+28話『おいでませ英河家』

 晴信の運転する車に揺られること約十分。辿り着いた閑静な住宅街の中に雄一の実家はあった。


 車から下りて、賃貸の一軒家を何となく見上げる雄一。普通なら久方ぶりの実家に想いを馳せるところだろうけれど、生憎と雄一の中にはそんな感慨にも似た気持ちは存在しなかった。


 何せこの家が『英河家』になったのは約一年半前、父親の転勤に伴って住むことになった物件だ。雄一がこの家に足を踏み入れたのは、去年の年末と今年の春休み。回数にすればわずか二度で、日数に換算しても一週間にすら満たない。実家というにはまだまだ慣れないのが正直な感想だ。


 まあ、だから何だという話なのだが。


 最後の大掃除として車の洗車に取り掛かるという晴信を残し、澄乃と共に玄関へ。車中で晴信を交えて会話したおかげか、澄乃の緊張もそれなりに治まってきている。横目で澄乃の深呼吸が終わるのを見届けてから、雄一は玄関の扉を開いた。


「ただいまー」


「おかえりなさーい」


 車の音で気付いたのだろう。雄一の言葉に対しリビングの方から素早い返事が来て、そのすぐ後にパタパタとスリッパの音を立てて一人の女性が姿を現した。


 雄一の母――英河桜子さくらこ。女性にしては比較的身長が高く、背筋もピンとした佇まい。顔立ちも含めて年齢の割には若々しい印象を感じさせる。


 そんな彼女は雄一の姿を見て顔を綻ばせると、すぐに雄一の後ろに控える澄乃を見てにんまりと口の端を吊り上げた。


 あらあらまあまあ。


 口に出さなくても、そんな言葉が聞こえてきそうな表情だ。


「母の桜子です。あなたが雄一の恋人さん、でいいのよね?」


「はいっ。どうも初めまして、息子さんとお付き合いさせて頂いてます白取澄乃です。本日はお招き頂きありがとうございます」


 多少は身を固くしつつも、晴信の時よりは落ち着いた口調で頭を下げる澄乃。そんな丁寧な挨拶を受けた桜子は、さらに『あらまあ』要素を強めた笑顔を浮かべる。余談ではあるが、頬に手を添える姿は姿勢も相まってとても様になっている。


「しっかりした娘さんだこと。まさかこんな可愛いコが来てくれるなんて、お母さんびっくりしちゃったわ!」


「きょ、恐縮です……」


「あらあら、縮こまっちゃうところも可愛らしいわね。玄関で立ち話もなんだし、さっそく上がって。二人ともゆっくりしてちょうだい」


 桜子の言葉に従う中、一足先に靴を脱いだ雄一の耳元に桜子が口を寄せる。 


「ちょっと雄一、こんなイイトコのお嬢様みたいなコとお付き合いだなんて、あなたどんな手品使ったの?」


「手品ってなんだ手品って」


 もちろん冗談なのは分かっているが、まるで澄乃と付き合っていることが驚愕の事実みたいに扱われるのはちょっと癪に障る。


 ……いや、まあ、仮に一年前の自分に『最近転校してきた話題の美少女、将来のお前の彼女だぞ』と伝えても、『んな都合の良いことあるわけないだろ』と鼻で笑ったことだろうけど。


 とにもかくにも、桜子のお気に召したのなら何よりだ。


「とりあえず荷物置いてらっしゃい。いつもの部屋を準備してあるから」


「へいへい」


 向かう先は二階の雄一の部屋(仮)。もしも雄一がこっちに住むことになった時のために用意してある部屋で、一人暮らしの住まいに持っていかなかった私物等はここに保管してある。普段は物置みたいなものだが、ある程度の整理整頓と掃除をすれば二泊程度は十分可能だ。


「あれ、そういえば澄乃はどの部屋を使えばいいんだ?」


「え、あなたと同じ部屋でいいでしょう?」


 階段の途中でふと浮かんだ疑問を口にすると、小首を傾げた桜子はさも当然のようにそう返した。


「いいでしょうって、逆にいいのかよ……」


 年頃の男女を同じ部屋で寝泊まりさせるなど、親としては見過ごしていいのだろうか。すでに何度か澄乃と夜を共にしてる身ではあるが、第三者の目があるかどうかではまた別問題だ。


「彼氏彼女の関係なんだし別にいいわよ。布団はちゃんと二組用意するし、無責任な行為をしでかすような育て方をあなたにした覚えはないわ。澄乃ちゃんだってきっとその辺りは弁えているでしょう? あ、でも意外と大胆だったりするのかしら」


