+13話『英雄装備』

「ねえ、雄くん」


「んー?」


「ホラー映画見に行きたいかもって言ったらどう思う?」


「……気でも触れたのか?」


「そこまで言わなくても」


 十一月上旬の放課後。明後日に控える小テストの対策のため、澄乃と一緒にファーストフード店で勉強していた時のことだ。出題傾向にある参考書の問題を一通り解き終えた雄一が丸付けをしていると、対面の澄乃は彼女らしからぬことを言い出した。


 思わず参考書から顔を上げてみると、澄乃が少し頬を膨らませているのが目に入る。雄一のド直球かつ辛辣な物言いが不服なようだが、相応の理由があるので仕方ない。


「もう絶対ホラー物見ないって言ったのは澄乃だろ?」


 そう言って雄一が思い出すのは、夏休みに二人でテーマパークに遊びに行った時の記憶だ。どっちが平静を保てるかなんて勝負をするためにお化け屋敷に入ったのだが、澄乃の怖がりようは勝負どころじゃないレベルに深刻だった。あの惨状を目の当たりにした身としては、澄乃がホラー映画を見に行くなんて行いは自殺行為としか思えない。


「それはまあ、そうなんだけど……」


「だったら何でまた見に行きたいんだ?」


 映画を見に行くこと自体は賛成だ。澄乃と関係を深めていくうちに分かったことなのだが、お互いの映画の趣味が結構合う。なので最近はデートで映画館に足を運んだり、レンタルしてどちらかの家で見るなんてこともある。


 だが当然、澄乃が大の苦手とするホラー物は除外だ。澄乃自身、それ系の予告編やポスターからは露骨に目を逸らす傾向にあるので、最近になって克服したというわけでもないだろう。


「実は、空ちゃんからこんなメッセージが送られてきてね……」


 澄乃は取り出したスマホを操作した後、雄一に向けて画面を差し出す。表示されていたのはメッセージアプリのトーク画面で、最上段にある相手の名前は『夏樹空』。関係暴露の一件から親交を深めているらしく、休み時間にこちらの教室を訪れた空と仲良く話している光景もちょくちょく見る。


「何々……『この映画、すっごい泣けるからおススメ!』?」


 そんな太鼓判メッセージの下にはどこかのサイトのリンクが貼られている。試しにタップしてみれば映画の公式サイトに繋がり、いきなり血みどろのタイトルロゴが雄一を出迎えた。澄乃にとっては刺激が強いだろう。


「空ちゃんも映画が好きみたいでね、面白いのがあったら教え合ったりしてるんだけど……そしたらこれなんかどうかって」


「ってもホラー映画で泣くって、当然の話じゃないのか?」


「怖いとかじゃなくて、感動できるって方らしいよ? レビューとかでもそういう意見が多いし」


「ほう、そいつは確かに面白そうだ」


 興味を持った雄一はサイトを閉じてから澄乃のスマホを返し、新たに自分のスマホでサイトにアクセスしてみた。


 ちなみにちらっと見えたトーク画面の続きでは、澄乃がホラー物を苦手なことを告白する旨、それに対して空からの謝罪スタンプなどが送られていた。わざと苦手ジャンルを勧めたというわけではないらしい。


「ホラーっていうか……パニック物って感じだな」


 あらすじをざっと読み終えた雄一は呟く。


 絶賛放映中のその映画の内容は、大まかに言えばゾンビパニック・ムービー。新幹線の車内に謎の凶暴化ウイルスが蔓延し、それに翻弄される乗客たちのサバイバルを描いた作品のようだ。厳密に言えばホラーとは毛色が違うだろうけど、まあ“怖い系”という括りで考えれば似たようなものかもしれない。


「空ちゃんが勧めてくれるのって面白いのが多いし、どうせなら見てみたいかなって思うんだけど……」


「澄乃にはハードルが高いと思うけどなあ……」


「だよねえ……」


 はあ、とため息をつく澄乃。苦手だが魅かれるものがあるというのは、なかなか難儀なところらしい。


「せめて雄くんに抱き着ければ、少しは安心できるんだけどなあ……」


「映画館だとさすがにな」


 恋人とのハグで恐怖が薄れるというのは、まあよくある話だ。けれど映画館では座席の関係上、よくて腕に抱き着くので精一杯だろうし、何より周囲の目もある。あまり行き過ぎた行為は眉を顰められるかもしれない。


