+14話『11月11日』

 11月11日。


 その文字列がある菓子を連想させるということから、製菓会社がその菓子の記念日と定め、今となっては広く周知されている。例えばハロウィンやクリスマスのように大袈裟に祝うようなことはないが、どうせならといった感じで人々が手を伸ばす光景は、まあそれなりに目にすることろう。


 それは雄一の学校でも似たり寄ったりで、休み時間にもなればクラスのあちこちでポッキーが食べられている。特に盛況な女子の集団を眺めながら、雄一も雄一でなんとなく買ったサラダ味のポッキーを齧っていたぐらいだ。


 そんな日の放課後。ありがたいことにまた澄乃から夕食を振舞ってもらうことになったので、自宅にお邪魔したわけなのだが。


「なんだこれ」


 テーブルに並んだ数々のポッキーの袋を前に、雄一はたまらず目を見張った。


「あはは……買ったものを交換したり分け合ってたりしたら、こんなことになっちゃった……」


 隣に座る澄乃が苦笑し、困ったように眉を下げる。その言動から察するに、休み時間の騒ぎはその大交換会とやらによるものだったのだろう。


「それにしたって、よくもまあこんな数を……」


 どれもこれも余った一袋という形なので量自体はそこまでではないが、種類はなかなかに多い。定番のサラダ味やチョコ、いちご、抹茶、期間限定バターキャラメル、他のと一緒に食べると味が変化するという変わり種まで、実に多種多様だ。


 ひとたび袋から出して皿に並べれば色鮮やか。コーヒーも添えればちょっとしたパーティー気分である。


「ご飯までまだ時間あるし、せっかくだから食べない?」


「だな」


 そこまで腹持ちが良いというわけでもないし、午後の授業で体育があって小腹も空いている。夕食までの繋ぎにはうってつけだ。


 わざわざコーヒーまで淹れてくれた澄乃に礼を言って、テレビを見ながら食べ始める。ちょうど動物の珍場面特集なるものが放送されていて、画面に映るパンダのコミカルな姿に澄乃は楽しそうに頬を緩ませていた。


 そんな中、雄一はちらりと澄乃を盗み見る。


 甘いものが好きな女の子らしく、笑みを深めてバターキャラメル味をぽりぽりと齧る、その桜色の唇に視線が吸われる。


(“アレ”やってみたいって言ったら、引かれるかな……)


 雄一の脳内を掠めるのは、この菓子にまつわる一つのゲーム。一本のポッキーを両端から二人で食べ進めていくというあのゲームだ。仲の良い友達がノリでとか、男同士がバツゲームでなんて場合もあるが、基本的には恋人同士がやる行為という意味合いが強いだろう。


 思春期男子の本心を包み隠さず言えば、非常に興味がある。ぶっちゃけ、すっごくやってみたい。


 恋人の家で二人っきりというおあつらえ向きの状況が余計に雄一の欲を煽り、ゲームを提案する言葉が喉元までせり上がる。だが、肝心の一言目がどうしても出てくれない。


 理由は単純明解で、自分から切り出すのが無性に恥ずかしいのだ。


 変なところでチキンハートな自分を情けなく思いつつ、どうにか良いタイミングでもないものかと画策すること十数分。


「あっ」


 澄乃の声で我に返ると、ポッキーは最後の一本にまで減っていた。


「雄くん食べる?」


「いや、澄乃でいいぞ? たぶん俺の方が多く食べてるし」


「それを言うなら、私は学校で――」


 日本人らしい譲り合いの精神をお互い発揮していると、澄乃が不意に言葉を切った。それから最後の一本を手に取ってじっと見つめた後、おもむろに雄一の方へと視線を向ける。


 澄乃のきめ細かい白い肌には、微かな朱色が差していた。


「じゃあさ……一緒に食べる?」


「え」


 訊き返す間も無く、雄一に向けて差し出されるポッキーの先端。もう片方の端を支えるのは澄乃の手――ではなく、潤いたっぷりの柔らかそうな唇だった。


(マジか……)


 と、内心で驚く雄一だが渡りに船とはこのこと。これ幸いと言わんばかりにポッキーの先端を咥えた。割とすぐに応じた雄一に面を喰らったのか、澄乃は驚きの色と共に目を見開く。至近距離まで迫った藍色の瞳は相変わらず綺麗だった。


 互いに目を合わせ、準備が整ったことを確認したところで、二人同時にぽりぽりと齧り始めていく。


 一噛みするごとにゆっくりと、だが着実に減っていく澄乃との距離。テレビの音が急に遠くのように感じてしまい、目前の端正な顔立ちに雄一の意識は集中していく。


 いまや澄乃の顔は真っ赤で、雄一はゲームにかこつけてさらに視線を注いだ。


 長い睫毛、すっと整った鼻筋、そして羞恥で潤んだ瞳。朱に染まってもなお白さを見せる素肌は日頃の手入れの賜物だろう。白が赤に変わりゆく様はとても愛らしく、魅力的だ。


 けれどきっとこれは、鏡合わせの反応だろう。現に雄一の頬にも無視できないほどの熱が集まっていた。目を閉じれば少しは恥ずかしさも和らいでくれるだろうけど、ここで澄乃の表情から目を背けるのはとてももったいない。


 だから雄一は澄乃を見つめ続け、澄乃もまた見返す。


 そんな底抜けに甘ったるく、幸福な時間は――


 パキッ。


 軽い音と共に終わりを迎えた。


 力加減を誤ったのか、ポッキーは澄乃の口許辺りで折れてしまっていた。雄一の方に残っていた余りの分を食べ切れば、なんとも言えない微妙な間が二人の間に流れていく。


「意外と……難しいんだね」


「そうだな……」


 もう少しで唇を重ねられそうだったのに。そう思うと、とても惜しい気分に陥ってしまう。


 別にキスがしたいなら存分に重ねればいいだろうけど、そういう問題でもない。二人の共同作業が失敗に終わってしまったというのが、どうにも悔しくて仕方ないのだ。


 そうは言っても、今のが最後の一本。手持ちが尽きた以上諦めるしかない。


 …………。


「澄乃」


「……なに?」


「……ちょっとコンビニ行かないか?」


「……うん」


 向かい合ったまま、雄一と澄乃は頷き合う。


 ――その日の帰り道は、だいぶ胃袋がキツかった。

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