうなると自分にも構って欲しいなんて思ってしまう。随分とわがままな自分自身にほとほと呆れ返る。
かといって今から澄乃を連れ戻すわけにもいかないので、ここは我慢するしかあるまい。どうせ一夜の辛抱。寝付きさえすればすぐに終わる。
それは分かっているのに。
「眠れねぇ……」
なかなかどうして、一人ぼっちの寂しさは睡魔をどこかへ追いやってしまったようだ。
「……ん?」
コンコン、と小さなノックの音が聞こえたのは、気晴らしにスマホで視聴していた動画の二本目が終わった時だった。空耳かと思いつつもイヤホンを外してみると、少し間を置いてから再びコンコンと扉が叩かれる。
「雄くん、まだ起きてる?」
「澄乃?」
扉の向こうから聞こえたのは、聞き慣れた軽やかな声。布団から這い出て扉を開けると、そこには予想通り澄乃の姿があった。雄一を見上げて嬉しそうに表情を柔らかくさせる澄乃に、ほわりと胸が温かくなる。
「ごめん、もしかして起こしちゃったかな……?」
「いや、なかなか眠れなくて困ってたぐらいだ。そっちこそどうした? 優衣と話してたんだろ?」
「もう寝ちゃった。そこら辺はまだ中学生って感じだよね」
ふふっ、と口許に手を当てて可笑しそうにする澄乃。何だかすごく姉っぽい微笑みだ。
手にしたままのスマホを見てみれば、時刻は午前二時に差し掛かろうとしている。優衣は言わずもがな、澄乃にしてももう寝ている頃合いだと思うが。
「澄乃は寝ないのか?」
「んー……そのつもりだったんだけど、ちょっと雄くんのことが気になって」
「どうして?」
「だって雄くん、さっきおやすみって言った時、何だかさみしそうだったから」
見事に見抜かれていたらしい。顔に出したつもりはなかったというのに、恐るべき洞察力だ。
「よく気付くなぁ……」
「ふふふ、伊達に雄くんの彼女やってないもん」
何とも嬉しいことを言ってくれる彼女だ。
柔らかく笑った澄乃は「ちょっとお話ししない?」と言って部屋に入る。招き入れたはいいものの、暖房は最低限にしか動かしていなかったので着の身着のままで会話するには些か寒い。となると、必然的に落ち着く場所は一つしかなかった。
「ふぁー……ぬくぬくだぁー……」
雄一と共に一つの布団に潜り込んだ澄乃は、とても満足そうに吐息を漏らした。ついでに何か期待するように上目遣いを向けてくるので、その意図を読み取って腕枕を献上してみれば、澄乃はいそいそとその上に頭を乗せる。
より一層近付いた距離に、思わず口許が緩んでしまう。
「眠くなったら優衣の部屋戻れよ?」
一応、澄乃は今夜、優衣の部屋で寝ることになっている。なのにわざわざこっちまで来て、なおかつ同じ布団で寝ている場面を見られたらさすがに恥ずかしい。その辺りは澄乃も同意見らしく、雄一の言葉に「うん」と頷いた。
「でも、眠くなるまではこうしてていいでしょ?」
「もちろん。ぜひ頼む」
何しろ雄一のために、こうしてこっそり会いに来てくれたのだ。せっかくの厚意には存分に甘えたいし、逆に甘えても欲しい。とりあえず空いていた手で澄乃の頭を撫でると、しっかり手入れの行き届いた髪のサラサラとした手触りが伝わってくる。そのまま長い髪を梳くように指を滑らせれば、澄乃は心地良さそうに目を細めた。
髪は女の命、という言葉がある通り、女性にとってはとても大切なものだ。特に澄乃のように長く綺麗なものなら尚更だろう。だからこそ、それを好きに触らせてくれることが――それだけ心を許してくれることがたまらなく嬉しい。
「今日はどうだった?」
髪を梳くのは続けたまま、雄一はぽつりと尋ねた。
「どうって?」
「何かこう……総合的に? ほら、ウチの家族の印象とか」
雄一の曖昧な物言いに「何それ」と小さく笑った澄乃は、少し考え込むように眉根を寄せる。
「んー……さすがは雄くんの家族って感じ?」
「どういう意味だそれ」
「皆良い人ってこと」
澄乃の細い人差し指で、ちょんと鼻の頭を
「特に優衣ちゃんとはすぐに仲良くなれたし」
「かなり盛り上がってたしな。……ちなみに、さっきまでは何を話してたんだ?」
「色々、かな? ふふっ、雄くんの小さい頃の話いーっぱい聞いちゃった」
「勘弁してくれ……」
一体何を聞かされたのか。一瞬確認しようと思ったが、また自分でも覚えていないパンドラの箱を開けてしまいそうな気がしたのでスルーすることにした。世の中、知らない方が幸せなこともきっとある。
「まぁ、話すのはいいんだけどさ……あんまり恥ずかしいことまで言わないでくれよ?」
「恥ずかしいことって?」
「それはほら……キスした時のこととか」
「ふふっ、さすがに言わないよ。私だって恥ずかしいし。それに――」
そこで言葉を区切った澄乃が、からかうような笑みを口許に浮かべる。
「そういう時の雄くんは……私だけの思い出だもん」
間近で囁かれた言葉が、甘い吐息に乗って雄一に届く。身体の奥底から急激に澄乃への愛おしさが込み上げてきて、衝動に突き動かされるまま、
自分の唇で澄乃の上唇を挟み、ふにふにとした柔らかい感触を味わってから、下唇も同じように。最後に唇全体をゆったり重ね合わせてから距離を置くと、藍色の瞳は蜜がこぼれ落ちてきそうなまでにとろんとしていた。
「えへへ、また思い出が増えちゃった……」
頬を鮮やかな薔薇色に染めた澄乃は、雄一の首元に顔を寄せる。その動きを迎え入れるように澄乃を抱き寄せると、シャンプーの良い香りが雄一の鼻に届いた。
気付けば心地良い眠気が到来していて、雄一の口から欠伸が漏れる。
「眠くなってきちゃった?」
「……ああ。澄乃は?」
「私もかな。でも……」
「ああ。もうちょっと……こうしてるか」
「うん、もうちょっとだけ……」
例えば、あと五分ぐらい。
そんな朝の決まり文句を唱えながら、雄一はゆっくりと目を閉じた。
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