+26話『年末の予定』

「雄くんって年末は実家に帰るんだっけ?」


 いい加減空腹が限界になってきたところで寝室から出た雄一と澄乃。トースト、ベーコンエッグ、昨日のシチューとサラダの残りという優雅な朝食を堪能した後、澄乃が思い出したように話題を振ってきた。


 内容は以前に軽く話した年末年始の予定。雄一は去年、二泊三日で実家に帰ったので、今年もそうする予定だった。


「そのつもり。澄乃は?」


『そっちも実家に帰るんだよな?』という確認の意味での問い掛けだったが、予想に反して澄乃は首を横に振る。


「私は帰らない」


「え、霞さんに会いに行かないのか?」


 澄乃の返答に雄一は思わず目を見張る。


 よもやまた何か問題が……と内心で危惧していると、澄乃は落ち着いた動作でマグカップに注がれた砂糖入りのコーヒーを口に含んだ。


「お母さん、ちょっと忙しいみたいなの。ほら、夏に急に入院して仕事場に迷惑かけちゃったから、年末年始は人が足りない分協力してあげたいんだって。すごく申し訳なさそうに言われちゃった」


 代わりに春休みには会いに来てくれるんだー、と嬉しそうに笑う澄乃を前に、雄一は内心でほっと息をつく。どうやら澄乃も納得しているらしく、親子関係の拗(こじ)れでもないようなので一安心だ。


 澄乃が言うには、霞は退院してからも店側の厚意で一週間ほどの休みを頂いたとのこと。勤務中にいきなり倒れたわけなので、大事を取れば妥当な判断とも思えるが、その時の恩義に報いなければ気が済まないらしい。


 その辺りの律儀な考え方は澄乃と似ている。さすがは親子だ。


「そっか……。なんか悪いな、置いてく感じになって」


 それはさておき、そうなると澄乃に対して心苦しさを感じてしまう。結果的にそうなったとはいえ、恋仲になって初めて迎える年末年始に澄乃を一人置きざりにしてしまうのだ。


 必ず帰らなければいけないわけでもないし、いっそ適当な理由でも付けてキャンセルしようか……などと雄一が考えていると、きょとんと首を傾げた澄乃はやがて穏やかに眉尻を下げた。


「気にしない気にしない。家族で過ごす時間も大事だよ?」


 テーブルの対面から伸ばされた澄乃の手が、まるで子供をあやすように雄一の頭を撫でる。その温かな感触はもちろん、実に説得力のある言葉に、雄一はばつの悪い笑みを浮かべて頷いた。というか、澄乃から家族の大切さについて説かれてしまうと、そもそも何か言えるわけもなかった。


「じゃあ行ってくる。なんかあったら電話してくれ。出来る限り出るようにはするから」


「はーい。あ、じゃあ年越しの時には電話していい?」


「もちろん」


 ささやかな願いを聞き入れて二人で笑い合ったところで、テーブルの横に置いていた雄一のスマホが着信音を発した。澄乃に一言断りを入れてから手に取り、玄関の方へ移動しながら画面を確認する。


 表示されている相手方の名前は――英河あいかわ晴信はるのぶ。父の名前だった。


 急に何だと訝しがりつつ、通話ボタンに指をスライドさせる。


「もしもし?」


『もしもし、今ちょっといいか?』


 四十代という年相応に低めの、聞き慣れた父の声が耳を打つ。「大丈夫だけど」と告げ、雄一は背後の壁に背中を預けた。


『一応確認なんだけどな、年末は家に返ってくるっことでいんだよな?』


「ああ、予定通りそのつもり。何かあった?」


 確認だけならアプリのメッセージでも十分だろう。それなのにわざわざ電話をかけてくるなんて、何かしらイレギュラーでもあったのだろうか。


『いや、こっちも予定通りならそれで問題無い。ただなあ……もしかしたらお前の方からキャンセルされないかと思ってな』


「俺が? 何で?」


 家族仲が悪いつもりはない。むしろ良いぐらいだ。雄一とて、最低でも一年に一度ぐらいは直接家族に会いたいとも思っている。


『ほらお前、夏に彼女出来たんだろ? てっきり彼女との時間を優先したいから、こっちには来ないなんて言い出すんじゃないかってな』


「…………」


 図星――とまでは言わないが、当たらずとも遠からずと言ったところか。息子の思考を予期するあたり、さすがは父親だと言わざるをえない。


 ちなみに澄乃と付き合い始めたことに関しては、期末テストの成績を両親に送った時にバレた。雄一の成績が右肩上がりに伸びた理由を両親から聞かれ、その際に澄乃のことをぽろっと漏らしてしまい、そこから矢継ぎ早に問い質されてあえなく白状した。まあ、特別隠す理由も無いので、ちょうど良かったと言えばちょうど良かったのだが。


 それはともかく、天秤が澄乃に傾きかけていたことを素直に認めるのはどこか悔しいので、雄一はお茶を濁すことにした。


「別にそんなこと思ってねーよ」


『そうかあ? お前、基本的には物欲無いけど、本当に大事なものにはとことん執着する方だろ? 小二の時だったか、お気に入りの変身ベルトをうっかり優衣ゆいに壊されて、相当泣きまくったことが――』


「子供の頃の話だろ……!」


 言い返してはみるものの、本質的には何ら変わっていないだろう。どうにも親というものには勝てる気がしない。


 頭をがしがしと掻いて、雄一は言葉を続ける。


「……まあ、正直に言うとさ、ちょっと彼女の方に傾きけかけはしたよ。でもその本人から、私に気にしないで家族との時間を大切にって釘を刺されたんだよ」


『あっはっはっは、良い彼女さんじゃないか! 実は尻に敷かれてる感じなのか?』


「うっせ、対等な関係だっつーの」


『ま、元気にやってるみたいで安心したよ。なら年末も予定通り――』


 と、今まで朗らかに話していた晴信の言葉が急に途切れた。


「父さん?」


『……私に気にしないでってことは、彼女さんは実家に帰ったりしないのか?』


「え? ああ、親との都合が合わないらしくて」


『そうか……』


 電話の向こう側、晴信が何か考え込むように黙る。


『雄一、ちょっとそのまま待っててくれ。電話切るなよ?』


 そう言い残した後、電話口から微かに話し声が聞こえてくる。言葉の感じからして、近くにでもいた母と話しているのだろうか。内容こそ聞き取れないが、何かを確認しているような雰囲気だ。


 少しの間を置いてから晴信が戻る。


『なあ雄一、物は相談なんだが……彼女さんも一緒に来れたりしないか?』


「…………はあ?」


 あまりにも突拍子もない提案に、雄一はただそう声を上げるしかなかった。

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