+24話『おやすみなさい』
ひとしきり雪景色を楽しんだ二人は適当な頃合いで部屋の中に戻った。寄り添い合っていたとはいえ、さすがに寒空の下での鑑賞は身体が冷えたので、ホットミルクで身体の芯から温め直す。
二つのマグカップから立ち昇る湯気が混ざって一つになる中、雄一の隣に座る澄乃は可愛らしい欠伸を漏らした。心地良い暖気かホットミルクの効果か、目尻の涙を拭う澄乃は少し気の抜けた表情をしている。
壁に掛けられた時計に目をやれば、すでに日付は変わっている。普段から規則正しい生活を送っているに違いない澄乃には、眠気がピークに達してくる頃合いなのかもしれない。夜更かしは美容にも悪いだろうし、ぼちぼち床についた方がいいだろう。
「……そろそろ寝るか?」
「……う、うん」
そう返した澄乃の頬が朱に染まる。無論それは雄一も同じで、いつの間にか滲んでいた手汗を澄乃に隠すようにスウェットの裾で拭った。
眠くなったから寝る。そんな至極当たり前の行動が、今日ばかりは特別で重大な意味を持つ。
二人分のマグカップを片付けた後、雄一は澄乃と共に寝室へ。目の前で揺れる銀色を眺めているだけで心拍数がどんどん早くなっていく。
今日はあくまで一緒に寝るだけ。約束は絶対に破らない。何度も自分にそう言い聞かせ、雄一は寝室へ足を踏み入れた。途端に鼻に届くフローラルな香り。安眠できるようにと澄乃が気を利かせてアロマを用意してくれたらしく、適度に漂うラベンダーの香りが安眠作用を引き出してくれる。
はずなのだが、一向に雄一の精神は落ち着いてくれないし、むしろいざ二人揃って寝室に入ると、よからぬ考えが頭を過って仕方がない。果たして今日は眠りにつけるのか、甚だ疑問である。
そしてそれは隣の澄乃も同じらしく、お互いベッドの前で立ち尽くしてどうにも次に進めない状態だ。
――こういう時こそ、男としてリードしてあげなければ。
深呼吸を一回。意を決した雄一はベッドに腰掛け、未だ緊張の色が窺える澄乃を見上げる。
「澄乃」
優しく名前を呼び、自分の隣をぽんぽんと叩く。本来自分のものでもないベッドの上で我が物顔に振舞うのもどうかと思うが、澄乃は特に気を悪くすることもなく、頬を朱色に染めたまま雄一の隣に腰を下ろした。
まずは背中から回した手を澄乃の肩に置き、やや強張った身体を解きほぐすようにゆっくりと撫でる。少しずつ澄乃がこちら側に体重を預けてきたところで、前の方からも腕を回してその華奢な身体を抱き締めた。肩に置いた手を頭の上に移して丁寧に撫でていけば、澄乃は心地良さそうに「んぅ……」と声を漏らし、雄一に身を委ねるようにさらに身体を預けてきた。
だいぶ緊張は和らいできたようなので、そろそろ頃合いだろう。
「横になるか」
「……ん」
こくりと頷いた澄乃と少し離れ、ベッドの上で身体を横に倒す。二人分の体重にマットレスがギシと音を出し、アロマとは違う甘い香りが雄一の鼻を掠めた。お互いを包み込むように掛け布団をかければ、これにて就寝の準備完了だ。
「近いね……」
「ああ」
澄乃が口にした感想に雄一は頷く。
澄乃と一夜を共にするのはこれで三度目だろうか。でも、これまでとは距離が違う。それは物理的な距離はもちろん、心の距離――澄乃との関係性もだ。
好きな異性から、最愛の恋人へ。以前よりも一段と仲が進んだという事実が、雄一の胸中を温かな感情で満たしていく。
そんな中、澄乃がもぞもぞと頭を動かす。二人で使うにはシングルサイズの枕だと大きさが足らず、頭の置き所を模索しているようだった。
「俺の腕枕で良かったら使うか?」
言うが否や、雄一は澄乃の方へ自身の二の腕を差し出す。ぱちりと目を瞬かせた澄乃は淡い笑みを浮かべ、それから遠慮がちに頭を乗せてきた。
