+25話『おはよう』

 朝起きたら、目の前に天使の寝顔があった。もちろん比喩ではあるが、雄一の胸の上で規則正しい寝息を立てている澄乃の穏やかな表情は、そう見間違えてしまうほどの清らかさすら感じられる。


 寝ている間に体勢が変わってしまったのか、仰向けの雄一の上にうつ伏せの澄乃が覆いかぶさっているという、言ってみれば澄乃に押し倒されているような状態だ。けれど息苦しいということはなく、むしろ澄乃がここにいることを全身で感じられるようで、心身共に満たされるぐらいだった。


 そして感触はもちろん、眺めも絶景だ。


 澄乃の愛らしい顔立ちはもちろん、無防備な胸元から魅惑の肌色が覗いている。澄乃の体重でむにゅりと潰れた膨らみが深い谷間を作り出し、時折彼女の身じろぎで形を変えて雄一の視線を釘付けにする。


 自分の喉の奥でごくりと音が鳴ったところで、雄一は断腸の思いで視線を澄乃の顔に戻した。さすがにいつまでも眺めていると、朝という時間帯も相まって腰辺りの居心地が非常に悪くなる。今はまだ寝ているからいいものの、これで澄乃が起きたら勘付かれてしまいそうだ。


 無論、それで愛想を尽かされることはないだろうが、雄一の誕生日まで我慢すると約束している手前、あまり変に気を遣わせることは避けたい。


(ま、これぐらいはいいよな……)


 長く息を吐いて劣情を逃がすと、緩んでいた両腕に力を入れて澄乃を抱き締める。もちろん起こさない程度には留めているが、これだけでも得も言われぬ幸福感が雄一の胸中を埋め尽くしていく。


 布団のぬくぬくと、恋人の体温。冬の寒い朝に、この二つは手放し難い温もりだ。


「――んぅ」


 しばらく堪能していると、雄一の腕の中で動きがあった。目を覚ましたらしい澄乃の瞼がわずかに開かれ、とろんとした藍色の瞳が雄一を捉える。そこで試しに頭を撫でてみれば、ふんにゃりと表情を緩めた澄乃はまた目を閉じ、甘えるように雄一の胸に顎を乗せた。


(あ、これいつものパターンだな)


 寝惚けた澄乃が雄一に甘え、やがて意識が覚醒して自分の行いに気付き、赤面して恥ずかしがる。そこまで考えたところで、雄一に悪戯心が湧いた。


 一旦抱き締めるのを止めて、両手を澄乃の頬にそっと添える。顔を動かせないように固定したままじっとしていると、二、三分ほどで澄乃の目は完全に開いた。


「おはようございまーす」


 寝起きドッキリのノリで囁いてみれば、一気に頬を紅潮させた澄乃が顔を逸らそうとする。だが、雄一はそれを許さない。挟んだ両手を動かさず、普段は隠されてしまう澄乃の表情を余すことなく観察していく。


 雄一の思惑を察した澄乃は余計に顔を赤くし、やがて観念した様子で「おはよう」と唇を尖らせた。


「むー……雄くんのいじわるっ。どれだけ私を辱めれば気が済むんだか……」


「人聞きの悪いこと言うな。つーか澄乃が先に起きれば良い話だろ」


 サイドテーブルに置かれた目覚まし時計を見れば、時刻は八時半過ぎ。雄一の目覚めだって特別早いというわけではないだろう。


「だって……雄くんと一緒に寝てるとすごく安心できて、どうしても熟睡しちゃふぁっ!?」


「あー可愛い、ほんっと可愛い。澄乃最高」


「も、もう~っ!」


 我慢できずに強く抱き締めて頭を撫でれば、澄乃はくすぐったそうに身を捩らせる。けれどすぐに抵抗を止め、嬉しそうに身を委ねてくるのだから可愛らしい。


「そういえば外は積もってるのかな?」


 布団にくるまったまま戯れを続けていると、澄乃がふとそんなことを口にした。言われてみれば昨夜は大雪だった。あの分なら相当雪が積もっているはずだ。


 上半身を起こした澄乃はベッド近くのカーテンに手を伸ばし、ゆっくりと開く。差し込む朝日に澄乃が目を細めると、少ししてからその瞳は驚きで見開かれた。


「うわぁー……!」


 おもちゃ箱を前にした子供のような声を上げる澄乃。その反応に釣られて雄一も仰向けのまま首を伸ばしてみれば、真っ白に染まった街並みが目に映った。


 予想通りかなり積もっている。冬休みに入っていて本当に良かった。


 休日を噛み締めた雄一がベッドに身体を沈めるのに対し、澄乃は背中を弓なりに反らして寝起きの身体を解していた。


「…………」


 自分の上で、スタイル抜群の美少女が身をくねらせている。下から見上げるその光景はとても魅力的かつ蠱惑的だった。無意識の誘惑は控えて欲しい反面、これはこれで眼福なので黙って脳内フォルダに保存しておく。


 雄一がそんな邪な考えを巡らせていると、室内の寒さに身を震わせた澄乃が「へくちっ」と可愛いくしゃみを漏らした。


「やっぱり朝は冷えるねえ……」


 たとえ室内であっても冬の朝は相応に寒い。寝室がこれならば、リビングの方も同じぐらいに寒いだろう。途端に澄乃の温もりが名残惜しくなってくると、ベッドから降りた彼女は「ちょっと待ってて」と言い残して寝室から出ていった。不思議に思いつつも言われた通り待っていると、すぐに澄乃は戻って来る。


「リビングの暖房入れてきた。でも暖まるまではちょっと時間かかるから――」


 と、そこで言葉を切った澄乃が、ベッドの上の雄一に布団ごと覆い被さる。そのままこたつで丸くなる猫の如く身を擦り寄せてくると、澄乃の口許は柔らかく緩んだ。


「もうちょっとこうしてたいなーと思うんですけど、どうでしょうか?」


「賛成」


 結局、空腹が限界を迎えるまで、二人はベッドで寄り添ったままだった。

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