「そ、そんなことないですっ!? 私は至って普通で……! だよね、雄くん?」


「…………そうだな」


「その間は何っ!?」


 大胆、とまで言えるものかどうかは分からないが、時折澄乃が覗かせる小悪魔な一面を知っている身としては即座に首を縦に触ることはできなかった。


 二人のやり取りは見た桜子は口許に手を添えてクスクスと笑う。


「へえ……雄一ったら、澄乃ちゃんからは“雄くん”なんて呼ばれてるのね。仲が良くて何よりだわ」


 楽しそうにそれだけ言い残すと、桜子はリビングの方へと姿を消した。話の続きは荷物を置いてからということだろう。


 何やら言いたげな澄乃を宥めつつ、二階の割り当てられた部屋へ。荷物を下ろして上着をハンガーにかけると、ようやく人心地つけたような気になる。


 それからトイレの場所など簡単な間取りの説明を澄乃にしていたところで、とある物体が雄一の目に留まった。


 一つの部屋の扉に掛けられた『YUI's Room』という木製のプレート。


「そういえば妹さんは?」


 雄一の視線を辿った先で澄乃も同じことを思ったらしい。生憎と雄一も所在を知らないが、桜子なら把握しているだろうかと思い一階のリビングへ。台所仕事をしている桜子にカウンター越しに尋ねる。


「母さん、優衣は?」


「友達と遊んでくるって、朝から出掛けていったわよ。もうすぐ帰って来ると思うけど……」


「ただいまー!」


 噂をすれば何とやら。玄関の開く音のすぐ後に、聞き慣れた妹の元気な声が飛び込んできた。


「ねえ、お兄ちゃんもう帰ってき――」


 やや弾んだ声と共に姿を現した妹の優衣。くりっとした大きな瞳に、活発さを如実に表したようなポニーテール。そんな中学三年生の妹はリビングに入るなり、こちらを見てあんぐりと口を開けた。


 正確には、雄一の隣に立つ澄乃を見て。


(お前もか妹よ……)


 恐らく桜子と同じ、兄が想像以上にレベルの高い彼女を連れてきて驚いたといったところだろう。やはりその反応はちょっと癪に障る。いや、まあ、仮に一年前の自分に以下略。


「あの、お兄ちゃんの彼女さん、ですよね……?」


「あ、はい、お兄さんの彼女の白取澄乃です。どうも初めまして」


「初めまして……妹の優衣です。あ、敬語とかいらないですよ? あたしの方が年下ですし……」


 などと言葉を交わしながらも、優衣の視線は澄乃の上から下を忙しなく行ったり来たりしている。


 そして、ポツリと一言。


「こんな人ほんとにいるんだ……」


「……ん? どういう意味だ?」


 優衣の漏らした言葉に、雄一の頭に疑問符が浮かぶ。


 澄乃を見て驚いているまでは桜子と同じだが、そのニュアンスが若干違うように思える。まるで噂レベルだったゲームのレアキャラに出くわしたような、そんな感じ。


「どういう意味も何も、この人――」


 もう一度澄乃を見て、優衣は言う。


「昔お兄ちゃんが言ってた好みどストライクの人じゃん」


 ――空気が止まった。雄一たちはおろか、台所の方にいる桜子の周りさえも。


「おい待て、何だその好みって……?」


「え、覚えてないの? ほら、昔あたしがお兄ちゃんの玩具を壊してケンカした時」


 優衣が急に表情を険しくさせて、腰に手を当てる。当時の雄一の再現だろうか。


「『俺は将来、お前みたいなガサツな女と違って綺麗で可愛くてお淑やかで思わず守ってあげたくなるような髪がサラサラロングの色白の目元が優しげで透明感のあるめっちゃウルトラ可愛い女の子と付き合うんだよバーカ!』って言ってきたじゃん」


「嘘だろっ!?」


 優衣の口から飛び出したあまりの発言に雄一は吠える。何だ、その欲望モリモリの好みは。というか可愛い二回言った。


「雄くん、そんなこと言ってたの……?」


「言ってない! 言ってないぞ俺はっ!?」


「いや言ってたから。ガチで。あたししーっかり覚えてるから」


 じとーっとした視線で雄一を睨む優衣。ご立腹ゆえに記憶に色濃く残っているらしく、家族として長い付き合いをしてきたからこそ、優衣の目に嘘が混じってないことを雄一は悟った。


 しかし、仮に本当だったとしても、よりにもよって彼女の前でバラさなくてもと思わずにはいられない。


「あ、あとおっぱい大き――」


「やめろっ!!」


 こうして英河家with澄乃の年末は、波乱のスタートを迎えたのだった。

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