と、最初は雄一の腕枕に頭を預けて満足気に頬を緩める澄乃だったのだが、すぐにルームウェアの袖で口許を隠し、なぜか恨めしそうな視線を雄一に向けてくる。
「あれ、腕枕は微妙だったか?」
男の固い腕では寝心地が悪いだろうかと思っていると、澄乃は「そうじゃなくて」と首を横に振った。
「さっきから雄くん、なんだかすごく男らしいなあって……」
「……褒めてる割に不服そうなのはなぜだ」
「だって……私ばっかりドキドキして余裕ない感じで、なんか悔しい……」
「あのなあ」
随分と見当違いな考えに、雄一の口から盛大なため息がこぼれてしまう。そして澄乃の口許を隠す手を強引に引き剥がすと、そのまま自分の胸の辺りへと押し付けた。
またもや、ぱちりと目を瞬かせる澄乃。きっと彼女の手の平には、雄一の心臓が早鐘を打つ様子がしかと伝わっているはずだ。
「カッコつけてるだけで、実際はこの有様だよ。下手したら澄乃以上にドキドキしてるからな」
そもそも余裕があったらいきなり押し倒したりしない、と付け足せば、さっと頬を赤らめた澄乃が顔を俯かせる。羞恥に震える様子はとても愛らしいが、さすがに先ほどの暴走まで蒸し返すのは失敗だったか。
「……私だって負けてないもん」
囁くように呟いた澄乃が雄一の方へと手を伸ばし、抱き着くように身を寄せる。
再びゼロになる距離。全身に感じる澄乃の温もりと柔らかさ。しかも豊満な膨らみを押し当てるように近付いてくるものだから、胸の近くにもたらされる柔らかさは他のどこよりもたまらない。
誘惑めいた突然の行動に戸惑っていると、澄乃は雄一の首元に顔を埋めて言葉を紡ぐ。
「分かる? 私、すっごーくドキドキしてるんだよ?」
「……ああ、分かるよ」
押し当てられた柔らかさの奥、そこから伝わってくる澄乃の心臓の鼓動は、雄一と同じかそれ以上に激しかった。
こうして密着していると、まるでお互いの鼓動が混ざって一つに溶け合うような錯覚を覚える。同じものを共有していることがどうしようもなく嬉しくなり、腕枕とは反対の方の腕で澄乃のことを優しく包み込むと、澄乃は猫が喉を鳴らすように気持ち良さそうな吐息を漏らした。
「あ、雄くんのドキドキ、ちょっと強くなった」
「仕方ないだろ。……澄乃が当ててくるからだ」
「でも、男の子ってそういうのが好きなんでしょ?」
「……好きです」
「ふふっ、正直でよろしい」
あえて言葉にすれば恥ずかしがるかと思ったが、なかなかどうして、澄乃は小悪魔めいた笑みを浮かべるだけだ。
そのまましばらく澄乃と抱き合っていると、あれだけ暴れ回っていた心臓も段々と落ち着きを見せてきた。決して慣れたわけではない。けれどこうして澄乃の体温を感じていると、春の陽だまりの中にいるような心地良さも覚えるから不思議だ。
「ねえ、このまま寝ちゃってもいい?」
「いいけど……苦しくないか?」
澄乃の顔は雄一の首元辺りに埋められたまま。位置的に、呼吸するには少し息苦しそうにも思える。
「大丈夫。それに……今夜はちょっとでも多く、雄くんとくっついていたいから」
「そう言われたら断れないなあ」
恋人からの願いを無下にできるわけもなく、そもそも雄一としても、澄乃を腕に抱きながら眠れるのは願ったり叶ったりだ。
幸せそうに頬を緩める澄乃の顔を覗き込めば、目を閉じた彼女が何かをねだるように顎を突き出す。可愛らしいおねだりに応えて唇を重ね、丹念に感触を味わってから離せば、より一層表情をとろけさせた澄乃がそこにいた。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
最後にもう一度口付けを交わして、二人は互いの温もりに浸るように瞳を閉じた。
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