「……ん?」


 何か良い案はないものかとスマホを操作する中、とある映画館の館内設備が雄一の目に留まった。


「なあ澄乃、だったらこういうのはどうだ?」


「え? ――あ、これなら……!」


 雄一のスマホを覗き込んだ澄乃は目を輝かせた。












 小テストも無事に終わりを迎えた日曜日。雄一と澄乃は普段利用しない都心の映画館を訪れていた。ポップコーンやドリンクなどの軽食を購入し、予約していた最前列の席へ。その場所に設置されている特別な席を前にし、雄一は「へえ」と感心の呟きを漏らす。


「これが……カップルシート……」


 隣の澄乃の言葉通り、今回二人が予約した席は俗に言うカップルシートと呼ばれるものだ。客席から見てU字の形をしたフラットタイプの席であり、大人二人が左右に両手を伸ばしても余裕のありそうな広々としたスペース。有り難いことにクッションやテーブルも付いているので、普通の座席よりもかなり自由な体勢で映画を鑑賞することができそうだ。


 もちろん少し値は張るが、たまの贅沢としては十分許容できる範囲と言っていいだろう。


「あ、結構ふかふか」


 靴を脱いで、さっそくシートに身を沈めた澄乃が楽しそうに声を弾ませた。雄一もその後に続いてみれば、確かにほど良い弾力が手の平や膝から伝わってくる。クッションもあることを考慮すれば、予想以上に快適に過ごせそうだ。


 もっとも、今回は快適さを求めてこの席を選んだわけではないのだが。


 とりあえず澄乃と横並びでシートに座り、ポップコーンをつまみながら映画の開始を待つ。五分もすれば人の出入りも落ち着き、場内がゆっくりと暗くなった。


「じゃあ……お願いします、雄くん」


「ほいほい、どうぞいらっしゃい」


 スクリーンに公開予定の作品の予告が流れる中、微かに頬を赤らめた澄乃は雄一に近付く。雄一が受け入れる体勢を取ると、澄乃は広げられた足の間に座って雄一の方にもたれかかった。そして雄一が澄乃の腰に手を回せば、後ろから抱き締める形の完成である。


 そう、雄一が澄乃を抱き締めることで恐怖に耐えられるようにする――それこそが、このカップルシートがある映画館を選んだ理由なのだ。


「うん、これなら怖いシーンが来ても安心っ」


「さいですか」


 力強く意気込む澄乃が前を向いているのをいいことに、雄一はそっと苦笑を浮かべる。先に提案したのは自分だが、はてさてこれで効果があるのかは微妙なところだ。


「今さらだけど本当に大丈夫か?」


「大丈夫。雄くんを装備すれば、私のホラー耐性は二倍――ううん、三倍に跳ね上がると思うから」


「元がゼロじゃあ意味無いと思うが。いや、むしろマイナス――」


「…………」


「分かった分かったから無言で足をつねるな」


 どの道もう映画は始まってしまったのだ。今さらやめるのも金の無駄だ。


(それに俺としても役得だしな……)


 何せ長時間澄乃を抱き締められるのだ。後ろからはもちろん、両脇もしっかり仕切りで区切られているので、周りからの視線を気にすることもない。ひとたび映画が始まってしまえば、多少は物音を出しても気付かれることもないはずだ。


 ……まあ、さすがにそんな行為に及ぶ気はないが、恋人の温もりや柔らかさを味わうぐらいなら許されるだろう。その分、澄乃の恐怖軽減にも全力を注ぐつもりだ。


『日本中を恐怖に陥れた作品が、ついに禁断の映画化――』


「……ひぅっ」


 来年公開予定の別のホラー映画の予告に、澄乃が早くも肩を震わせる。その様子に可愛らしさとそこそこの不安を抱きつつ、雄一は安心させるように澄乃の頭を撫でるのだった。

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